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歴史と宗教に関するhungchangのブックマーク (6)

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    hungchang
    hungchang 2016/01/26
    国家神道化まとめ
  • 「ネヲチ界のケルベロス」と呼ばれたころのkanoseを知らない人間は

    幸せだ。 無垢そうなヨークシャー・テリアである彼をただ愛でていればいい。 でも私達は覚えている。 狂犬のひきつった嘲笑を。 血に塗れた牙の鈍光を。 昔は誰もが知っていたのに、今となってはもう存在すら忘れ去られてしまったidたちの断末魔を。 人は彼ははてな村の村長だと言う、あるいは長老だと言う。誰もが畏敬する。 なぜだ? ただ古参だというだけで、ただ居座った、意地汚く居残ったというだけでそこまで? 間違えるな。彼は居座ったのでも居残ったのでもない。 「生き残った」のだ。 かつて、はてなは戦場だった。今となってはもう語るものすらいないほどの昔の話だ。だが事実だ。 そこは天上の地獄だった。毎日がだんじり祭だった。憎しみが連鎖し、血が血であらわれ、idコールは果し状がわりの白い手袋、マッチョがウィンプのケツを掘り、非モテどもには要は勇気がなかった。そんなキリング・フィールドで「ただ生き残る」ことが

    「ネヲチ界のケルベロス」と呼ばれたころのkanoseを知らない人間は
  • 「ピラミッドは宗教施設」墓説否定…吉村作治氏 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    のエジプト考古学の第一人者、東日国際大学の吉村作治副学長は6日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、約50年間続けてきた発掘調査を踏まえ、王の墓とされてきたピラミッドについて自説を披露した。 吉村さんは「ピラミッドで発掘調査が行われた時、石棺とされる石の箱にミイラも副葬品もなかった」と指摘し、「墓説」を否定。「神が降りてきて、人々がお祝いする宗教施設、日でいえば神社」と推測した。ピラミッドの近くの地下で見つかった「第2の太陽の船」の発掘や復元の様子も紹介した。

    「ピラミッドは宗教施設」墓説否定…吉村作治氏 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hungchang
    hungchang 2015/03/07
    「ピラミッドで発掘調査が行われた時、石棺とされる石の箱にミイラも副葬品もなかった」「神が降りてきて、人々がお祝いする宗教施設、日本でいえば神社」
  • 1707年グレート・ブリテン連合王国成立に至るスコットランド・イングランド対立の歴史

    スコットランド王国成立前史およそ八世紀頃までにスコットランドには主に五つの民族が定住するようになった。ピクト人、スコット人、アングル人、古代ブリトン人、ノース人である。他にもノルウェー人やデンマーク人なども移住してきており、それぞれ複数の王国、部族に分かれて争っていたが九世紀半ばにスコット人のダルリアダ王ケニス・マカルピンがピクト人を支配下に治め(あるいはスコット人とピクト人の統合によって)アルバ王国が成立し1034年までに諸民族を糾合、十二~三世紀頃までには現在のスコットランドにあたるブリテン島の北半分にはスコット人の王に従う統一王権スコットランド王国が誕生していた。 1066年、ノルマン・コンクエストによってノルマン朝が誕生すると、スコットランド王国との間で幾度かの戦闘ののち、友好関係が成立した。デイヴィッド1世(在位1124~53)の代に先進的なイングランドの国制に倣って封建制の導入

    1707年グレート・ブリテン連合王国成立に至るスコットランド・イングランド対立の歴史
  • 『日ユ同祖論は「英ユ同祖論」が下敷き?』

    新時代のキリスト教 ★ ★ ★ ★★★★★      ひとつの時代が終わり ★★★★       新しい時代が幕を開ける ★               闇から光へ! 「内なる光」「真我(内なるキリスト)」との出会いによる新生 日歴史には「日ユ同祖論」どころかユダヤという言葉さえ、どこを探しても見当たらない。この「日ユ同祖論」が始めて日に登場したのが、『日古代史の縮図』 長崎日の出書房、1878年(明治11年)である。 著者は明治期に貿易商として来日したスコットランド人のN・マクラウド(Nicholas McLeod)で、日と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱した。 マクラウドはなんでも「失われた10支族」と結びつけるいい加減な人物であったと結論する人がいるように、後に「韓ユ同祖論」も唱えていた。 N・マクラウドの国イギリスでは、エドワード・ハ

    『日ユ同祖論は「英ユ同祖論」が下敷き?』
    hungchang
    hungchang 2014/08/03
    失われた10部族の一つだとしながらも、日本史上に該当する記述は皆無、10部族候補も数えきれないほど、と。明治初期からと思った以上に歴史が古いが、思った程度の根拠しかない模様。キリストの墓もここからなのか。
  • 靖国神社って何? 「参拝」何が問題?/首相は「国に殉じた人に尊崇の念を」言うが…

    安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐって、NHKなど一部のメディアが「『不戦の誓い』をした」などという首相の説明を無批判に流しています。靖国神社とは何か、首相の参拝がなぜ世界から厳しい批判をあびるのか、問題の根を説き明かした報道はほとんどみられません。靖国神社のそもそもを知れば、首相の参拝が「内政問題」や「内心の自由」では絶対に片付かない、深刻な問題であることがはっきり見えてきます。 戦前・戦中はどんな施設 戦争動員の精神的支柱 靖国神社は、明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府側との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人をまつるために創建された「東京招魂(しょうこん)社」が前身です。79年に「靖国神社」へと改称。「別格官幣(かんぺい)社」という特別の社格を与えられ、国家神道の中心的神社と位置づけられました。 一般の神社とは異なり旧陸軍、海軍両省が管理する軍事的宗教施設でした。明治維新

    靖国神社って何? 「参拝」何が問題?/首相は「国に殉じた人に尊崇の念を」言うが…
    hungchang
    hungchang 2014/01/11
    「「靖国の英霊」になることを最大の美徳として宣伝」よく語られがちだけどかなり懐疑的。祟りが出ないように祀る神社の意義に大きく反する。ただ明治政府の宗教への無理解を考えるとありえないとも言い切れない。
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