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考え方と内田樹に関するkk831のブックマーク (13)

  • 日本はこれからどこへ行くのか - 内田樹の研究室

    先日若い研究者たちと話したときに、自分の立ち位置はどこかということが話題になった。私は自分の立ち位置を「大風呂敷を広げること」だと思うと言った。「屋」、人はそれぞれ自分の得意なスタイルで研究すればよいのではないかと申し上げた。 私は若いときからいつも「ウチダの論文は、話は面白いが論証が雑だ」と批判され続けてきた。その通りなので反論したことがない。でも、「面白い話」を思いつくと、どうしても黙っていることができないのである。 助手の頃、フランスの文芸理論家モーリス・ブランショがナチ占領下のパリで出した『文学はいかにして可能か?』という文体論を「検閲を逃れるために暗号で書いた自らの30年代の政治活動に対する総括」だという仮説から逐語的に読み直すという大風呂敷論文を書いたことがあった。学界では「バカなことを言うな」と一笑に付されたが、その後ブランショ自身が「あれは暗号で書いた政治論文である」

    kk831
    kk831 2016/03/15
    「変化してよいものと変化してはいけないもの」
  • 言論の自由について再論 - 内田樹の研究室

    「言論の自由」について思うことを述べる。 繰り返し書いていることだが、たいせつなことなので、もう一度書く。 言論の自由とは 私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。 その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。 ただそれだけのことである。 だが、ほとんどの人は「言論の自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件を言い落としている。 私は「言論の自由」が持続可能な社会的規範であり続けるためには、後段の条件が不可避であろうと思う。 「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件のどこがそれほど重要なのか。 それはこの条件が「敬語で書かれていること」である。 それは擬制的に「理非の判断を下す方々」を論争の当事者よりも「上に置く」ということである。 「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの

  • 週刊プレイボーイインタビュー記事 - 内田樹の研究室

    週刊プレイボーイから『街場の戦争論』についてのインタビューを受けた。 かなり長い行数を割いてくれたので、こちらに転載。 “”人襲撃でも以前取り上げた白井聡氏の『永続敗戦論』や赤坂真理氏の『愛と暴力の戦後とその後』、そして矢部宏治氏の『日はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』など、ここ最近、日の戦後史を再検証するが数多く出版され、大きな注目を集めている。 今回紹介する内田樹氏の最新刊『街場の戦争論』もまた、「日の戦後史」や日人の「戦争観」に、独自の角度から切り込んだ、話題の一冊だ。 現代フランス哲学の研究者でありながら武道家としての顔も持つ内田氏は、昨年末から今秋にかけて10冊以上という驚異的なペースで著書を刊行するが、なぜ今、「戦争論」をテーマに選んだのか? 神戸にある自宅兼道場「凱風館」で話を聞いた。 黙して語らぬ戦中派と断絶された歴史の罠 ――『街場の……』シリーズ

  • 農政について - 内田樹の研究室

    JAの雑誌に農政について書いた。これもふつうの方はあまり手に取る機会のない媒体なので、ここに採録しておく。 糧安保とグローバルビジネス 現在の日の状況をおおづかみに表現すれば、「過経済化」という言葉で形容することができる。 すべての政策や制度の適否が「収益」や「効率」や「費用対効果」という経済用語で論じられている事態のことである。 経済を語るための語彙を経済以外の事象、例えば政治教育や医療のありかたについて用いるのは、用語の「過剰適用」である。 むろん、ある領域の術語やロジックがそれを適用すべきでない分野にまで過剰適用されることは、歴史的には珍しいことではない。過去には宗教の用語がそれを適用すべきではない分野(例えば外交や軍事)に適用されたことがあった(十字軍がそうだ)。政治の用語がそれを適用すべきではない分野(例えば文学)に適用されたことがあった(プロレタリア文学論というのがそうだ

  • 毎日新聞のインタビュー - 内田樹の研究室

    3月5日の毎日新聞朝刊にインタビューが載りました。 お読みでないかたのためにオリジナル原稿をアップしておきます。ちょっと紙面とは文言が変わっているかも知れませんが大意はそのままです。 ー中国韓国との関係改善が進まず、米国も懸念しています。 内田 長い歴史がある隣国であり、これからも100年、200年にわたってつきあっていかなければならないという発想が欠けている。安倍政権は外交を市場における競合他社とのシェア争いと同じように考えているのではないか。韓国中国との「領土の取り合い」と経済競争における「シェアの取り合い」は次元の違う話だということを理解できていないように見える。 昨年12月の靖国神社の参拝も、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移転先の名護市辺野古への埋め立てについて沖縄県知事との話し合いがついた直後に行われた。米国に「貸し」を作ったので、今度は米国が厭がることをする「権利」が発

