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歴史と藝能に関するwackunnpapaのブックマーク (112)

  • 桃色争議 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    朝の連続テレビ小説「ブギウギ」は、いよいよ桃色争議が佳境に入っていくようですが、そういえば2年前に紹介した『日人の働き方100年 定点観測者としての通信社』に、この桃色争議の写真があったのではないかと思い出しました。 テレビでは「梅丸少女歌劇団」となっていますが、もちろんこれは現実に存在した松竹少女歌劇団のことです。この少女たちが、1933年(昭和8年)に起こしたのが、有名な桃色争議です。 『日人の働き方100年 定点観測者としての通信社』に載っているこの写真は、東京の水ノ江滝子を中心とする争議団で、大阪の三笠静子(テレビでは福来スズ子)らが参加したものではありませんが、でも当時の争議の雰囲気が良く伝わってきます。 多くの人は勘違いをしていますが、戦時体制下に近いこの時代でも、今日に比べると遙かに多くの労働争議が起こっていたのです。 この1933年には、全国で1897件の争議が起こり、

    桃色争議 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2023/10/22
    「輝ける委員長」ですな。
  • あきれたぼういず活動記|胡弓かなた|note

    (61)川田の渡米①/あきれたぼういず活動記 (前回のあらすじ) 奇跡の再起を果たした川田は、ダイナ・ブラザースを結成、さらに美空ひばりと出会い彼女を売り出す。そして芸名を川田晴久に改めた。 有木山太もシベリアから復員してきて舞台に活躍する。 ※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を! 【川田と美空ひばりの渡米】舞台にラジオ、映画出演と忙しく活躍していた川田は、1950年1月、過労で倒れてしまう。 復帰したとはいえ、無理はできない身体だ。 もっとみる

    あきれたぼういず活動記|胡弓かなた|note
  • 戦後78年、悲惨さを伝える演劇がまた消えた…地道な芝居は「時代に合わなくなった」のか?:東京新聞 TOKYO Web

    戦後78年が過ぎ、プロの役者による戦争や被爆の体験を語り継ぐ活動が先細りしている。広島、長崎の被爆者の手記や遺稿などを基にした朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」を長年手がけてきた演劇制作の地人会新社(東京・新宿、渡辺江美代表)が8月6日の東京都世田谷区での公演終了をもって活動を停止した。「芝居づくりが時代に合わなくなってきた」としている。(山岸利行) 「この子たち──」は、木村光一さんの構成・演出で1985年初演。前身の地人会時代から含めて全国約400市町村、800回以上の公演を行い、戦争の悲惨さ、原爆のむごさなどを伝えてきた。反戦を声高に訴えることをせず、「母と子」の情愛を中心に構成された作品を届けてきた。

    戦後78年、悲惨さを伝える演劇がまた消えた…地道な芝居は「時代に合わなくなった」のか?:東京新聞 TOKYO Web
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2023/09/06
    伝える方法は時代や社会の変化に合わせられなければ廃れるだけです。残念ながら。
  • 大島渚を「本当に怖かった」と震え上がらせた男…ヤクザや殺人犯を演じた佐藤慶がひそかにハマっていた、意外すぎる「趣味」(週刊現代) @gendai_biz

    ヤクザや強姦殺人犯などを演じ、大島渚監督作品には欠かせない存在だった名脇役・佐藤慶(1928~2010年)。悪者のイメージとはかけ離れた、几帳面さと真面目さが、会津生まれの彼にはあった。 人間とは何かを表現したかった 「善人ってのには興味がないんですね。全然、つまんない。ワルのほうが面白い」 自らそう語るように、佐藤慶といえば、悪役だ。 映画『青春残酷物語』('60年)のヤクザ、『白昼の通り魔』('66年)の強姦殺人犯など、大島渚監督作品には欠かせない無法者で存在感を示した。

    大島渚を「本当に怖かった」と震え上がらせた男…ヤクザや殺人犯を演じた佐藤慶がひそかにハマっていた、意外すぎる「趣味」(週刊現代) @gendai_biz
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2023/03/06
    ガリ版、わたしは下手でダメだった。
  • 淳之介ら吉行家の歴史ひも解く 19日、秘蔵資料満載の講演会:山陽新聞デジタル|さんデジ

    作家の故吉行淳之介ら、吉行一家は岡山からきら星のように多彩な人材を輩出した。詩人、作家、俳優、朝ドラのヒロインのモデル…。この吉行一家の系譜をブログ記事として発信している親族・吉行夏二朗さん(東京)...

    淳之介ら吉行家の歴史ひも解く 19日、秘蔵資料満載の講演会:山陽新聞デジタル|さんデジ
  • 「ドリフも3人になっちゃったけど…」加藤茶(79)、仲本工事(80)、高木ブー(89)が考える“死ぬまでやりたいこと” | 文春オンライン

    「志村は笑いの王様だった」。ザ・ドリフターズの加藤茶(79)、仲工事(80)、高木ブー(89)による大座談会「志村けん三回忌だョ!全員集合」を全文転載します。(「文藝春秋」2022年6月号より、全2回の2回目/前編より続く) ◆ ◆ ◆ キャンディーズとの共演 仲 決め事で言えばさ、俺たちはスタジオに入ってるお客さんだけを笑わせるって考えだったよね。テレビの向こうの視聴者はもういいと。とにかく目の前のお客さんを笑わせて、その雰囲気を撮ればいいってみんなで言ってたよ。 高木 それこそ体操コントなんか、スタジオのお客さんが「成功するのか」ってハラハラ応援しながら見てたよね。仲さんは倒立したり、バック転やバック宙もやってた。今思うと、ずいぶん格的だったよ。 仲 やってたね。 加藤 あのコーナーはゲストもたくさん出たよな。 仲 ピンク・レディーと組体操したり、西城秀樹とトランポリンした

