タグ

ブックマーク / aniram-czech.hatenablog.com (10)

  • おれのかんがえたさいきょうのワーク&ライフ - チェコ好きの日記

    ネットや雑誌でたまに見かける情報商材みたいなやつの広告は、眺めてみるとけっこう面白い。わりと適切に、世相を反映している気がする。 一昔前、それは札束風呂に美女と入浴しているおっさんであった。あれは情報商材というよりパワーストーン系だった気もするが、「いいよねえ、札束風呂に美女と入浴、ほんといいよねえ」と見ると感心してしまう。しかし、最近はさすがに札束風呂のおっさんは下品だしギラギラしすぎと思われるようになったのか、そういった広告もあまり見かけなくなった。 ここ最近は、そんな札束風呂のおっさんよりも、もう少しスマートな広告が流行っている気がする。この前見かけたやつは、「世界を旅しながらネットで稼いじゃおう」というやつであった。青い空、青い海、白い砂浜、絶景、MacBook、そして俺。いいよねえ、ほんといいよねえ。「おばちゃんが入ったら以降、そのカフェはおしゃれではなくなり、廃れる」なんてひど

    おれのかんがえたさいきょうのワーク&ライフ - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2017/08/04
    “おばちゃんが入ったら以降、そのカフェはおしゃれではなくなり、廃れる」なんてひどい話もあるけれど、情報商材に使われるようになったらそのイメージはもう末期だ”
  • 東京墓情 - チェコ好きの日記

    7月23日まで、銀座のシャネル・ネクサスホールにて荒木経惟の個展「東京墓情 荒木経惟×ギメ東洋美術館」が開催されている。私は学生時代、アラーキーの写真集を図書館でよく眺めていたけれど、そういえば個展に行ったことはなかった。 「東京墓情」は、大病を経験した氏の独自の死生観が反映されているとの触書きだったが、「生」とか「死」みたいなことは正直よくわからなかった。 東京墓情 荒木経惟×ギメ東洋美術館 Nobuyoshi Araki, "Tombeau Tokyo", 2016, gelatin silver print © Nobuyoshi Araki / Courtesy of Taka Ishii Gallery ポートレイト 私の中で最近(?)のアラーキーの仕事といえば、村上春樹である。この写真も、今回の個展で公開されている。『職業としての小説家』の表紙になっているポートレイトだ*1。

    東京墓情 - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2017/07/14
    “人が語る言葉は、時代や場によって決まる。だからやっぱり、「自分の言葉」なんてないんだろうな、と思う”
  • 【中東旅行記/2】精神的な余裕がないときにする「何か」。 - チェコ好きの日記

    先日、とある方から質問を受けて、「おお、そうか!」と思ったことがあります。 その方は、「(あなたがやっているような)旅行とか芸術鑑賞とかっていうのは、精神的な余裕があるからできることですよね? 精神的な余裕を保つために、何か心がけていることはありますか?」というような内容のことを、聞いてきてくれたんです。 私が精神的な余裕を保つために心がけていること……結論からいうと、なーんもないです。心がけたって余裕ないときは余裕ないし、あるときはあり余るくらいあります。精神的なものは、自分の心がけ次第でコントロールできるものじゃないと思うんですよね。だって、落ち込まない人とかいないじゃないですか。まあ、上手に気分転換する方法くらいはみんなそれぞれあるのかもしれないけど、それでいうと私は「とりあえず寝る」ですね。夜10時くらいに小学生のごとく寝ます。 では、私は精神的余裕があるときを見計らって旅に出て、

    【中東旅行記/2】精神的な余裕がないときにする「何か」。 - チェコ好きの日記
  • 『クラブカルチャー!』/「意味」から「強度」へ、音韻から音圧へ - チェコ好きの日記

    私は昔から音楽の話をするのが苦手で、理由の1つはたぶん、歴史がわからないからです。文学史は高校の世界史とか日史でやるし、映画史はを数冊読めば事足りるし、美術史もどっかから出てる「西洋美術史」と「日美術史」ってタイトルがついている2冊を読めばだいたいはわかる気がします。でも音楽って、ジャンルが細かすぎて全体像が把握できないんですよね。というか全体像を把握する必要なんてないのかもしれないけど、私はなんか、おっきい枠が見えないと「え? これ合ってる?」みたいなかんじで不安になります。 あとは、〈言語による解釈〉ができないからなんだと思います。小説や評論はそのまま書いてあることを解釈すればいいから、私にとってはいちばん簡単。次点は、セリフがあって、一時停止ボタンを押せば情景描写ができる映画です。写真やマンガもここに入りますね。次が美術で、これも今目に見えているものを描写すればいいから、なんか

