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n_内田樹とtextに関するbartleby0911のブックマーク (18)

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    bartleby0911 2010/01/07
    私たちが自分たちの国民的アイデンティティとして、それに基づいて思考し、行動するのはいつだって「歴史的事実」そのものではなく、「歴史的事実として選択された『物語』」だからである。 「ほんとうは何があった
  • 厭味なインタビュイー - 内田樹の研究室

    取材が続く。 火曜日が講談社の Grazia、水曜がリクルートの受験雑誌、木曜が朝日新聞。 取材のお題はそれぞれ「30代女性の生き方」「親は受験生をどう育てるべきか」「モンスター・ペアレンツ」 まことにさまざまである。 どのメディアに対しても基的には同じことをお答えする。 「そういうことはあまり問題にしないほうがいいですよ」である。 これらの問いはいずれも「人間の生き方」「育児戦略」「公民としてのあり方」については「あるべきかたち」が存在し、「あるべきかたち」ではないことがさまざまな不幸を生み出しているという論理形式を前提している。 このような信憑を刷り込まれることで一部の人間は向上心を掻き立てられるが、ほとんどの人(「向上心はなくはないが、行動が伴わない」タイプの人たち)はあまり幸福にはならない。 そういう人たちの前に「成功事例」をニンジンのようにぶら下げてもあまり「いいこと」はない。

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    bartleby0911 2009/01/23
    資本主義というのは人口の100%が「現状に不満足」であることによって市場を無限に拡大するシステムであるので、私たちが「ま、こんなもんでいいのでないの」という言葉を口にすることを許してくれない。
  • 驚くことばかり - 内田樹の研究室

    岸和田だんじりエディターと神戸麻雀ガールのご結婚奉祝麻雀大会が開催された。 甲南麻雀連盟は発足以来15ヶ月の間に会員間で二組のカップルを送り出したことになる。 これは驚異的なマッチメイキング確率といわねばならぬ。 麻雀が人間のエロス的アクティヴィティを高めるという説に私は与しない。 むしろ麻雀の打牌の一手一手を通じてその人となりがはしなくも露呈するという事実が与って大きいのであろう。 とりわけ、負け方のうちにその人の人間的度量はあらわに示される。 先般申し上げたように、麻雀とは「自由と宿命」のゲームである。 自摸は宿命であり、打牌は自由である。 そして、麻雀において宿命は確率的にはほとんどつねに私たちを「敗者」への道へと誘う。 雀神さまが打ち手に微笑む確率は2割5分。 つまり、麻雀をしているかぎり、確率的に人生の4分の3は敗者として過ごさねばならないのである。 昨年の最高勝率の私でさえ3割

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    bartleby0911 2009/01/09
    ミラーニューロンが活性化した人は全員が同じ幻覚を見たのである。 それは「幽体離脱」である。 自分を天井から自分が見下ろしている。 つまり他者への共感度が高まりすぎたせいで、「自分が他者であっても自己同一性
  • どこに就職したらいいんでしょう - 内田樹の研究室

    株式市場の混乱で、ついに新卒者の内定取り消しが出始めた。 以下は朝日新聞の報道から。 米国に端を発した金融危機が、大学生や高校生の雇用に影を落とし始めた。ここ数年は「売り手市場」との声さえ聞かれた就職戦線。しかし、「経済情勢の激変」を理由に、一転して内定や求人の取り消しが相次ぐ事態になっている。急速に冷え込む「雇用」に大学や教育委員会は不安を隠せない。 「このまま入ってきてくれても希望の部署にはいけないと思う。あなたのキャリアを傷つけることになるので、就職活動を再開した方がいい」 関西の私立大に通う4年生の学生(21)は先週初め、5月に内定をもらった大手メーカー(東京)から、電話で内定「辞退」を促された。今月初めの内定式で顔を合わせたばかりの人事責任者は、「業績が悪化し、株価も激しく落ちている。会社はリストラを始めている」と付け加えた。 学生にとっては、留学経験を生かせると考えて内定3社の

