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思想と教育に関するlaislanopiraのブックマーク (218)

  • 日本はなぜ哲学教育をしないのか : 哲学ニュースnwk

    2016年02月03日12:00 日はなぜ哲学教育をしないのか Tweet 1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 05:01:21.626 ID:hF1X4eVqa.net バカばっか 転載元:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1454443281/ 四大ウザい論法「悪魔の証明」「論点のすり替え」「人身攻撃」 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4834600.html 2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 05:02:03.149 ID:NjOO69GC0.net 道徳を抹消して心理学と哲学をやらせるべき 7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 05:03:34.476 I

    日本はなぜ哲学教育をしないのか : 哲学ニュースnwk
  • 池内 恵

    予想通りひどいだった。山形さんがしばし待たせてから、懇切に書いてくれていた。 編者の議論がとにかく変。支離滅裂に「誤読」して俺様が〜と吠える人こそが、人文社会学の存在意義を疑わしめる原因となっている。社会悪なので、きちんと指摘しないといけない。...

    池内 恵
  • 『「時代が哲学を必要とし、哲学が実際に役立つようになるのは、少しもいいことではない」』

    大竹弘二+國分功一郎『統治新論──民主主義のマネジメント』(太田出版)「あとがき」より 書では、現代政治を巡る諸問題が思想と歴史の観点から論じられている。おかしなことを言うようだが、私はいま大竹さんとの議論を振り返りながら、そうした観点がどれほど有効であるのかを実感している。たとえば、行政と主権の関係、立憲主義の定義、法の制定と運用の問題などといったトピックは、近年の政治上の論点に直結するものであると同時に、思想と歴史の知識がなければなかなか理解が難しい、そうした難題でもある。おそらく我々はいま、思想と歴史の知識が直接に必要とされ、また直接に役に立つ、そのような政治状況を生きている。 もちろん、「いつだってそうであったはずだ」と言われるかもしれない。おそらくそうなのだろう。だが、少なくとも私の肌感覚としてはこの20年で事態は大きく変化した。大竹さんと私がともに大学生として政治学を学んでい

    『「時代が哲学を必要とし、哲学が実際に役立つようになるのは、少しもいいことではない」』
  • 「人文知は、趣味として生き残ればいい」東浩紀さん:朝日新聞デジタル

    「ゲンロンカフェ」を運営するなど在野で言論活動を続けている思想家の東浩紀さんに、大学における文系のあり方や人文知の未来について聞いた。 ◇ ――文部科学省が国立大学に対し、人文社会科学系学部の廃止・転換を検討するよう求めました。議論が起きましたが、どう考えますか。 文科省の通知は良くないことだと思います。けれども、遅かれ早かれこういう時代になるだろうなと思っていたので、驚きはありませんでした。 ――(人文社会科学系学部が)社会の要請に応えられないことが大きいのでしょうか。 この国において、大学とは明治期に輸入された歴史の浅い制度です。ヨーロッパに追いつくため、産業振興を後ろから支えるために大学を作った。そういう前提がある限り、文系不要論が出てこざるを得ない。 ヨーロッパの場合、キリスト教と結びついた神学があり、リベラルアーツの伝統が長くあって、そこから大学の哲学部が生まれ、人文知が育ってき

    「人文知は、趣味として生き残ればいい」東浩紀さん:朝日新聞デジタル
  • 「気持ち」とは思考の総括である

    前期が終わり、大学教員の方たちはレポートを採点する季節である。 同じようなことが延々と書かれた大量の作文を読み、ちょっと気の利いた内容があるとコピペではないかと疑ったり、差のつけようもないがぜんぶ同じというのもサボっているみたいだからと無理やり点差をつけたり、それは思いのほか苦行に近い仕事だろうから愚痴を言いたくなるのも無理はないが、以前からぼくがどうしても納得できないのは、学生のレポートの多くが「自分の気持ち」で締めくくられている、レポートは主観的な「気持ち」を書くものではなく客観的な論証能力を訓練するものだ、という意見である。 ぼくは学生の書いてくる作文の中にその子の「気持ち」が現れているのに出会うことは、きわめて希である。たとえば原発の問題についてネットで調べた事実を並べ立てた後で、最後にそうした事実とはまったく無関係に「でもやっぱり原発は危ないから止めた方がいいと思います。」などと

