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古写真と明治に関するtimetrainのブックマーク (4)

  • 木炭を運ぶ女性

    ナショナル ジオグラフィック英語版1911年11月号より(白黒写真に手で彩色)。 写真:WILLIAM W. CHAPIN 大きな俵を背負った女性が石畳で立ち止まり、こちらを振り返る。ここは日光の山中。俵の中身は木炭で、ここまで5キロ近く歩いてきた。さらに1.5キロほど離れた場所まで荷物を運び、その対価として、いくばくかの代金を受け取る。屈強な男性でも音を上げそうな重労働だが、女性はこの仕事に慣れているのか、軽々と運んでいるように見えたという。1911(明治44)年11月号の特集「私が垣間見た日」の1枚。 特集の筆者で撮影者のウィリアム・W・チェイピンは、米や材木を運ぶ人々にもレンズを向けた。当時の山村には車両に適した道がなく、「何から何まで人が背負って運ぶしかない」と伝えている。 2021年11月号 世界を驚かせた考古学の発見100/エチオピアの苦悩/南極の海の生命を守る/地球最南端の

    木炭を運ぶ女性
    timetrain
    timetrain 2021/11/04
    写真一枚が物語るものがすごい・・
  • 遊郭あった吉原、街全景の写真発見 全焼前の明治に撮影:朝日新聞デジタル

    江戸最大の遊郭があった吉原(東京都台東区)の全景を収めた1枚の写真がみつかった。明治時代半ばごろに撮影されたとみられ、専門家は、1911(明治44)年に全焼する前の吉原の街の全貌(ぜんぼう)をとらえた貴重な写真として注目する。 縦10・2センチ、横14・6センチ。絵はがきの前身としてつくられた鶏卵紙を使った写真だ。今年6月、インターネットのオークションに出品されていたのを、都内在住の収集家、浅田正春さんが入手した。 台紙の裏面には、「東都吉原」「浅草公園地早取写真師」「江崎礼二製」などと記されていた。1883年に乾板写真の撮影に成功し「早撮りの江崎」と言われた著名な写真師の江崎礼二が、浅草寺の近くに1890(明治23)年に開業した12階建ての凌雲閣(りょううんかく)の展望台から撮影したとみられる。 写真の手前には、明治維新まで羽後荘藩主だった六郷家の下屋敷や蓮田、田畑がみられ、その奥に吉

    遊郭あった吉原、街全景の写真発見 全焼前の明治に撮影:朝日新聞デジタル
    timetrain
    timetrain 2018/07/27
    どうやってと思ったら凌雲閣から撮ったのか。その撮り方まで浪漫全開すぎる。どうやってオークションに出てきたんだ
  • 江戸後期から明治時代にかけての日本の古写真の出所が明らかに : カラパイア

    髪を洗う娼婦、武士、眠る赤子を優しく見守る母親など、江戸後期から明治時代にかけてのカラー化された日の古写真は海外サイトで爆発的に取り上げられており、ネット上で見かけたことがある人も多いかと思う。 これらの写真は、1863年から1877年の間に写真家のフェリーチェ・ベアトによって撮影されたものである。世界初のフォトジャーナリストのひとりとして広く知られているベアトは、当時、横浜に住んでいた。高級娼婦、芸者、日常のなにげないシーンなど、幅広い対象を写真におさめた。

    江戸後期から明治時代にかけての日本の古写真の出所が明らかに : カラパイア
  • 痛いニュース(ノ∀`) : 【画像】 百年前の芸者の水着姿 - ライブドアブログ

    【画像】 百年前の芸者の水着姿 1 名前: ヨーロッパヤマネコ(秋田県):2013/01/24(木) 16:40:25.19 ID:FALiwcNu0 英「デイリー・メール」はこのほど、19世紀の日の芸者の水着姿の写真を掲載した。 これらの写真は1868年から1926年の間に撮影されたもので、当時の芸者の魅力的な姿を捉えている。 芸者とは日の伝統的な職業で、17世紀の東京と大阪に起源を持つ。最初の芸者はいずれも 男性だったが、18世紀中頃から徐々に女性に取って代わられ、この伝統は現在まで続いている。 http://japanese.china.org.cn/life/txt/2013-01/24/content_27785947.htm 追加分: 2 : セルカークレックス(大阪府):2013/01/24(木) 16:40:59.48 ID:kqGBMjUu0 フジヤマ

    timetrain
    timetrain 2013/01/24
    年齢を考えるとなかなか物語を感じる
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