【読売新聞】 「五稜郭」といえば、まず思い浮かぶのは北海道函館市のものですよね。でも、実はもうひとつあります。今回は知る人ぞ知る、もうひとつの五稜郭「龍岡城」(長野県佐久市)です。この地にはアニメ映画「君の名は。」ゆかりの神社「新海
福島県白河市の国史跡小峰城跡で、櫓(やぐら)門「清水門」の復元工事が本格的に動き出した。29日、現地で安全祈願祭が行われ、鈴木和夫市長ら関係者が工事の安全を願った。清水門は戊辰戦争で失われた城内最大規模の櫓門とされており、2025年度末の完成を予定している。 白河市が国の補助金に加え、寄付金やふるさと納税を活用して再建する。千円の寄付金を「一石」とみなす「一石城主プロジェクト」と名付けた寄付金事業では、約2千の個人や団体などから、約1億200万円(2月15日現在)の寄付金が集まった。 「戊辰戦争でなくなった門が復活することはうれしい。市のシンボルとして次世代に残したい」。寄付金事業に計800万円を寄せた中上サト子さん(77)はこう話す。中上さんはリサイクル業の中商(白河市)の監査役を務めており、地域貢献への思いを込めて寄付したという。 小峰城跡は2010年に国史跡に指定された。東日本大震災
金沢 晴れ、うすうらと雪が積もってますが今は降ってません。 土曜日に震災後の街をあるいてみました。金沢城の石垣は相当の被害で、臨時休園となってました。 2024年1月1日、石川県能登半島で発生した震度7の地震により、金沢城の石垣が大きな被害を受けました。石垣4カ所が崩落し、そのほかにも多くの石垣がひび割れたり、せり出したりする被害を受けました。 kanazawa10no3.hatenablog.com kanazawa10no3.hatenablog.com kanazawa10no3.hatenablog.com 【撮影場所 金沢城公園:2024年01月13日 OM-D E-M10】 ランキング参加中でもう一押しお願いします
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七尾市教委は10日までに、国内最大級の山城である同市の国史跡・七尾城跡で多数の被害を確認した。上杉謙信が攻め落とすまで約1年も苦戦した「難攻不落の山城」とされる同城だが、石垣の崩落や土砂崩れが複数箇所で発生。現在、被災者支援に人員を集中させており、修復のめどは立っていない。 市教委によると、地震で本丸西側や二の丸東側、桜馬場の石垣が崩落した。通路には無数のひびが入り、市教委は七尾城跡近くにある七尾城山展望台とともに立ち入り禁止とした。 七尾城跡の石垣は戦国時代に主流だった野の面づら積みの工法が取り入れられ、石垣一つ一つが国の文化財に指定されている。このため被災前の状態を正確に再現する必要があり、崩落していない石垣もいったん全部取り外し、積み直す必要があるという。 市教委担当者は「今は市民生活を取り戻すのが第一。七尾城跡の修復はいつになるか分からない」と話した。
【読売新聞】 福岡市中央区の舞鶴公園の国史跡・福岡城跡で、二の丸東側の正門「東御門跡」から、梅園や本丸につながる園路の再整備が進んでいる。目玉は、園路途中にある「扇坂」を、江戸時代に存在していた全国的にも珍しい扇状の階段に復元するこ
復元される清水門のイメージ図(白河市提供) 福島県白河市は、国史跡小峰城跡の「清水門」復元に向け、来年1月から工事に着手する。 清水門は二之丸と本丸を結ぶ櫓(やぐら)門。市建設部文化財課によると、国が藩主松平定信時代の1808(文化5)年に作成された実測図「白河城御櫓絵図」や発掘調査を基に、2021(令和3)年度から2023年度の6回にわたり審議し、10月20日付で復元を許可した。鈴木和夫市長は「清水門の整備によって城郭としての価値が高められ、市民の大きな誇りになるよう努力する」と述べた。 復元される櫓門は、間口約13メートル、高さ約11メートル。12月までに工事入札を行い、2025年度末に完成を目指す。
福岡城跡にかつてあったやぐらのひとつ、「潮見櫓」が再来年の春に復元されることになりました。 福岡城は江戸時代に福岡藩の初代藩主、黒田長政が築城したもので、国の史跡に指定されていますが、やぐらや門などの多くが残っていません。 このうちのひとつ、「潮見櫓」について、福岡市は再来年の春に復元することになりました。 「潮見櫓」は福岡城の三の丸の北西の端にあった高さおよそ10メートルの木造2階建ての建物で、海を監視できる場所にあったことからこの名前がついたとされています。 明治期に福岡市博多区にある黒田家の菩提寺の崇福寺に移築されていたことから福岡城跡での復元に向けて30年ほど前から検討が行われてきました。 復元にあたっては、移築されたやぐらのうちはりや柱など再利用が可能な4割ほどの部材を活用するほか、土にわらを混ぜて土壁をつくるなど建築当時の工法が採用されます。 工事費はおよそ4億円で、ふるさと納