    『クラブカルチャー!』/「意味」から「強度」へ、音韻から音圧へ - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2015/07/18
    "物語という「意味」をもったものから、意味をもたない「強度」重視の型へ音楽が変化した、ということです"
  • 刺激と不幸を求めてしまうのはなぜ? 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 - チェコ好きの日記

    「なんとなく退屈だ」。 これは最近の私の感想でも地方の若者の感想でも東京のOLや女子大生の感想でもなく、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーが「退屈の第三形式」として提示した、最も深い「退屈」の形態です。しかしそう難しく考えなくても、「なんとなく退屈だ」、この思いを人生で一度も抱いたことのない人なんていないでしょう。毎日が充実していないわけじゃない、楽しいことがないわけじゃない、友達がいないわけじゃない、それなのに「なんとなく退屈だ」。気晴らししようにもどうも気分が晴れない。 人間はなぜ「退屈」するのか、「退屈」はどこから生まれるのか、「退屈」から逃れる方法はあるのか? そんなことを考えるのに役立つのが、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』です。このすごく面白かったので、今回はこれの感想文を書きます。 暇と退屈の倫理学 作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2011/10/

    刺激と不幸を求めてしまうのはなぜ? 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2015/01/06
    “人間は「幸福」なんて求めていない。これが真実だとしたら驚くべきことですが、本書はだからといって「不幸に憧れてはならない」、不幸への憧れを回避するために「暇と退屈の倫理学」を考えなければならない”
  • 「好き」「嫌い」をこえた芸術鑑賞法があるとしたら - チェコ好きの日記

    下記の記事を読みましたー。 けいろー(id:ornith)さんの、「良い」「悪い」が分からないので「好き」「嫌い」で考えるという美術館の楽しみ方はまったく正しくて、というか正しいとか正しくないとかそもそもないので、反論というわけではなく、補足です。 なお、後半は元記事をはなれて話がとんでもなく飛躍しておりますので、ご注意ください(けいろーさんごめんなさい)。 「好き」「嫌い」のその先 美術、映画小説、その他諸々のさまざまな芸術作品を鑑賞するとき、けいろーさんがいうように、基的には「好き」とか「嫌い」とか「面白い」とか「つまんない」とか、そういった基準で考えてOKだと私も思います。知識があればもっと面白い発見ができるかもしれないけど、それは絶対ではありません。 でも、このブログでいつも美術やその他諸々の芸術作品のことをエラソーに取り扱っている私としては、これを読んでくれているみなさんには

    「好き」「嫌い」をこえた芸術鑑賞法があるとしたら - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2014/12/19
    「すげえ!俺もやりたい!」か「たいしたことない、こんなもん俺でもできる!」というのが「あなたのためだけのメッセージ」を受信した証拠と思っています。
  • もうすぐ絶滅するという芸術の未来について - チェコ好きの日記

    岡田斗司夫さんのメルマガがけっこう好きで、毎朝配信されるたびに読むのが日課になっているんですけど、今回はそのメルマガと、最近読んだの感想です。私が考えた「芸術」というものの未来について、ぐだぐだと語ってみようかなと思います。 というわけで題ですが、以下は、「好きな美術作品はありますか?」という質問に対して、岡田さんがメルマガ内で回答した内容です。強調部分は私が勝手に太字にしています。 ニューヨークも行ったときに、メトロポリタン美術館へ行ったんだよ。まあ当に退屈で、一直線に入って、グーグルマップで見たら、メトロポリタン美術館の真ん中辺まで行ったから、一直線に帰ってきたんだよね。それぐらい、何の興味もない。 「上手な絵に何の価値があるの?」って思っちゃう。そんなものより、あるアーティストや工芸家たちが考えて、「こうやれば早く飛ぶんじゃないか?」「いっぱい人を乗せれるんじゃないか」「いっぱ

