6足す1は9 そんなわけあるか 私なら叱り飛ばすところを ひたすらほめる 一年も経つと 算数の苦手な息子は 算数が得意になった 答えだけたたきつけても 子供の算数嫌いは改善しない 夫の言う通りだった
人を傷つけない、人を侮辱しないお笑いというのが流行っているが… 小学生のころひまわり学級的なクラスに、人に噛みつくガチで粗暴な障害者がいて 授業では来ないが給食が一緒という環境だった ずっと粗暴が来る給食は誰かが噛まれる可能性があるのでお通夜ムードだったんだが そいつに「ウルトラガイジ」というあだ名がついてウルトラガイジの存在が笑いになり ウルトラガイジが暴れると実況中継のアナウンサーのマネをするというノリができた 障害者いじめだがお通夜感はなくなった そもそも子供が粗暴な障害児に噛まれても仕方ないという環境で 障害特性が健常児をいじめているというのが先にあったのだ でも子供にはこの怖さや痛さをどうすることもできなかった からの、ウルトラガイジというあだな付けで、笑いものにするノリの醸成だ 命名したやつも実況を最初に始めたやつも同一人物で、人気者で英雄だった 担任は見ていたが、やめなさい的
『身毒丸』について検索していた時に見つけた、 折口信夫への旅 第1部 ~小説「身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家・山本吉之助) http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm という折口信夫『身毒丸』解説文の中に、日本の師弟関係がなぜ理不尽で暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、 もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。 ■日本の師弟関係『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。 例えば最も古い感情を残している文楽座の人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり
子供が好きだから教師になりました。 まず小学校~高校くらいの間で自分が子供なのに「子供が好き」って言うマインドが怖いし、それに気が付かず、大学卒業まで行っちゃって、社会的には22歳なんてヒヨのヒヨッ子なのに「私は大人だ、子供にものを教えてやろう」っていう発想に至るのが怖い。傲慢以外のなにものでもない。 (教科名)が好きだから教師になりました。 本当にその学問が好きなら、大学院→教授コースや、民間/国立の研究所とか、究める方法は幾らでもあるだろうに、高々学士号取得した位で「よし、子供に教えてやろう」って発想に至るのが怖い。いや、別にその学問好きでもなんでもないんじゃん。みたいな。 安定しているから教師になりました。 教師っていうある程度の理念とか、信念とかが必要であることが明確な職業に「安定」を目指してなってしまう浅はかさが怖い。そのレベルの思い入れで教師になって、子供に何が教えられるのか。
端的に言って大学に行きたくない。 自分が興味があったり、研究をしたい分野の基礎を固めるために大学に来たはずなのに、それ以前の、いわば教養課程(それも、自分の興味のある分野と関係ない科目)の講義に出て単位を取るのが苦痛でしかない。 英語なんかはまあ将来使うだろうし何とかこなしてるつもりだけれど、第二外国語を学ぶのが嫌になった。 前期は真面目に講義に出て、ノートを取って、単位を取ってきたが、後期になって急に出席することができなくなった。 寒いし、硬い椅子に座って、分野に関係ない上に興味の湧かない話を聞いて、必死こいてノートを取るのがつらい。 たぶん4年で卒業するのは不可能だ。 親から電話がかかってくるようになったし、はっきり言ってつらい。 講義に出るより、図書館で本を読んだり、ふらっと観光や旅行に行ったり、サークルのみんなと集まってわいわいやる方が楽しいに決まっている、という思いが日に日に強く
学生時代まったくしてこなかった勉強が今楽しい。知識が増えるって嬉しい。子供の頃に気づきたかった。ツイートする
祖父が小さいぼくの書いた絵を、全て褒めて全て保存してくれた 上手だね、といわれすぎたせいで 錯覚したけれど 年齢があがるにつれ自分より上手な人間とたくさん出会って いつのまにか自分は 褒められる側ではなく褒める側になっていた 違う、僕は褒められたい 人を褒めたいんじゃない でも目の前の絵かきは自分より上手いということがわかっている わかってしまったら、嘘をついてまで、貶すことはできない 最初から、絵を書きたくて書いてたんじゃない 思い出せる一番古い記憶の時点でもう、 褒められるのが嬉しくてやってたんだと ついさっき突然気付いた だから、 絵が上手い、あなたの絵が好き、と賞賛されている人を見ると無条件で憎しみをおぼえる 褒められることが目的なので より褒められている人に似せて書くことで ぼくのほしい結果が得られるんじゃないかと思っては 信念もこだわりもなにもない絵を量産する。 模写の訓練のよ
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