難攻不落の堅城として知られる岡山県史跡・矢筈城跡の登山会が4日、岡山県津山市加茂町山下から知和にまたがる矢筈山(標高756メートル)で開かれ、市内外から参加した25人が歴史に思いをはせながら頂上を目指した。 【写真】安全祈願を受ける参加者 4年ぶりの開催で、同城跡保存会主催、上加茂地区住民自治協議会共催。ふもとの千磐神社で安全祈願をし、保存会員の案内で登った。城内には堀切や土塁、石垣などが残っており、会員が史跡について分かりやすく説明。紅葉に秋の深まりを感じ、参加者同士の交流を深めながら歩みを進めた。
姫路観光コンベンションビューローは、歴代姫路城主の家紋が入った「御城印」を販売してきた。今回、6種類目となる結城松平家版をつくり、12月11日に直営売店で発売する。発売日が姫路城の世界文化遺産登録30年にあたることを記念し、歴代御城印も復刻販売する。各種300円(税込み)で、来年3月末まで。 結城松平家は、江戸前期と中期に姫路城主を務めた。御城印には、家紋の「左三つ巴」と、城主時代に姫路城の瓦に残した「五七の桐(きり)の紋」をあしらった。「姫路城」の文字は、現当主の松平直泰氏が揮毫(きごう)した。 コンベンションビューローは、2020年から城主の家紋入り御城印を販売してきた。酒井家、本多家、榊原家、奥平松平家と続け、現在は池田家版を販売している。今回の結城松平家で江戸以降の城主が出そろう。 御城印は全種A6判で、それぞれの家紋、文字、デザインについての説明書き付き。12月11日からは復刻を
栃木県佐野市の国指定史跡「唐沢山城跡」で、山頂部の本丸周辺の学術調査が初めて行われ、織豊(しょくほう)時代(安土桃山時代)に築かれた石垣の上に迎撃用の建屋「櫓(やぐら)門」があったとの説を裏付ける痕跡が確認された。「戦の天才」といわれた上杉謙信の軍勢をたびたび撃退し、「難攻不落の山城」と称された名城の一端が明らかになった。(梅村武史) 調査したのは同城本丸の最終防衛線「本丸西虎口(こぐち)石垣」(高さ2・5メートル、奥行き8メートル)。築城から400年を経て劣化が進み、2020年秋から石垣の積み直し整備に合わせて実施し、費用は文化庁と市が計約2千万円を負担した。 新たに確認された一つが、直径30センチ前後の石四つを直線的に並べた「石列」。石垣上部の地中から見つかり、建屋の礎石だった可能性が高い。もう一つは石垣から本丸に向かう斜面に階段状に石を並べた「雁木(がんぎ)」で、行き来する際の足場と
愛知県西尾市の西尾市歴史公園には、江戸時代に西尾藩6万石を治めた西尾城の跡がある。多くの城の天守閣は中心にあるが、西尾城は敷地の角に配置されていた全国的にも珍しい城だ。 西尾城跡を整備した西尾市歴史公園で、目に入るのが『本丸丑寅櫓(うしとらやぐら)』だ。しゃちほこも乗っていて大きく立派だが、天守閣ではない。 西尾市教育委員会・学芸員の浅岡優さん: 「よく間違えられてしまうこともあるんですけど、天守などの一番大きな建物ではなくて、外を見張るための櫓があるんですけど、その中の一つです」 「城」というと天守閣の建物を思い浮かべがちだが、堀や石垣、塀など、構造物に囲われた敷地すべてを指す。 【動画で見る】地元の人に聞いた愛知県西尾市の"テッパン4選"「cafeLUKE」「西尾城」「八ツ面山のきらら」「ハズニ塩湖」
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【小山】八幡町1丁目の長福城跡で27日、市が実施した発掘調査の現地説明会が行われた。市内外から多くの歴史ファンが訪れ、市文化振興課の職員の説明に熱心に耳を傾けていた。 長福城は中世の小山氏の居城で、小山五城の一つとされる。本城である鷲(わし)城と祇園(ぎおん)城の中間に位置し、つなぎの役割を果たしたとみられる。 昨年度の発掘調査で現存の土塁が15世紀以降に造られたことが分かったほか、土塁の下層に13世紀から14世紀にかけての武士の館か寺院とみられる遺構があることが確認された。堀に橋が架かっていたことを示す柱穴も見つかった。 午前10時からの説明会には約60人が参加した。家族4人で訪れた、横倉、パート職員遠藤千恵子(えんどうちえこ)さん(45)は「地元にこれだけの規模の城跡があるのは知らなかったので、勉強になった」と話した。 「長福城跡」の記事一覧を検索
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石をのけたら壺(つぼ)や鏡が現れた――。津市一志町小山の山中で、市立一志東小6年の伊藤瑚太郎さん(12)と、弟で3年の展梧(てんご)さん(9)が、土の中から壺などを発見した。市の調査で、12世紀(平安後期~鎌倉前期)の中世墓遺跡とみられる。現地調査した市教委の担当者は「銅鏡や刀など祭式の副葬品がセットで見つかるのは珍しい。当時の埋葬文化を考える上で貴重な資料」と偶然の発見をたたえた。 瑚太郎さんは石集めが大好き。展梧さんは好奇心旺盛で、2020年8月には珍しい黒いトノサマバッタを捕獲し、毎日新聞が記事を掲載した。2人は22年1月、幼稚園の頃から通っている空手教室の指導者・吉田真典さん(42)に誘われ、自宅近くの小山城跡に向かった。
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