  • “文系見直し”通知に学術会議が批判声明 NHKニュース

    国立大学に対し、人文社会科学系の学部の廃止やほかの分野への転換を求めた文部科学省の通知について、日の科学者の代表などで作る日学術会議は、「人文社会科学には自然科学との連携によって課題解決に向かう役割が託されている」として、通知を批判する声明を発表しました。 日学術会議の会長らは23日に記者会見を開き、この通知を批判する声明を発表しました。この中では、「人文社会科学には自然科学との連携によってわが国と世界が抱える課題の解決に向かうという役割が託されている」として、人文社会科学のみを取り出して組織の廃止やほかの分野への転換を求めることに大きな疑問があるとしています。 そのうえで、「長期的な視野に立って知を継承し多様性を支え、創造性の基盤を養うことも大学に求められている社会的要請だ」として、人文社会科学を軽視することで豊富な人材を送り出すという基的な役割を失うことになりかねず、大学教育

  • 伊藤剛氏の「キャラ絵」から美術教育を考える。

    伊藤 剛 @GoITO 「キャラクターイラスト」と呼ばれているものが、なぜ「大学」や「美術」とそぐわないものに感じられるのか?から考えてほしいと思います。逆に、いまのpixivのような表現空間から、旧来的な「美術」がいかに疎外されているか。それはなぜか。 twitter.com/mijinco_min/st… 2015-07-18 02:21:43 伊藤 剛 @GoITO どちらも「絵」と呼ばれる、視覚表現であることには変わりがありません。しかし、「キャラクターイラスト」は、「マンガ」よりもさらに「学校」や「教育」の外にあるものと感じられている。 しかし、すでに2000年より中学・高校の美術科の指導要領には、「漫画」が加えられています。 2015-07-18 02:23:35 伊藤 剛 @GoITO 「美術」は、日の近代化とともに、学校や美術館といった制度の整備とともに権威化を図りました

    伊藤剛氏の「キャラ絵」から美術教育を考える。
  • 「政治的に中立」なんて、ありえない

    ぼくは、「政治的」な人も、「政治的」な議論も、大嫌いである。 けれどもそれは、「政治的である」ことがほとんどの場合、「ある立場を取る」こと、「その立場からものを言う」こと、そして「その立場へと人を誘導する(そして誘導されえない人を否定する)」ことと、同じだと思われているからであり、その限りにおいてである。 それに対し、来の(アリストテレス的な)意味におけるポリティカル、つまりポリス的である、善を志向するという意味において「政治」というものを理解するなら、誰の、どんな行いも政治的であらざるをえず、美や芸術についての言明ですら、政治的でないものなどありえない。 それでは「政治的に中立」とは、いかなることだろうか? 教育においては「政治的中立」が求められると言われるが、それはどのようなことだろうか? どんな事柄について何を言おうとも、根源的な意味でそれは「政治的」なのだとすれば、「中立」などと

  • 2015年バカロレア哲学試験問題:これがフランスの大学入試! : SOCIETAS [ソキエタス]

    17日、フランスでバカロレアの哲学試験がスタートした。 そんなバカロレア試験、今年の試験日程は6月17~24日の一週間だ。フランスは大学入学の季節が秋なので、この時期に入学試験が行われるのだ。初日は例年通り哲学の試験。3つのテーマから1題を選択し、4時間にわたって論述する形式だ。一体どんな問題が出題されたのだろうか。さっそく問題文を見てみよう。 バカロレア試験問題(文系)テーマ1:あらゆる生物を尊重することは倫理的な義務であるか? (Respecter tout être vivant, est-ce un devoir moral ?) テーマ2:人は自らの過去の所産なのか? (Suis-je ce que mon passé a fait de moi ?) テーマ3:以下のトクヴィル『アメリカのデモクラシー』の抜粋を説明せよ。(略) (explication de texte de

    2015年バカロレア哲学試験問題:これがフランスの大学入試! : SOCIETAS [ソキエタス]
  • 2015年バカロレア哲学試験:ボルドーでカント派とヘーゲル派の高校生が喧嘩、12名負傷=フランス : SOCIETAS [ソキエタス]

    バカロレアをめぐってまた一騒動だ。解答を巡って高校生同士の乱闘が発生したのだ。事件は6月17日、ボルドーのサン=ジュネス高校で発生した。バカロレア初日となる哲学試験が終了した後、試験会場を出た一人の男子高校生が「ヘーゲル、黙ってろ」と発言。 高校生は試験の出来が思わしくなかったのか、相当苛立っていたとのこと。それを聞いたヘーゲルを愛好する別の高校生たちは激怒。お互いに仲間を呼び、乱闘を始めたというのだ。 乱闘の結果、 12名が負傷。中には肋骨を折った者もいたという。ただちに警察が出動。両者に事情を聞いたところ、最初の発言の主は熱狂的なカント支持者だったとのこと。ヘーゲルが著書『精神現象学』の中でカントの『純粋理性批判』を批判したのが許せなかったようだ。 バカロレア試験は先日も歴史学・地理学の試験で出題ミスが判明するなど、何かと話題を呼んできた。しかし哲学者の学説をめぐって負傷者が出るほどの