  • キャリアを考える - 内田樹の研究室

    「キャリアを考える」というタイトルのリレー式の講義の順番がまわってきた。 一回 90 分。80 人ほどの学生さんたちを相手に「キャリア教育」のために一席弁じる。 「キャリア教育」というプログラムの問題点についてはこれまでに何度か書いてきた。 就活の学生たちがもっとも苦しんでいるのは「適性・適職」というイデオロギーである。 このイデオロギーはRクルートをはじめとする就職情報産業によって組織的に流布されている。 就職情報産業は営利事業であるから、そこが主力商品であるところの「就職情報」に対するニーズを大量に、かつ継続的に求める「クライアント」を確保することに腐心するのは当たり前のことである。 学生諸君はまさにその「クライアント」である。 就職情報産業にとって「理想的なクライアント」とは、きわめて早い時期から(できれば入学と同時に)就活マインドに火が点き、以後在学中眼を血走らせて就職情報を渉猟し

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    bartleby0911 2009/01/07
    就職情報産業にとって「理想的なクライアント」とは、きわめて早い時期から(できれば入学と同時に)就活マインドに火が点き、以後在学中眼を血走らせて就職情報を渉猟し、内定が出ても、「より適性にあった職場」を
  • 御影駅からリッツカールトンにゆく途中で考えたこと - 内田樹の研究室

    養老孟司先生が書評で取り上げてた月洋『日人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ、2008年)を読む。 御影駅の待合室でぱらりと開いて、「私は人工知能の研究をしていたが、数年前に人間並みの知能を実現するには『身体』が必要であるという考えにいたった。」(4頁)という箇所を読んで、思わず「おおおお」とのけぞってしまった。 同じことを二年前の正月に気錬会の工藤くんから聞いたことを思い出した(彼もロボットの研究者である)。 そのときはそれが非常に重要なことであることはわかったのだが、どういうふうに武道の稽古につなげればいいのかよくわからなかった。 そのあと池谷裕二さんと対談したときにミラーニューロンの話を聞いて、学習というのが決定的に身体的な経験であることを教えていただいた。 それから島﨑徹さんと出会い、その指導を見て、身体図式のブレークスルーは知的なブレークスルーと同期するということについ

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    bartleby0911 2009/01/07
    同期がうまくゆくのは、書き手が「自分を完全に理解している」からではない。そうではなくて、「自分が何を考えているのかよくわからない」という事況にまっすぐ向かうことによってである。
  • Simple man simple dream

    平川克美君は内田の小学校以来の親友で、大学卒業後、いっしょにアーバントランスレーションという会社を創設した。(彼が社長で、ぼく社員) 平川君の卓越したビジネスセンスと先見の明のおかげで会社はどんどんビッグになった。 ぼくは大学院の博士課程まで進んだところで、ビジネスを続けるか研究者の道を選ぶか迷ったあげくに、愉快なビジネス弥次喜多道中を切り上げて、よりストレスフルで孤独な研究者の道を選んだ。理由はいまでもよく分からないけれど、平川君とは違う世界で同じ夢を追うほうが、ふたりにとってもっと愉快なことが起こりそうな気がしたからかも知れない。その直観はたぶん間違っていなかったと思う。 ぼくが合気道に夢中になりはじめたころに、(示し合わせたわけでもないのに)平川君は松濤館空手の門をたたき、いまでは松濤館空手の最高段位に達し、ヴェンチャービジネスの雄であると同時に斯界屈指の武術指導者になっている。 と

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    bartleby0911 2009/01/06
    自分と仕事、自分とビジネスというフレームワークの中でしかものを見ていない。何か変である。ここには「他者」がいない。
  • Simple man simple dream

    中学生による暴力事件が相ついでいる。首相が異例のコメントは発表したり、なんだか社会的な地殻変動が起こったようなあわてぶりである。私は以前に、近いうちにこどもたちが社会の最も暴力的で、最も弱い環になるだろうと書いたことがある。そのとき私が「子供は弱い環だ」という言葉で言おうとしていたのは、「私たちの社会の集合的な連帯」が「こども」を起点にして寸断され崩壊してゆくだろうという陰な予想であった。悪い予想はよく当たる。 今回の事件について、またうるさく「学校が悪い」のか「家庭が悪い」のか「大人の社会が悪い」のかいった不毛な責任のなすりあいが始まるだろう。そのときに「偏差値教育」とか「受験のストレス」とかいうすりきれた言葉でなにごとかを説明しようとする識者がいるかもしれない。せめてそれだけはやめてほしいと思う。 はっきり言っておくが、中学生が暴力的な行動に出るのは「偏差値教育」や「受験のストレス」

