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admonitionと目から鱗に関するkuenishiのブックマーク (5)

  • 「Why?」と言えない日本

    先日、たまたまティーンエージャー(13~19才)の子供を持つ親のための講習会に出る機会があったのだが、そこで『二つのWhy』という話を聞いた。日語にも若干通じる部分があるので、今日はそれに関する英語うんちく。 その講師は、親はティーンエージャーの「Why」には二種類あるので注意すべき、と主張する。一つは単なる質問の「Why」で、この場合は普通に答えて良い。もう一つが、こどもが自分が何かを拒否したい気持ちを伝えたくて「Why」と言っている場合。この場合に、その気持ちを理解しておきながら、理屈だけで納得させようとすると泥沼にはまってしまう、と指摘するのだ。 良い例が登校拒否のこども。親が「学校に行きなさい」というと「なぜ学校にいかなければいけないの?」と言い返してくる。そこで親としてはつい「ちゃんと学校を卒業しなければ、ちゃんとした会社に就職できないんだよ」などと答えて説得を試みたくなるのだ

  • 「状況作為型」と「状況対応型」 - ミリ屋哲の酷いインターネット

    さて、米国産牛肉の話題もだいぶ落ち着いた感がある昨今。とりあえず全頭検査の科学的根拠云々はおいておく。軍事的観点から、米国の基的態度に関して考察してみたい。 表題の2つの型について、聞いたことがない人のために説明を加える。あることを為そうとする際には、当然ながら「前提条件」というものが存在する。スポーツならルールであり敵味方の戦力である。ビジネスなら市場のルールや消費者の特質、我の商品や競合他社の商品である。その中には、当然自分に有利な物もあれば不利な物もある。前者はその前提条件そのものを「自分に有利なように変えてしまう」タイプであり、後者は逆に「自分のやり方を前提条件に合わせる」タイプである。 アメリカが日にビジネス参入する際の態度全般をみて、こんな事を思ったことはないだろうか。「何故日のやり方に会わせようとしないのか」「商品に魅力がないのが売れない理由なのに、何故あたかも日の市

    「状況作為型」と「状況対応型」 - ミリ屋哲の酷いインターネット
  • エンプロイヤビリティについて : 小野和俊のブログ

    私はエンプロイヤビリティという言葉があまり好きではない たくさん資格をとって 様々な能力を身に付けて 華々しいキャリアを積んで 転職を繰り返してその給与においてさらに優遇されて その行き着く先にあるのが 様々な証明できる能力を持った しかし同時に同じ資格や経歴を持つ者とその能力において 交換可能な人物像なのだとしたら そういう道に進むように彼や彼女を鼓舞して盛り上げてきた メディアやその世代でのキャリアパスの雛形というものに 罪はないだろうか どこに行っても通用する コミュニケーション能力を身に付けるのだと言う 大切なのは敗北を勝利に転じさせる 勝負における転機をつくる迫力や決断であり もう日はあたらないかと思われた場所に日の光を呼び寄せる 決定打となりえる鮮烈な案や方法を導き出せる発想力であり どんなに辛い状況でも口を結んでじっと耐え忍ぶことができる 打たれ強さであり 傷ついた人を見守り

    エンプロイヤビリティについて : 小野和俊のブログ
  • 登山口に辿り着けるかと山を登れるかは別問題 - 雑種路線でいこう

    ぼくは小学校の徒競走に始まって,受験戦争であれ,就職活動であれ,僕は横並びの競争が苦手だ.ただ早い段階で,自分の欲望には様々な満たし方があり,世の中にはいろいろな世界があるのだ,ということを早く知れたことは良かったと思っている. 思い返すと恥ずかしいことだが,小学校の卒業文集には弁護士になりたいと書いた.口達者が役に立つ仕事を他に知らなかったのである.中学・高校の頃は新聞社に入りたかった.イデオロギー不在の90年代,新聞社の中ではコトバにいちばん軸と張りがある気がした.新聞記者になりたいという僕に学校の先生は新聞研のある東大か,マスコミに強い早稲田に行くといいという進路指導をしたが,あそこで先生のいう通り奮起していたら,新聞社に入れていただろうか.それが自分にとって幸せだっただろうか. 前のエントリで僕はトレーダーになりたいと無邪気にいった同じゼミの学生のことを批判的に書いたけれども,それ

    登山口に辿り着けるかと山を登れるかは別問題 - 雑種路線でいこう
  • 2006年米国大統領一般教書演説 - カワセミの世界情勢ブログ

    米国で年頭の恒例とされる、大統領の一般教書演説が行われた。内容は様々な所で公開されているが、今回ホワイトハウスが内容の補足まで含めてかなりの情報を挙げている。まずは全文のリンクを参照してほしいが、ここの上のほうにある各ページへのリンクは見ておくべきであろう。米国政治は日以上に公式に発表された一次情報が重要であるが、これはその典型といえる。読めばいいだけの話で私が何を補足するものでもないが、軽く感想くらいは述べてみたい。 一般教書の演説そのものに関しては国内の報道で要点が紹介されている。しかしどうにも適切と思えるものが無い。ここで重要なのは、演説内容そのものもそうであるが、それをとりまく英語表現の雰囲気とか、ある種の理想主義の体現の部分のように思われる。核心部分をとりまく建前の部分にかなり質的な内容が入っているのである。日などではしばしば左派勢力が美辞麗句と貶めるが、もちろん米国政治

    2006年米国大統領一般教書演説 - カワセミの世界情勢ブログ
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