    2015年バカロレア哲学試験:ボルドーでカント派とヘーゲル派の高校生が喧嘩、12名負傷=フランス : SOCIETAS [ソキエタス]
    laislanopira
    laislanopira 2015/06/26
    虚構だろうな、と思ったら虚構だった
  • 人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda

    ご質問ありがとうございます。最近また文系の学問が役に立つかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は文部科学省の通知という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。 それはともかく、「人文学は必要か」「人文学はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。 まず、必要性が問われているものが「人文学そのもの」なのか「大学における人文学教育」なのか「大学における人文学研究」なのか「大学における人文学研究者の雇用」なのか、さらにその上に「日における」がつくのかつかないのか、あとは大学といっても国立大学に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影

    人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda
  • フランスのとんでもない試験問題!

    「フラぷらぷら」は、フランスの日常、プラス日、プラスその他の国、関心もったことをまとめた個人のブログです 日人は全体的に知識があるのだけど、 なぜかそれが生かされない。 そう思いませんか? 特にフランス人相手には、 「圧倒的な言葉の嵐に負かされる」 それは何故か?と考えた時に、よく取り上げられるのは 哲学 フランスでは「考えること、自分の意見を持ち、発言すること」を重要視し、その勉強の一つに哲学を採用しているのです。 参照 「フランスと日では学ぶ事が違う。それは哲学を勉強している?ディベート?」 そして、毎年、一般のバカロレアでも哲学の試験の問題が話題になりますが、フランス最高峰のグランドゼコールの哲学の問題は、 さらに、その上を行った!? ENSの哲学の問題 フランスでは大学と呼ばれるところはもちろんありますが、実はフランスの大学は医学部以外はそこまでレベルは高くないと言われていま

    フランスのとんでもない試験問題!
    laislanopira
    laislanopira 2015/05/03
    「説明とは何か」
  • 保健室だより

    保健室では,在学生を対象に,わかりやすく健康に関する情報やトピックスをお伝えするため,保健室だよりを発行しています。 2019年3月 定期健康診断を受けましょう(548KB) 2019年2月 麻疹について(649KB) 2019年1月 インフルエンザの感染を防ぐために(818KB) 2018年(特別号) 大学生活における飲酒について(728KB) 2018年(特別号) 大学生活における薬物について(921KB) 2018年11月 車いすの基操作(537KB) 2018年9月 ストレスについて(957KB) 2018年8月 中毒を予防しましょう(546KB) 2018年7月 熱中症対策(961KB) 2018年6月 災害時に備えて(355KB) 2018年4月 アルコールパッチテスト(494KB)

    保健室だより
  • 平成29年度 入学式 教養学部長式辞(平成29年4月12日) - 総合情報 - 総合情報

    3000人を超える新入生、そして約6000人のご家族のみなさま、その思い出に深く刻まれるであろうこの時をここに共有できることを光栄に存じます。 そして学への入学を許可された新入生のみなさんが、当に東京大学で学んでよかったとの深い喜びを抱いて卒業の日を迎えられることを心から願い、そのために学の一員として微力を尽くしたいと考えます。 入学にあたり、新入生のみなさんには期待もあれば不安もあるでしょう。現在の心境も、各人各様かもしれません。大学で過ごす毎日が始まるこの時期に、これからの時間はどのような選択の場面なのか、ということをいくつかの観点から考えてもらいたいと思います。 まず自分自身にとっての選択。みなさんは、駒場キャンパスの教養学部において前期課程を過ごすことになります。東京大学は、高校卒業・大学入学段階の限られた知識・情報や先入観を頼りに学生がその専門を選択するのは適切ではないと考

  • 日本と欧米のアートシーンの違いから考える、アートの仕事の今 | CINRA

    アートの仕事に就く。学芸員やギャラリスト、インディペンデント・キュレーター、パブリッシャー、ジャーナリストなどさまざまな仕事はあるけれど、「どうすればなれるのか?」と問われると明確な道筋を答えるのは難しく、一般的に「アートの仕事=狭き門」というイメージは強い。 だが、当にそうだろうか? セカンドワークやワークシェアなど、多様な働き方が生まれつつある現代、アートの世界でもスキルや職業のバリエーションは広がりつつあるように思う。たとえば全国で芸術祭や地域のアートプロジェクトが増加していることも、アートの仕事が多様化した1つのあらわれとも言えるかもしれない。 NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ(以下、AIT)が運営する現代アートの学校「MAD(Making Art Different―アートを変えよう、違った角度で見てみよう)」は、そんなアート業界に多くの卒業生を輩出しつつ、今年で15年

