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ブックマーク / www.zen-essay.com (4)

  • 紙が、ない。 - 禅の視点 - life -

    紙が、ない。 少し焦っていた。 8時には出発しないと間に合わない仕事があるのに、もう7時55分。 しかも自分の家ではなく、とある知人の寺院のトイレの中にいる。 出そうで出ないという難敵と格闘した末に、どうにか出すことができたところだ。 登山では、準備段階における排便の有無が死活問題に直結するという笑い話のような笑えない話を聞いたことがあるが、何も排便の有無は登山時のみ重要となるわけではない。 日常生活においても、朝、出発前にきちんと排便できていると気持ちがスッキリする。さあ、これで心置きなく全力投球できるぞという気持ちになる。 そういう意味では、今日のスタートは良好であると言えた。 難敵ではあったものの、最後には倒すことができたのだから。 ウォシュレット機能を備えた見るからに最新の便器だったので、「おしり」と書かれたボタンを押したのが10秒ほど前のこと。 私はここで自分が「ある問題」に直面

    紙が、ない。 - 禅の視点 - life -
    hungchang
    hungchang 2018/07/18
    「紙がない。久しぶりだ、この感覚は。懐かしさすら込み上げる。 もう何年ぶりだろう」「いかん、いかん。 そうではない。それどころではない。そんなことを考えている場合ではないぞ。 時間がないのだ。あと、紙も」
  • 「世知辛い」ってどういう意味?【身近な仏教用語】 - 禅の視点 - life -

    「世知辛い」はもともと仏教用語 なんというか、世知辛い世の中である。 普段の会話で耳にする機会は少ないが、文字やセリフとしてはときどき見聞きする「世知辛い」。 「よちがらい」ではなく、「せちづらい」でもなく、「せちがらい」。 間違えると恥ずかしい。 この世知辛いという言葉を聞くと、なぜか砂ばかりの乾燥しきった砂漠を想起してしまう。 暮らしにくさを感じさせる言葉だから、生きることが苛酷な環境である砂漠を連想してしまうのか自分でもよくわからないが、なぜか不毛の大地をイメージしてしまう。 打算の都会と不毛の砂漠ではだいぶイメージが違うはずなのだが……。自分でもよくわからない。 まあ、イメージは各人それぞれ異なれど、世知辛いと言われればなんとなく生きづらい世の中を指しているのだろうということはわかる。 しかし、この「世知辛い」という言葉がどのような意味なのかと、あらためて問われると返答しにくいので

    「世知辛い」ってどういう意味?【身近な仏教用語】 - 禅の視点 - life -
    hungchang
    hungchang 2018/05/01
    世知とは俗世間の知恵、辛いは傾向が高まっているの意味であり、計算高さが必要とされる世の中を指す、と。最後の上手いこと言ってる感。
  • 天上天下唯我独尊の本当の意味【身近な仏教用語】 - 禅の視点 - life -

    作:仏像彫刻師 真野明日人「釈迦誕生仏像」 出典:仏像彫刻 MANOWORKS http://www.manoworks.com 天上天下唯我独尊の意味とは? 仏教を説いた創始者であるブッダには多くの伝承が残っている。 そうした伝承から生まれた仏教用語が社会一般の言葉として定着し、現代においてもごく普通に使われているというケースも存在する。 たとえば「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」という言葉もそのうちの1つ。 これは、もともとはブッダの出生にまつわる伝承から生まれた仏教用語なのである。 じつはブッダには、生まれた直後に自らの足で7歩歩いたという驚きの伝承が残っている。 四つん這いでのハイハイではない。足で大地を踏みしめて歩いたらしい。 サバンナなどに生きる野生動物なら出産直後に歩くことも可能だろうが、いくらなんでも生まれたばかりの人間の赤ん坊には無理だろう。 まあ、

    天上天下唯我独尊の本当の意味【身近な仏教用語】 - 禅の視点 - life -
    hungchang
    hungchang 2018/01/10
    「自分が一番だと言っているのではなく、世界に存在する人は1人ひとりみな尊い存在であるという感興の言葉」「比較をして優秀だったほうを「とうとぶ」のが「貴い」で、比較をしないでも「とうとぶ」のが「尊い」」
  • 「図に乗る」の図とは、この図のこと - 身近な仏教用語 - - 禅の視点 - life -

    【図に乗る】身近な仏教用語の意味 「図に乗る」という言葉は、もとはお経の唱え方にちなんだ仏教用語なのだが、僧侶以外でこのことを知る人はまずいないと思われる。 通常、お経というものには音階がなく、節も付けずに一調子で唱えられることが多い。 『般若心経』などでも 「カンジーザイボーサーギョウジンハンニャーハーラー……」 と、棒読みというのか、一調子で唱える。 どう聴いても唄うという感じではない。 同じ高さの音階をキープして唱え、高くなったり低くなったりといった音階はつけないのがお経の一般的な唱え方であり、たぶんほとんどの人にとってお経といえばそんなイメージが定着しているのだと思う。 音階のあるお経 だが、ごくまれに一部のお経では、音階や節をつけて唱える特別な作法というものが存在する。 それが「声明(しょうみょう)」や、「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれる読経である。 これらの独特なお経の唱え方は

    「図に乗る」の図とは、この図のこと - 身近な仏教用語 - - 禅の視点 - life -
    hungchang
    hungchang 2017/01/08
    「経典に描かれたこの図を見ながらお経を唱え、図のとおりに上手く唱えることができれば、「図に乗れていた」と誉められることがあった。 つまりが、「図に乗る」とは褒め言葉だったのである」
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