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    bartleby0911 2009/01/06
    生徒たちが「立場上採用している従順で注意深い態度」を教師に対する人格的恭順のしるしだと取り違える誤りと、そもそも学校教育に何も期待していない生徒の無気力な態度を教師に対する人格的反抗だととり違える誤り
  • Simple man simple dream-10 本を読もう

    今週は読書週間だそうである。新聞の社説が「みなさんを読みましょう」と激励しているけれど、朝礼の校長先生の訓話と一般で、こういうことを言われるようになるということはもう「もおしまい」ということである。 最近の若い人たちはを読まない。もちろんミステリーとかタレントとかファッション誌とかガイドブックとかファミコン攻略とかは読むのだろうが、「古典」とか「外国文学」とかになると全然読まない。もう、みごとなくらい、まったく、感動的なまでに、読まない。 先日、東京大学の先生とその話をする機会があった。その先生の授業で、「これまで読んだことのあるフランス文学作品の書名を書け」というアンケートをしたら、中にひとこと「カフカ」と書いた学生がいたそうである。 すると横にいた某私立大学の同じフランス文学の先生が「ははは、冗談じゃない。そんな程度で嘆かれては、こちらの立つ瀬がありません」と応じた。その先生

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    bartleby0911 2009/01/05
    すぐれた書物は私たちを見知らぬ風景のなかに連れ出す。その風景があまりに強烈なので、私たちはもう自分の住み慣れた世界に以前のようにしっくりなじむことができない。そうやって、さらに見知らぬ世界に分け入るの
  • Simple man simple dream

    「上野千鶴子をどうやったらこてんぱんに批判できるか、考えて」という「隣の上野先生」のご依頼で、『「慰安婦問題」とナショナリズム』というを読んだ。 これは同名のシンポジウムの記録と、それへこコメントで構成されている論争的な書物である。論争に参加しているのは、フェミニストとマルクス主義者とポストモダニスト。私はこれらの陣営のいずれに対してもイデオロギー的には親近感を感じないのだが、やはりおのずと共感と反感の濃淡の差というものはでてくる。 いつ読んでも、やっぱり好きになれないのが上野千鶴子。 上野はこの論争では批判の十字砲火を浴びて満身創痍気息奄々である。歴史学者から論証のずさんさを指摘されたりするのはしかたがないとしても、フェミニストたちから、「ナショナリスト」と罵倒されるに至っては、身の不徳のいたすところというか、自分で掘った墓穴に落ちたというか。 上野をいちばん痛烈に批判しているのは岡真

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    bartleby0911 2009/01/05
    私たちの理解を斥け、共感を絶する絶対的な異邦人のことを「他者」と呼んでいる。そしてそのような「他者」となおコミュニケーションを成り立たせたいと願う根元的な衝動を「愛」と呼んでいる。
  • Simple man simple dream

    「アダルト・チルドレン」というへんな言葉を最近目にする。 そのままの意味は「大人である子供」であるから、私は迷うことなくこれは最近多い「幼児的な大人」のことであろうと思っていた。禿頭のおじさんが熱心に『少年ジャンプ』を読み耽っていたり、カラオケで子供のころのTVアニメの主題化を絶唱したりしているさまを嘆いた言葉であろうかと思っていたら、違うようである。 もともと使われだしたのは(もちろんアメリカで)「アルコール依存症の親に育てられた子供」が成人後に持ち越すような固有の精神外傷を抱え込む事態を指す。つまり「大人になった『アルコール依存症の親に育てられた子供』(Adult children of alcoholics)」の最初の二語をとった略語である。 この理論によると、アルコール依存症だけでなく、あらゆる種類の依存症(アディクト)や機能不全家庭の子供は、成人後に特有の神経症的な傾向を示すとい