    日本と欧米のアートシーンの違いから考える、アートの仕事の今 | CINRA
  • Deportare Partners|デポルターレパートナーズ

    Creating the possibilities of humans and society, Like sports. CEO Dai Tamesue 人間と社会の可能性を拓く、 スポーツのように。 タイムというはっきりとした結果が出る競技を追求しながら、人間の限界はどこにあるのだろうかと考え続けてきました。伸び悩んだり、重圧に苦しんだりする中で、限界は自分自身の思い込みが作っているのではないかと、そう思うようになりました。 社会を見渡せばそんな出来事が溢れています。思い込みによって制約がかかり可能性が狭まっている。自分がスポーツと向き合ってきた方法が、人間と社会の可能性を拓く上で活かせるのではないかと思い、会社を始めました。 私は「スポーツとは身体と環境の間で遊ぶこと」だと定義しています。遊びには計画も、義務もありません。面白いから行われる自由な活動です。そんな「遊ぶ」という感覚が

    Deportare Partners|デポルターレパートナーズ
  • 研究倫理を問う入試問題? | Chem-Station (ケムステ)

    この「つぶやき」では化学ブログらしく、「気になる化学の入試問題」もチェックしてきております。 東大、京大入試の化学を調べてみた(有機編) 中学入試における化学を調べて見た 2012 2013 ポリ塩化ビニルがセンター試験に出されたので NaHの水素原子の酸化数は? PhD化学者がセンター試験(化学)を解いてみた 2010 2011 2/25・26は国公立大学の前期入試でした。入試問題・解答速報は既に各所で公開されていますが、なんと今年は化学問題の中に、研究倫理を問うかのような出題がされていたという話を聞きました。 やはりお前だったか こういうことをやってのけてしまうのは、皆さんのご想像通り東京大学です。 東大の入試問題には、「どういう学生に入学して欲しいか」「最高学府ならではの社会へのメッセージ」が様々な形でちりばめられているとする話はかねてより有名です。今回の問題もその一つと見て良いでし

  • (争論)文系学部で何を教える 冨山和彦さん、日比嘉高さん:朝日新聞デジタル

    大学で文系学部は何を教えるべきか。むしろ職業訓練に力を入れたほうがいいのか。人文・社会科学系学部などの「廃止や転換」を促す通達を文部科学省が昨年、全国の国立大学に出して以来、議論が盛り上がっている。いま、大学に求められる役割とは何だろう。 〈議論のポイント〉 ・重視すべきは学術か実学か ・… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

    (争論)文系学部で何を教える 冨山和彦さん、日比嘉高さん:朝日新聞デジタル
  • 「完全な『パクリ』レポート」を作成せよ──大阪市大の課題、その狙い 常識や先入観を逆手に

    話題になったのは、「授業関係の連絡」として学生向けに掲載された「表現文化論特論」の期末課題。2月10日に増田准教授が自身のTwitterで紹介し、現在までに700リツイートを集めている。 「『佐村河内事件に思う』という題名を付し、この題名に即した内容のレポートを作成せよ」という課題は特に珍しくないが、執筆条件は「完全な『パクリ』レポートとして作成せよ」。ネット上や書籍に存在する既存の文章を組み合わせ、10カ所以上の異なる出典を明記し、「自分で独自に執筆した文章を一字一句たりとも交えてはならない」のがルールだ。 ただ何かをコピペすればいいというわけでもない。「論旨や文章が支離滅裂なレポートには単位を認定しないので、上記の執筆条件に厳密に従った上でレポートの日語文章としての全体的な完成度を高めるよう留意すること」と釘も刺している。 ネットでは「面白い」「読んでみたい」「出典を明らかにしながら

    「完全な『パクリ』レポート」を作成せよ──大阪市大の課題、その狙い 常識や先入観を逆手に
    laislanopira
    laislanopira 2015/02/17
    ググる中で、自分の意見と相反する先行議論も大量に読まないとならない
  • 貧乏は、選ぶことができない。 - 2日酔いのビール

    何もすることがない。卒業論文を提出した今となっては、差し当たっての目標というものがない。思えば、9月から12月の第一週までは苦しかったけれども、それなりに充実した日々を送っていたのではないかと思う。僕が書いた論文(所詮、文系の学部生が書いたお粗末なものだ)が、どのような評価を与えられるのか、少し気になる。テーマは、大学生の貧困を取り上げた。教育社会学の分野では、階層と学力との関係や、階層と社会的地位の関係といったものがかれこれ20年前近くから指摘されており、その代表的な研究者に苅谷剛彦や田由紀なんかがいる。例えば、社会的地位が高い家庭や高学歴の家庭に生まれ育った子どもは、社会的地位も学歴も高くなるということが指摘されてきたわけだ。裏を返せば、貧乏の家庭に生まれた子どもは、その後の生活において、貧乏から抜け出すことは難しいということが言えるのかもしれない。代表的なと言えば(前にも紹介した

    貧乏は、選ぶことができない。 - 2日酔いのビール