  • 従属と謝罪について - 内田樹の研究室

    朝日新聞に「安倍首相の靖国参拝」についてコメントを求められたので、すこし長めのものを書いた。もう掲載されたので、ブログでも公開することにする。 東京裁判は戦後日に対して二つの義務を課した。 一つは、敗戦国として戦勝国アメリカに対して半永久的に「従属」の構えをとること。 一つは侵略国としてアジアの隣国(とりわけ中国韓国)に対して半永久的に「謝罪」の姿勢を示し続けること。 従属と謝罪、それが、東京裁判が戦後日人に課した国民的義務であった。 けれども、日人はそれを「あまりに過大な責務」だと感じた。二つのうちせめて一つに絞って欲しいと(口には出さなかったが)願ってきた。 ある人々は「もし、日人に対米従属を求めるなら、日がアジア隣国に対して倫理的疚しさを持ち続ける義務からは解放して欲しい」と思った。別の人々は「もし、東アジアの隣国との信頼と友好を深めることを日に求めるなら、外交と国防に

  • 特定秘密保護法案について(その3) - 内田樹の研究室

    特定秘密保護法案について、朝日新聞の取材があった。紙面に出るのは話したうちのごく一部になると思うので、これまで書いてきたこと以外のことについて話した部分を追記する。 これまでの話をおさらいしておく。 ・特定秘密保護法案が秋になって突然出てきたのは、5月の「改憲の挫折」に対する「プランB」としてである。 ・改憲による政体の根的な改革が不可能になったので、それを二分割して「解釈改憲による集団的自衛権の行使=憲法九条の事実上の廃絶」と、「特定秘密保護法案によるメディアの威圧=憲法21条の事実上の廃絶」という改憲の「目玉」部分だけを取り出した。 ・改憲は「東アジアの地政学的安定を脅かすリスクがある」せいで、アメリカ中国韓国もステイクホルダーのすべてが否定的だったが、改憲を二分割した場合、「九条廃絶による米軍の軍事行動への加担」にはアメリカが反対せず、「21条廃絶による国内の反政府的言論の抑圧

  • 学校教育の終わり - 内田樹の研究室

    大津市でのいじめ自殺、大阪市立桜宮高校でバスケットボール部のキャプテンの体罰自殺など、一連の事件は日の学校教育システムそのものがいま制度疲労の限界に達していることを示している。 機械が壊れるときは、金属部品もプラスチックもICもすべてが同時に劣化する。それに似ている。学校教育にかかわるすべてが一斉に機能不全に陥っている。 これを特定のパーツを取り替えれば済むと考えている人は「どこが悪いのか?」という「患部」を特定する問いを立てようとする。だが、それは無駄なことだ。日の学校制度はもう局所的な手直しで片付くレベルにはない。 「日の学校制度のどこが悪いのでしょうか」と訊かれるならば、「全部悪い」と答えるほかない。 けれども、学校教育は「全部悪い」からといって、「全部取り替える」ことができない。自動車なら、新車が納車されるまで、バスで通う、電車で通うという代替手段があるが、学校にはない。新し

  • 幼児化する政治とフェアプレイ精神 - 内田樹の研究室

    できたばかりの石原慎太郎の太陽の党が解党して、橋下徹の日維新の会と合流。太陽の党との合流話を一夜で反古にされた河村たかしの減税日は「減税の看板をはずしたら仲間にいれてやる」と恫喝されて落ち込んでいる。渡辺喜美のみんなの党は維新への離党者が続出しているが生き延びるために維新との選挙協力の方向を探っている。 いわゆる第三極政局は「あの業界」の離合集散劇とよく似ている。 党名を「なんとか組」に替えて、笠原和夫にシナリオを書いてもらったらずいぶん面白い映画ができそうである。 残念なのは、登場人物の中に感情移入できる人物がひとりもいないことである。 状況的には河村たかしと渡辺喜美が『総長賭博』の中井信次(鶴田浩二)や『昭和残侠伝・人斬り唐獅子』における風間重吉(池部良)の役柄に近い「引き裂かれ」状態にある。甘言を弄しあるいは恫喝を加えて縄張りを奪おうとする新興勢力に抗して、なんとか平和裏に組を守