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    bartleby0911 2009/01/05
    この「差別しつつ連帯し、嫌悪しつつ受け容れる」という背理的なみぶりのうちに社会の「健全」は集約されると私は思う。
  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

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    bartleby0911 2009/01/05
    ふつう私たちがバカなのは、私たちが「りこうの真似をしていない」からではなく、端的に私たちがバカだからである。 そう考えてはじめて「私たちの愚かさの構造」についての吟味が始まる。
  • Seven days in Tibet/松下正己

    updated on 17 oct 2000 Seven days in Tibet matsushita masaki 何故人は、どこかに旅をしたいと思うのだろうか。 その主な理由のひとつとして、旅の目的地である特定の「場所」に生きている不特定の人々に自己を投射=同一化し、束の間その人々の日常的な眼で世界を一瞥してみたい、という欲望に突き動かされることが挙げられるのではないか。 しかしどのように頑張ってみても、結局、旅行者は常に異邦人のままである。その「場所」の日常的な眼差しで世界を眺めることができたとしても、所詮それはほんの僅かな間のささやかな仮想体験にすぎない。 そうしていつのまにか旅は終わり、旅行者は家に帰る。住み慣れた世界、理解できる言葉をしゃべる人々、見飽きた風景。けれどもある時、そこにふいに旅先の視野が重なる。異国の街のにおいが甦る。その一瞬、世界は重なりあい、溶融し、再び分

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    bartleby0911 2008/12/26
    けれどもある時、そこにふいに旅先の視野が重なる。異国の街のにおいが甦る。その一瞬、世界は重なりあい、溶融し、再び分離する。世界は束の間多義的なものとなる。
  • Session Talk with Taguchi Randy

    Session Talk with Taguchi Randy on Levinas and Aikido 2003 19 Dec. in Re-set, Sannnomiya 田口 最近レヴィナスに惹かれているんです。きっかけは、友人の熊野純彦さん(哲学者)がご著書の『レヴィナス入門』というを私に送ってくれたことでした。それまでレヴィナスのことは何も知らなくて、レヴィナスってきれいな名前だななんて思ったくらい。ところが読んでみて、とても興味をもってしまいました。死者に対するレヴィナスの困惑の仕方が、すごく自分と似ているという気がして、とても惹かれてしまったのです。 内田 そうかもしれないですね。他者は死者ですから。 田口 レヴナスは面白いね、という話を晶文社の編集者さんにしたら、レヴィナスならば内田先生ですよと教えられました。内田先生はレヴィナスの翻訳もされ、生前のレヴィナスにもお会い

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    bartleby0911 2008/12/26
    生き残った人間が自分が生き延びたことの理由を「あとづけ」しなければならなくなったとしたら、その人間には仕事は1つしかない。【レヴィナスについて】
  • 若者は連帯できるのか? - 内田樹の研究室

    土曜は愉しい合気道と例会。 日曜は一日校正と原稿書き。 ゲラがどんどん送られてくるので、どんどん送り返す。 この二週間に3冊分再校した。 ということは近々に(たぶん来月)3冊が出るということである。 『橋治と内田樹』(筑摩書房) 『昭和のエートス』(バジリコ) 『街場の教育論』(ミシマ社) 一ヶ月に3冊というのはこれまでにたぶん例がない。「月刊ウチダ」どころか「週刊ウチダ」である。 律儀に買ってくださる方々にはご出費をおかけして、まことに申し訳ない(ほんとにすみません)。 でも、この集中豪雨的な出版が一段落すると、しばらく(たぶん来年の初夏くらいまで)は『知に働けば蔵が建つ』の文庫化以外には新刊は出ないはずである(希望的観測)。 このあとのラインナップは『街場の家族論』『日辺境論』『クリエイティブ・ライティング』二部作。ゲラの山にまみれる生活はまだなかなか終わりそうもない。 『昭和の

