芦原妃名子さんの件で気になるのは「脚本家が先に攻撃した」「原作者を貶めた」という声の多さだ。 ネットのどこでもそうした投稿にいいねや高評価やスターが無数についている。 しかし脚本家の文章にはそのような悪意はまったく書かれていない。 ドラマ終盤で脚本を担当をしなかったことの説明・釈明、あるいは事態への愚痴・怒り・苦悩ではあってもそれは原作者に向けての攻撃ではない。 脚本家の投稿だけでなくそれに同調した同業者に対しても批判が浴びせられているが、いずれも共感を示しているだけで原作者を攻撃などしていない。 国語の問題ならバツだ。 フェアに言えば、私は読み取れないのだが読み取った人もいる、という言い方もできる。 しかし、このように書かれていない悪意の読み取りをされては社会で無罪の推定の原則(推定無罪)も成り立たない。 というかこの人たちは理解できていないのではないだろうか?