ユネスコは、ハイチの文書資料を災害から救うための資金援助を実施します。これにより、国立公文書館や国立図書館は、被災した建物から重要な文書や書籍を安全な場所に避難させることができるようになります。ユネスコは、国際ブルーシールド委員会とも協力し、ハイチの文書財産の保護に努めていくということです。 UNESCO provides assistance in preserving Haitian documentary heritage (ユネスコのプレスリリース) http://portal.unesco.org/ci/en/ev.php-URL_ID=29582&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html 参考: IFLA、国際ブルーシールド委員会がハイチ大地震について支援を発表 http://current.ndl.go.jp/node/15641
図書館問題研究会(ともんけん)がお送りするイベント情報や緊急ニュース、そして会員のリレーエッセイ。 大地震によって被災されたみなさんに心からお見舞い申し上げます。 図書館問題研究会一同 <香川県子ども文庫連絡会さんから情報いただきました> これは、ハイチの子ども達に本を届けるための募金で、ハイチの人々の生活が1日も早く回復し、子どもたちに笑顔が戻ることを、日本からも精いっぱい応援したいという趣旨で行われるものです。 ご協力いただきますようお願いいたします。 JBBYの国内郵便振替口座へご送金、もしくは、JBBY事務局宛てに現金をお送りください。 JBBYからまとめてIBBYへ送金されます。 ハイチは、2008年にも巨大台風の直撃を何度も受け、学校が崩壊し、多くの子どもたちが犠牲になりました。 今回の地震は、再び数万の死者と更なる荒廃、将来への不安をもたらしました。 この募金は、食料や水・薬
ハイチは12日、推定死者約23万人を出した大地震の発生から丸1カ月を迎えた。首都ポルトープランスを中心に屋外で避難生活をする被災者約123万人は、3月中に到来する雨期を心配し、住宅問題が深刻化している。一方、がれきの撤去はいまだに手つかずの所が多く、国連平和維持活動(PKO)で復興支援のため現地入りした陸上自衛隊員の目にも、相当困難な現場と映っているようだ。 「今朝、雨が降った。とにかく家が要る。小さくていいから、家が必要なんだ!」。首都西部ビソトン地区の避難キャンプでリーダー役の教師、マミさん(38)は11日、毎日新聞の電話取材に悲鳴に近い声をあげた。 未明から早朝にかけ、首都圏の一部地域で震災後初めて強い雨が降った。キャンプは丘陵中腹の大学キャンパスにあり、約1万2000人が布やビニールの手製テントを張り、地べたで寝起きする。 降雨時、避難民は粗末なテントからぬれない所へとさらに避難し
政府は5日の閣議で、大地震で被害を受けたハイチに国連平和維持活動(PKO)の一環として陸上自衛隊の施設部隊約350人を派遣する実施計画を決定しました。 北沢俊美防衛相は自衛隊に派遣命令を出し、海外派兵を専門とする陸自中央即応連隊(宇都宮市)などの第1陣約160人は6日に出発。早ければ8日未明(現地時間7日昼)にもハイチに到着します。陸自第5旅団(北海道帯広市)を主軸とする本隊は、今月下旬から順次現地入りする見通しです。 また、陸自部隊の輸送や補給のために海上自衛隊約540人、航空自衛隊約200人が動員されます。 陸自は、首都ポルトープランスに駐とんする方向で調整し、仮設住宅の建設に必要ながれきの除去や整地作業などを行うとしています。武器は拳銃、小銃、機関銃を携行します。機材は、油圧ショベルやブルドーザー、トラック、軽装甲機動車など約150両。陸自部隊の輸送や補給のための艦船や航空機で、KC
米国図書館協会(ALA)が、ハイチ地震で被害を受けた図書館の復興支援を目的とする活動“Haiti Library Relief”を開始しました。募金のほか、本の寄付受付、現地情報提供等を行っています。 Haiti Library Relief http://www.ala.org/ala/aboutala/offices/iro/iroactivities/haitirelieffund.cfm ALA Establishes Library Relief Fund for Haiti – Library Journal 2010/1/27付けの記事 http://www.libraryjournal.com/article/CA6716685.html 参考: ハイチ国立図書館の建物は無事だったものの・・・ http://current.ndl.go.jp/node/15672
「想像以上に過酷だった」 重傷者多く、電力、機器不足 震災のハイチで医療活動 2010年2月4日 01:06 カテゴリー:九州 > 福岡 大地震の被災地ハイチで、国際協力機構(JICA)派遣の国際緊急援助隊員として活動した田中潤一医師(35)=福岡大学病院救命救急センター=が3日、同大で会見して現地の様子や診療活動を紹介した。 援助隊の医療チームは災害医療を担う全国の医療者から選抜され、救急医となって5年目の田中医師は初めての派遣。1月18日から8日間、ハイチの首都から西へ40キロの街にある看護学校の校庭にテントを張り、被災者の治療を行った。 田中医師によると、チームが診た患者は延べ534人。13日の大地震後、何の処置も受けられず傷の化膿(かのう)や感染症を起こした重傷者が多く、一方で電力や水、医療機器が限られるなかでは切断などの大がかりな手術もできず「想像していた以上に過酷だった」とい
