先だって、「Web評論誌『コーラ』14号」掲載のST氏のデリダ論「継承と隔たり――いかにしてデリダは/を継承するか」に簡単なコメントを寄せさせてもらった。 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-1.html 読み返してみると、あまりに簡単にすぎて恥ずかしい。 そこで、ST論文を読んで思い出したことを少し書きとめておきたい。 ST論文の最後はこう締めくくられていた。 だから私たち「日本人」が、デリダを継承するならば、デリダに対して未だ西洋の内に留まっているという批判を向けて満足することはできず(外を安易に想定することでデリダ批判者たちが尚も西洋的思考に陥る逆説と循環を先に見たから)、自分たちが日本の内にいると確信したり(例えば自己同一性)その外に出られる(例えば普遍性、範例性)と確信することはできない。 これに関連して、思い当たる