公的情報は国民のものである―。この当たり前の大原則が壊れかけている。日本でも21世紀の幕開けとともに情報公開法が施行され、知らしむべし拠(よ)らしむべからず、の上から目線の特権意識を捨て、政治家を含む公務員は国民に対し説明責任を負うことが法で明示された。 さらにその10年後には遅まきながら公文書管理法も制定され、公的情報たる行政文書は公的資産であり、民主主義の礎であることも決まった。にもかかわらず昨今の相次ぐ事例は、行政の情報は公務員の独占物であって、特別な場合に限り「サービス」で住民に見せてあげるという意識から抜け出せていない、としか思えない。 公開の根底崩す「廃棄」 情報公開制度の根底は、きちんと文書を保管・保存、整理し、いつ何時でも市民から開示請求があれば、それを閲覧の供に付すという流れが完備していることにある。その最初の1歩である、文書の保存が揺らいでいる。なぜなら、行政の都合の悪