タグ

ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (3)

  • 原発と直接投票――ステークホルダーの観点から - on the ground

    私は政治理論を専攻していて、とりわけ「ステークホルダー」(利害関係者)という概念をテーマにした研究を行っています。企業の意思決定に対するステークホルダーが株主だけでない従業員や消費者、地域社会、環境などを含むように、政治も、法的な権限に根拠づけられないような多様な主体を想定できるのではないか。権利はないが重大な利害関心はある――というように、ステークホルダーという観点を用いることで、デモクラシーの中に存在する様々な「境界線」を問い直すことができるのではないか。大ざっぱに言うと、そうした問題意識から研究をしています。 福島第一原子力発電所の事故とその後の原発をめぐる議論は、まさにこのステークホルダーという観点に多くの対応を持つものでした。風や雨を通じて拡散する放射性物質による汚染は、地理的境界や行政単位の別を飛び越えていきます。原発からどれほど離れようが、どこ/何がどれほど汚染されているか分

    原発と直接投票――ステークホルダーの観点から - on the ground
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2014/01/12
    人民は人民である前に人民にならなければならない。これは「直接投票を控えた社会を舞台とした議論が、どれほど豊かに為されるか」に係っている。そして「構成的な政治への態度表明」の経験はやがて直接民主制へ。
  • 利害関係者と当事者 - on the ground

    以下、拙稿『利害関係理論の基礎』第1章第5節2「利害関係者と当事者」(2008年1月)から、ほぼ全文に近い引用。 日語において、当事者という語彙は、利害関係者よりも日常的に用いられる一方で、法律条文や学問研究、社会運動の現場など多様な文脈で用いられている。だが、そうした多様な文脈、多様な領域で共有される当事者という語彙が示す「当事者性」とは何であるのかについての研究は、利害関係についての研究以上に少ない。 しかしながら、それは、これまで「当事者とは誰か」という問いが発せられることが乏しかったからではない。そうした問いは、女性運動や障害者運動など、主に「運動」の現場で盛んに発せられ、真剣に検討されてきたのであり、それが学問研究の場で当事者研究として反映されることが少なかったに過ぎない。近年では、こうした「運動」の歴史と成果を継承しつつ、学問研究の場で改めて当事者について語ろうとする動き、あ

    利害関係者と当事者 - on the ground
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2014/01/12
    権威や賢者に任せるのではなく、自らの当事者意識に恃んで色々な形の政治参加を模索する。こうした運動は同時多発的なシングル・イシューであっていいし、利害調整は不可避だけど消滅を恐れてまとまる必要はない。
  • 震災という不正義と、2つのメタ・ガバナンス - on the ground

    まもなく私たちは、3月11日という日付を再び迎える。去年のその日は、大きな地震と津波があった。人が沢山死んだ。たくさん、たくさん、死んだ。同じ日に原子炉が壊れ、放射性物質が漏れた。私たちの生活は見えない怖れに汚染され、日常性はひしゃげた。 自らの命や愛する人、住まいを喪った人は不運だった。そう言えるだろうか。河野/金(2012)は、不運(misfortune)と不正義(injustice)を区別することの必要を説く。いわゆる天災と人災に対応させれば解りよいこの区別は、ジュディス・シュクラーに従うものである(Shklar 1992)。シュクラー自身が区別しながらも明確な線引きを避けたように、不運と不正義の違いは、それほど明瞭に得られるわけではない。道歩き、石につまづいて転べば、私たちはそれを不運と嘆けばよい。だが、もし私を忌む人がその石を仕込んだのだとすれば、いかにたわいがなくとも、それは不

    震災という不正義と、2つのメタ・ガバナンス - on the ground
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2014/01/12
    村社会はある意味濃密な政治空間だが、外部のより大きく強い政治や不正義に翻弄されるあまりにそれを不運として片づける他なかった。全体を貫く正義の概念、メタ・ガバナンスの契機、エンパワーメントを如何に導入?
  • 1