<1面からつづく> ◇「何をしたらよいのか分からない」 13日間の人生をハイチの路上とテントで過ごしたフレディ・パイヤンちゃんは、妊娠7カ月で生まれた未熟児だった。体重は約1000グラム。顔も手も足もすべてが小さい。母親のスーズ・ルイさん(26)は出産した病院から小児科に通うよう言われていたが、大地震直後の混乱で、訪れた小児科では粉ミルクを渡されただけだった。 地震の夜から2日間、首都ポルトープランスの下町にある自宅近くの路上で寝た。死臭が漂い始め、徒歩10分ほどの距離にある大統領宮殿前の避難所にテントを張った。被災者支援の支給品のはずだが、500グールド(約1200円)を払って買った。 涙を流すスーズさん。亡くなったフレディちゃんの変わりなのか、ぬいぐるみを片時も離さなかった=ポルトープランスで2010年1月26日、梅村直承撮影 新たな避難所の衛生状態も気になった。「異臭がするし、ハエが
日陰にいても汗がにじむ。今月24日昼、ハイチの首都ポルトープランス。崩れ落ちた大統領宮殿前にある2メートル四方のテントの中でスーズ・ルイさん(26)は赤ちゃんの小さな口に液体の栄養剤を含ませた。 「暑いから脱水症状になってしまって」。生後12日の男児フレディ・パイヤンちゃんの細い指に口づけし体調を気遣っていた。 生後12日のフレディ・パイヤンちゃんの小さな小さな手にキスをするスーズ・ルイさん。フレディちゃんはこの翌日、短い命を終えた=ポルトープランスで2010年1月24日、梅村直承撮影 大地震が起きる半日前の12日未明、病院でフレディちゃんを産んだ。迎えに来た技師の夫(36)と午後に退院。「すごくおなかがすいた」と甘えた。夫は出来合いのスパゲティを買ってくれた。「上司にお金を頼むよ。今度はスパゲティよりおいしいものを買ってくる」と言い、職場に向かった。 その1時間後の夕方、突き上げる揺れと
ハイチの人身売買監視を開始 国連児童基金(ユニセフ)の発表などによると、ユニセフは22日までに、ハイチ地震の被災者の半数近くを占める子どもに対する緊急支援活動を強化するとともに、同国社会省などと協力して子どもの不法な国外連れ出しを防止する監視活動を開始しました。 ハイチでは地震発生後、10人以上の子どもが病院から連れ去られたといいます。同国では以前から、子どもを売買する地下組織があり、不法な国際養子縁組の「供給源」になってきました。 ユニセフのベネマン事務局長は19日に声明を発表し、地震で多くの子どもが家族や保護者と離れ離れになったと指摘。「子どもたちが家族と再会できるようにユニセフはできる限りの努力を続ける。それが不可能だと判明し、しかるべき調査がなされた場合にのみ、養子縁組などの代替案が認められるべきだ」と強調しました。 ユニセフは既に、ハイチに24時間稼働の相談窓口として「ヘルプライ
カリブ海のハイチで12日に大地震が起きて、半月になろうとしています。国際支援が広がり、日本を含む医療・救援チームが、生存者の救援と被災者支援に日夜を分かたぬ活動を続けています。 想像絶する被害 ハイチ国民の苦難は察するにあまりあります。最貧国であり、しかも200年来という大地震です。被害の全容を知ることさえ困難です。7万人が埋葬されたとも伝えられますが、正確な数は不明です。推定される死者数にもなお大きな開きがあります。 全人口の3分の1近い300万人が被災し、家を失った人びとは50万人とも100万人ともいいます。人道支援が広がるなかでも、食料を受け取れるのは被災者の一部にとどまっています。衛生状態は極度に悪く、疫病が懸念されます。水や食料、医療、テントなど人道支援がなお緊急に求められています。今後はさらに、復興に向けた本格支援も重要になります。 ハイチ国民は、地震だけでなく、歴史的につくら
大地震で未曽有の被害に遭ったハイチの被災者を阪神・淡路大震災の被災地から支援しようと22日、神戸市の元町商店街で阪神・淡路大震災救援復興兵庫県民会議が被災者支援募金を訴えました。 30人が参加し、岩田伸彦事務局長が、「西半球でもっとも貧しい国といわれるハイチの子どもたちが前向きに生きられるよう、少しでも援助できたらという思いです。あの15年前の大震災で世界からいただいた援助を思い起こし、ぜひ募金にご協力ください」と呼びかけました。 神戸市垂水区の高校生2人は、「神戸も助けられて復興してきました。少しでも力になりたい」と募金を寄せました。引き返して募金する人や、「ぜひ、ハイチの方に届けてください」と声をかける女性など、1時間足らずの取り組みで11万3344円が寄せられました。「阪神・淡路大震災15年 被災地集会」などで集まった募金と合わせ27万152円がユニセフを通じてハイチに届けられます。
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