1956年 古畑 種基(ふるはた たねもと、1891年(明治24年)6月15日 - 1975年(昭和50年)5月6日)は、日本の法医学者。医学博士[1][2][3]。日本学士院会員[1]。東京大学名誉教授[4]。位階は正三位。科学警察研究所所長を務め、科学捜査の研究に寄与。日本の法医学の草分けの一人である。ABO式血液型の研究に若干の功績を残した。その一方でその鑑定方法は権威主義的であり、冤罪事件を多数作り出した御用学者と見なす向きもある[5]。 経歴[編集] 三重県南牟婁郡相野谷村(現紀宝町)出身。古畑虎之助の次男[1][2]。和歌山中学校、第三高等学校を経て1912年、東京帝国大学(医科)に入学[6]。1916年、同大学を卒業し同大学助手となり1921年、欧米各国に留学した[2]。1923年、医学博士の学位を授与された[3]。 1924年、金沢医科大学教授兼同大学附属医学専門部教授に任