    もうすぐ絶滅するという芸術の未来について - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2014/12/10
    “「ストリートビューでいいじゃん」と考える人たちの勢いを止める自信は正直なところ、なかったりもします””積み重ねられた歴史とコンテクストを読まなければならない「芸術」は、もうすぐ終わるかもしれない”
  • 村上隆『芸術闘争論』から転じて、文章の”圧力”の話。 - チェコ好きの日記

    先日、現代美術家の村上隆の『芸術闘争論』というを読んだらとても面白かったよーという内容の話を先走って書いてしまったのですが、今回はこのの感想を、もう少しがっつり書いてみようかと思います。 個人的には、現代アートに興味のない人でも、私がタイトルにあげた”圧力”という言葉にピンときた方にはぜひ読んでほしいなぁというです。 「ウケる」ための作品作りはダメなのか? まず村上隆というアーティストに対する私の勝手なイメージは、「美術界での嫌われ者」でした。美大生なんかにアンケートをとると、「嫌いなアーティスト」として名前が上がることが多いみたいな、そんな印象です。 参考:好きなアーティスト、嫌いなアーティスト2 - Ohnoblog 2 私自身は、彼の作品自体は正直見ても何とも思わないというか、「好きなわけでも嫌いなわけでもない」といったかんじ。でも、なぜ彼の作品がこんなふうに嫌われてしまうのか

    村上隆『芸術闘争論』から転じて、文章の”圧力”の話。 - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2014/11/21
    “「作品自体」が重要でコンテクストは不要なんだ、というのが誠実な態度なのか、あるいは「作品自体」が重要でないわけではない、でもコンテクストありきで重要度がわかるのだ”
  • 語らなければ、伝わらない。のか? - チェコ好きの日記

    今、村上隆の『芸術闘争論』というを読んでいるんですが、これがとても面白いです。いずれまた別の機会にがっつりとした感想文を書きたいと思っているのですが、今回はこれを読んで考えた、ちょっと軽めのことをメモしておきます。 マルセル・デュシャンの呪い マルセル・デュシャンの便器が変えたもの - (チェコ好き)の日記 マルセル・デュシャンについては過去のエントリでも何回か書いているんですが、最近いろいろなことを考えるにあたって、デュシャンの『泉』がやってしまったことって当に大きかったんだなぁというか、デュシャン以降の現代美術ってもうこの「呪い」にかかってしまっているんですよね。「美しいとは何か」とか、「自分の手で創造するものが芸術である」とか、そういった芸術に関する神話を全部壊してしまったのがこの『泉』で、現代美術は初心者が見てもすぐ”わかる”ものではない、何層にもなった歴史を読み解かなければな

    語らなければ、伝わらない。のか? - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2014/11/21
    “語られないものは組み込まれない。何をやろうとしているのかわからないから、評価できない。「当事者によって語られない」こと、それは現代の世界において大きなマイナスです。それが悪いという意味ではなくて”
  • 人生相談はなぜ面白いのか 「悩みのるつぼ」〜岡田斗司夫編〜 - チェコ好きの日記

    人生相談。調べたことがないのでわかりませんが、おそらくその歴史はとても古いものなのでしょう。かつてお昼にみのもんたがやっていた生電話はもちろん、キリスト教における「懺悔」も、一種の人生相談と思えなくもありません。古今東西老若男女、人は実にさまざまな悩みを抱えているものです。これから先、どんなにテクノロジーが発達しても、人類がそこにいる限り人は「人生相談」をやめないし、持ち込まれた「人生相談」にのる人も、どこかに必ずいることでしょう。 では、現代日におけるもっとも面白い「人生相談」とは何かというと、(おそらく)それは朝日新聞に掲載されている「悩みのるつぼ」です。読者のお悩みに回答するのは岡田斗司夫に上野千鶴子、美輪明宏に金子勝……そのうち、書籍化されている岡田斗司夫の『オタクの息子に悩んでいます』と上野千鶴子の『身の下相談にお答えします』を読んだので、今回はそれの岡田斗司夫のほうの感想です

    人生相談はなぜ面白いのか 「悩みのるつぼ」〜岡田斗司夫編〜 - チェコ好きの日記
    footwork_x
    footwork_x 2014/05/31
    “「悩み」は「悩み」のままだととても苦しいので、対処可能な「問題」に変換することが大切です。「問題」に変換できない不安や怖れは、対処不可能なので忘れるしかありません。”
  • 1