本当にそれだけ電気は重要な生活のライフライン、電気がなければほんとナニも出来ないのが実証された これだから残念な反原発派は、そういえばあんた、日産リーフを真っ先に所有して絶賛もしてたんじゃ?電気自動車でしょ?それ。
本当にそれだけ電気は重要な生活のライフライン、電気がなければほんとナニも出来ないのが実証された これだから残念な反原発派は、そういえばあんた、日産リーフを真っ先に所有して絶賛もしてたんじゃ?電気自動車でしょ?それ。
前々からずっと思っていながら黙っていたが、坂本龍一は馬鹿である。こう言った瞬間に、坂本龍一が過去に抱いた美人を列挙し、坂本に反対するのは「やっかみ」だと断じる狂信者がいるし、坂本龍一というリア充と散々対比され、いかにも卑小な虫けらとして縮こまらなければならない。これぞルサンチマンの極みとして、まるで昆虫の標本のように、鈴ヶ森の刑場にさらされるわけである。だから坂本龍一を持ち上げておいた方が無難というスタンスもあるのだが、やはり馬鹿は馬鹿と言わなければならない。そもそも坂本龍一のファンは実はあまりいないと思われる。一目置かないといけないという義務感が蔓延しているだけで、本当のファンはとても少ない。ローランドやヤマハの機械をピコピコ鳴らしてるだけの音楽に感銘を受けている貧しい感性の人間が、そうたくさんいるわけがない。坂本は「若者がダンスや音楽を楽しむクラブやライブハウスを文化の発信地として守る
―――坂本龍一がサントリーホールでオーケストラと共演する華々しい日に愛をこめて。かつて、坂本龍一は反体制が売りだった。新宿高校でバリケードを組み、全共闘のデモで警官と取っ組み合い、騒乱の景色をthatness and therenessと歌った。それが今や、反原発という旗印のもと、坂本は権威となってしまった。かつて彼自身が唾棄すべきとした権力の側に成り下がったのである。極めつけは「たかが電気」発言である。「電気」と「いのち」などという原理的に比較不可能な概念を対置する、その思考回路は正常か? 「経済」とは本来、経世済民。富を循環させて民の苦しみを救うことに本義がある。その「経済」を蔑ろにする社会が「いのち」を守れるのか? これを妄言と呼ばずなんと言おう。そもそも言葉の人ではない坂本にスピーチをさせた時点で間違っていた。「いのち」なんていうダサい言葉、村上龍なら選ばなかっただろう。まあ別に、
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