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evernoteとsocialに関するbartleby0911のブックマーク (2)

  • 労働について - 内田樹の研究室

    月曜の「キャリア教育」の一こまと、専攻ゼミで「働くとはどういうことか」についてお話する。 月曜の方は大教室で180人の学生さんを相手にマイクで講義という、ふだんしないことをする。 お相手は2,3年生。 就活についてはまだ不安だけという学年だけれど、バイトの経験はあるし、キャリアパスのための資格や免状のための科目はすでに履修しているし、セカンドスクールにも通っているものもいるから、「働く」ことについて漠然とした先入観は有している。 けれども、彼女たちの抱いている労働観は家庭教育とこれまでの学校教育の過程でずいぶん歪められている。 彼女たちは「ワーク」を「競争」のスキームでとらえている。 閉じられた同学齢集団内部で相対的な優劣を競うことが「ワークする」ことだと思い込んでいる。 そう教えられて二十歳近くまでやってきた彼女たちには、社会に出てから後は「ワークする」ことの意味が違ってくるという消息が

    bartleby0911
    bartleby0911 2010/04/30
    働く人が、誰に、何を、「贈り物」として差し出すのか。それを彼に代わって決めることのできる人はどこにもいない。贈り物とはそういうものである。誰にも決められないことを自分が決める。その代替不能性が「労働す
  • 2010年4月25日(日) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    カナダ・マギル大学で日文学を勉強している学生から、twitterで次のような質問を受けました。 星野さん、十年前のインタビューでは「でも現在の言葉では信用が崩壊寸前で、言葉以外の伝達の方法へと退行しようとし ている」と述べましたが、インターネット時代でも未だにそう思いますか? 併せて「現代世界に於いてのコミュニケーション危機や最後の吐息の意味について」も尋ねてきたので、ツイッター状では字数が少ないため、こちらで答えたいと思います。 まず、インターネット時代の現在でも、「コミュニケーションが言葉以外の伝達方法へと退行しようとしている」と思っています。例えば、ツイッターでは、140字に限られます。たくさん書きたければ、連投すればいいわけですが、140事前後の塊としてぶつ切りになります。すると、短ければ短いほどよいわけなので、自分の言いたいことを、できるだけ簡潔にコピー化しようという気持ちが働

    2010年4月25日(日) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/04/30
    、記号化が強まっていく社会の中では、このその場だけの単純化とレッテル貼りが、次第に標準となりつつあるように私は感じています。こうなると、自分の感情や意志を文章で表現しても、細かいことは切り捨てられてし
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