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    kk831 2012/11/19
    「敗者に敬意をもたれるような勝ち方」
  • ビジネスマインデッドな行政官について - 内田樹の研究室

    橋下徹大阪市長が文楽協会への補助金打ち切りの意向を示してから、「儲からない芸能」を行政が支援することの可否について議論がなされている。 市長が文楽協会の個人的なオーナーであり、彼が経費を支出している立場であるなら、「採算不芳部門は切る」という発言をすることは経営判断として合理的である。 だが、彼は文楽協会の経営者ではない。 地方自治体の首長である。 当たり前のことを確認するけれど、自治体行政はビジネスではなく、自治体の首長は経営者ではない。 にもかかわらず、自治体の首長が予算執行を「経営者感覚」で行っていることを誰も「変だ」と言わない。 私は「変だ」と思う。 誰も言わないようなので、言わせて頂く。 行政官はビジネスマンではない。 「もう少しビジネスマインドがある方が望ましい」という要求はありうるが、そういう言葉はふつう「ビジネスマンではない人間」にしか使われない。 行政は税金で運営されてい

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    kk831 2012/07/30
    管理部門とは
  • 相互扶助と倫理について - 内田樹の研究室

    片山さつき議員による生活保護の不正受給に対する一連の批判的なコメントが気になる。 「相互扶助」ということの義に照らして、この発言のトーンにつよい違和感を持つのである。以下は朝日新聞の報道から。 人気お笑いコンビ「次長課長」の河準一さんの母親が生活保護を受けていたことが、週刊誌報道をきっかけに明らかになった。4月12日発売の週刊誌「女性セブン」が最初に匿名で報じた。「推定年収5千万円」の売れっ子芸人なのに母親への扶養義務を果たさないのは問題だ、と指摘した。翌週にはインターネットのサイトが河さんの名前を報じ、今月2日に自民党の片山さつき参院議員が「不正受給の疑いがある」と厚生労働省に調査を求めたことをブログで明かすと、他の週刊誌や夕刊紙が相次いで取り上げた。 報道を受け、所属事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシーは16日、コメントを発表。河さんの母親が生活保護を受けていたことを認

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    kk831 2012/06/11
    「簡単に説明できない事態」への態度
  • 日本のメディアの病について - 内田樹の研究室

    フランスの雑誌 Zoom Japon から「日のメディアについて」寄稿を求められた。 フランス人に日のメディアの劣化の病態とその由来について説明する仕事である。 どんなふうに語ったらよいのか考えた。 とりあえず人間の成熟とメディアの成熟は相同的であるということで説明を試みた。 こんなふうな言葉づかいで日のメディアについて語る人はあまりいないが、それは「外国人に説明する」という要請を私たちがものを書くときにほとんど配慮することがないからである。 いつもそうである必要はないが、ほんとうに死活的に重要な論件については、自分の書いたことが外国語に訳されて、異国の人々に読まれたときにもリーダブルであるかどうかを自己点検することが必要だと私は思う。 ではどぞ。 2011年3月11日の東日大震災と、それに続いた東電の福島第一原発事故は私たちの国の中枢的な社会システムが想像以上に劣化していることを

    kk831
    kk831 2012/02/05
    “生き延びるためには複雑な生体でなければならない。変化に応じられるためには、生物そのものが「ゆらぎ」を含んだかたちで構造化されていなければならない。”
  • 甲野先生の最後の授業 - 内田樹の研究室

    甲野善紀先生を学の特別客員教授にお招きして3年。この年度末で任期満了となる。 2月1日から3日までの集中講義が甲野先生の学における最後の授業である。 ご挨拶に伺い、お稽古に加えて頂く。 ずいぶん多くの学生たち(および「にぎやかし」の合気道部員、杖道会員、OG、甲南合気会員)がミリアム館にひしめいて、さまざまな身体技法をあちこちで試みている。 甲野先生の講習会はだいたいこういうかたちで、「全級一斉」という指導法はなされない。 ひとりひとりが自分のペースで、自分の選んだ課題を試みる。だいたい数人のグループになって教え合ったり、批評し合ったりする。そのグループも固定していない。甲野先生が何か違うことを始めると、自然に解体して、また違う人たちとのグループが出来る。 自分の身体の内側で起きていることを「モニター」するというのが、稽古の基であるから、外的な規制はできるだけ行わず、ひたすら自分の内

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