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社会と中村修二に関するmohnoのブックマーク (2)

  • ノーベル賞受賞者の中村修二教授と日亜化学工業との公開仲直りが面白い(追記あり) - 斗比主閲子の姑日記

    現時点では仲直りできていないんですけどね。 概要 中村さんと日亜化学との過去のいきさつについては404特許での訴訟含めて、あまりよい関係ではないということは皆さんご存じだと思います。訴訟とは、中村さんが日亜化学の従業員だったころに職務発明した青色LEDに関する特許について、特許を受ける権利の帰属等を争ったものですね。 404特許 - Wikipedia 今回中村さんの方から11/3にマスコミ経由で関係改善をしたいと文化勲章の受勲後の記者会見で話があり、 中村修二教授文化勲章:記者会見の一問一答 - 毎日新聞 それに対し日亜化学から11/4に「お祈り」の回答がありました。 日亜化学 「中村氏からの感謝で十分」 NHKニュース 日亜化学からの回答 日亜化学からの回答は、 中村教授の「感謝で十分」、社長との面会は断る : 科学 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 中村教授は、すでに15

    ノーベル賞受賞者の中村修二教授と日亜化学工業との公開仲直りが面白い(追記あり) - 斗比主閲子の姑日記
    mohno
    mohno 2014/11/06
    要約すると「仲直りついでに金でも出してくれないかと思ったけど、やっぱ無理そうだから、もういいわ」
  • だから技術者は報われない

    お会いするのは何年かぶりだから、さすがにちょっと老けたかなと思った。でも、せっかちに歩く姿も、甲高い声で熱く語る姿も、昔とちっともかわらない。「1993年からだから、ずいぶん長いですよね」。そう言われて指を折ってみれば15年。その間に、何度も彼に会い、語り、彼と彼の成果について実に多くの記事を書いてきた。 彼とは、中村修二氏のことである。最初に出会ったとき彼は、地方の中小企業に勤務する一技術者だった。ところが、1年も経たないうちに、カリスマ研究者と呼ばれるようになり、やがて「日としては初めての企業人ノーベル賞候補」と目されるようになる。その彼から「会社を辞める」という連絡をもらったのは、1999年末のこと。地方企業の技術者から米有名大学の教授へと転身し、一躍全国区のヒーローになった。 その彼が古巣の会社からトレードシークレットで訴えられ、その反訴というかたちで、いわゆる「中村裁判」が始ま

    だから技術者は報われない
    mohno
    mohno 2008/05/23
    記事の総論としては概ね同意するのだけど、中村氏については係争となった特許を日亜が放棄したという事実があるので、何だかなあと思ったりする。
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