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    bartleby0911 2008/12/26
    「『みんなと共有しているもの』を、あたかも『みんなと共有していないもの』であるかのように見せる」という技術の進化によってこの矛盾はとりあえず先送りされているようである。
  • リーダーシップは涵養できるか? - 内田樹の研究室

    ある新聞からの電話取材で「女子大の存在意義」について訊かれる。 東京でお茶の水女子大、奈良女子大、津田塾、東京女子大、日女子大の五大学の学長を集めて、女子大の存在意義についてのシンポジウムが先般あったそうで、それについてコメントを、ということである。 シンポジウムで学長さんたちはどういう結論になったんですかとお訊ねする。 女子大の存在意義は、「女子だけを集めると、男子に依存しない、リーダーシップのある女性を教育することができる」というのが合意点でした、と記者さんは言う。 伝聞であるから、これがそのままシンポジウムの結論だとは思わないが、そういう趣旨を含んでいたとすれば、ずいぶんと貧しい考え方だと言わねばならない。 当然ながら、私はそのようなロジックには同意することができない。 つねづね申し上げているように、私は「リーダーシップ」とか「エンパワーメント」とか「社会進出」とかいうことばで教育

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    bartleby0911 2008/12/26
    リーダーシップと同じように、「サブ・リーダーシップ」や、「リードされるシップ」や、「何かというとリーダーにあやつけるシップ」や、「あとはオレに任せてくれシップ」や、「どっと盛り上がりましょうシップ」や
  • 福翁の「はげしい」勉強法 (内田樹の研究室)

    文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基」と明記し、教える英単語数も4割増とする。 高校の改訂案では英語で教える標準的な単語数が1300語から1800語に増加。同様に増える中学とあわせて3千語となる。中高で2400語だった前回改訂の前をさらに上回り、「中国韓国教育基準並みになる」という。 改訂案は「授業は英語で」を初めてうたった。長年の批判を踏まえ「使える英語」の習得を目指すという。(12月22日朝日新聞) 水村美苗さんの『日語が亡びるとき』を読んで、「英語の言語的一元支配」が「現地語文化」をどのように滅ぼすことになるのかについて暗い予測をしているときに、こういう記事を読まされると、ほんとうに気が滅入る。 すでに現在の日の高校生の英語学力は壊滅的なレベルにある。 それは「文法、訳読中心の授業のせいで、オー

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    bartleby0911 2008/12/25
    外国語は「私がそのような考え方や感じ方があることを想像だにできなかった人」に出会うための特権的な回路である。 それは「私が今住んでいるこの社会の価値観や美意識やイデオロギーや信教」から逃れ出る数少ない
  • 医学書院/週刊医学界新聞 【〔対談〕中腰で待つ援助論(内田樹,春日武彦)】 ( 第2613号 2004年12月13日)

    年9月,弊社より刊行された『死と身体』が,bk1,amazon.comなどのインターネット書店で売り上げトップ10にランクインするなど,大きな反響を呼んでいる。著者の内田樹(うちだ・たつる)氏はフランスの哲学者・レヴィナスの研究者。数年前に『ためらいの倫理学』(冬弓舎)を刊行して以来,映画論,フェミニズム,身体論などジャンルを越えた執筆活動を展開している。医療・看護界では弊社刊『看護学雑誌』2003年1月号のインタビュー「インフォームド・コンセントと医療の呪術性」に登場し,臨床看護師を中心に話題となった。 医療・看護界では異色の存在といえる内田氏の著作の何が,医療職の関心を呼んでいるのか。紙では,内田氏の論に深い共感を覚えているという精神科医・春日武彦氏との対談を企画。その「謎」を追った。 ■「中途半端さ」に耐える能力 「時間」が問題を解決する ――内田先生の『死と身体』,春日先生の『

    医学書院/週刊医学界新聞 【〔対談〕中腰で待つ援助論(内田樹,春日武彦)】 ( 第2613号 2004年12月13日)
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    bartleby0911 2008/12/19
    60数億人それぞれが,誰からも理解が届かない部分を持っているということ自体が,逆に僕たちの世界の共同性,ひいては人間性みたいなものを担保しているんじゃないか。
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