    「ドリフも3人になっちゃったけど…」加藤茶(79)、仲本工事(80)、高木ブー(89)が考える“死ぬまでやりたいこと” | 文春オンライン
  • 「ドリフって仲いいんですか」と聞かれ…加藤茶、仲本工事、高木ブーが明かした“志村と長さんの本当の関係” | 文春オンライン

    高木 2年前だから、まだワクチンもなくて、医者も治し方を知らないし、世の中がてんてこ舞いになってた時期だよ。よりによってそんな時に罹るなんて……。今なら助かって帰ってくる人も多いだろ。そう考えると、余計なこと言うようだけど、もし志村があと1週間でもコロナに罹るのが遅かったら、きっと助かってたよ。もっと病院の体制も整っていてさ、違った結果になったと思うんだよな。 加藤 まあな。でもあいつだって罹りたくて罹ったわけじゃないからさ。不可抗力だよ。 高木 不可抗力だなんて、一言じゃ言えないよ。あんな早い時期に罹って、やっぱバカだよ。 加藤 いや、言えるんだよ。罹ったのは仕方ない。あの頃は、無理だったんだよ。 高木 そうかな。 加藤 長さん(いかりや長介)が死んで18年だろ。あっという間だよな。こんなこと言うとなんだけどさ、志村がいないとコントはできないけど、長さんがいなくても、不思議と4人だけでも

    「ドリフって仲いいんですか」と聞かれ…加藤茶、仲本工事、高木ブーが明かした“志村と長さんの本当の関係” | 文春オンライン
  • 「キカイダー」「ロボコン」など往年の台本1200冊確認…テレビ史の貴重な資料

    【読売新聞】 「特別機動捜査隊」「人造人間キカイダー」など、東映が1960~70年代に制作したテレビドラマの台約1200冊が、鹿児島県鹿屋市の元監督の自宅で確認された。この時期の台は多くが失われており、テレビドラマ初期から発展期

    「キカイダー」「ロボコン」など往年の台本1200冊確認…テレビ史の貴重な資料
  • 東八郎も「師匠」と呼んだ深見千三郎 ストリップ幕間でツッコミ冴えわたる - 芸能 : 日刊スポーツ

    レビュー喜劇・軽演劇の役者を志して昭和16年に浅草オペラ館の舞台に立った深見千三郎がなぜ、晩年にストリップ劇場である浅草フランス座の舞台と裏方を取り仕切る立場となり、Netflix映画「浅草キッド」で描かれたように、のちのビートたけしの「師匠」となったのか。 答えは簡単で、昭和20年半ば以降、軽演劇の若手・中堅の役者にとって舞台で芸の修業をする場がストリップ劇場しかなくなってしまったことがその要因と言えるだろう。 同22年の元旦に開場した新宿帝都座五階劇場での歌あり踊りありコントありのレビュー「帝都座ショウ」において額縁の中で上半身裸の女性に名画のポーズを取らせた場面が“額縁ショウ”と呼ばれ、爆発的な評判となる。 Netflix映画「浅草キッド」/Netflixで全世界同時独占配信中 同年8月1日には現在まで続く浅草ロック座が開場し、「帝都座ショウ」を上演。翌23年5月から、のちに流行語「

    東八郎も「師匠」と呼んだ深見千三郎 ストリップ幕間でツッコミ冴えわたる - 芸能 : 日刊スポーツ
  • ツービートと深見千三郎 私は「浅草キッド」の登場人物を同じ舞台で観た - 芸能 : 日刊スポーツ

    昭和40年代の浅草を舞台に、ビートたけし誕生秘話を描いたNetflix映画「浅草キッド」(劇団ひとり監督)。若き日のタケシ(柳楽優弥)と、その師匠である浅草芸人深見千三郎(大泉洋)の笑いと涙の師弟愛は、昨年12月に全世界独占配信されて以来、Netflixランキングトップ10入りを果たすなど大きな反響を呼んでいる。知られざる深見の人となりや、現在のお笑い界に与えた影響について、実際にステージを見ている演芸評論家西条昇氏(江戸川大教授)が迫った。 ◇     ◇ ビートたけしの浅草フランス座における修業時代を劇団ひとり監督が描いたNetflix映画「浅草キッド」が配信されて以来、たけし役の柳楽優弥とその師匠である深見千三郎役の大泉洋の好演もあって、たけしの芸風や芸人としての姿勢に大きな影響を与えた深見千三郎という存在に興味を持った人は少なくないのではないか。 Netflix映画「浅草キッド

    ツービートと深見千三郎 私は「浅草キッド」の登場人物を同じ舞台で観た - 芸能 : 日刊スポーツ
  • 永田キング

    人 物 永田  ながた キング ・ 名 永田 義一 ・生没年 1910年8月~1977年2月4日 ・出身地 京都府 永田  ながた エロ子 ・ 名 永田 チエ子 ・生没年 1920年~平成以降 ・出身地 京都府 来 歴 戦前戦後活躍した漫才師兼コメディアン。その生涯は澤田隆治氏の『永田キング』に詳しいのでそちらを是非買ってください。名著です。 大体の経歴はそこに出ているので気になる人はを読んでください(二度目)。資料付きで貴重なそれです。 下記項目は、澤田氏が書き漏らしたものや(当人からこれは知ってる知らないと判別してもらった資料)の補遺という形で形成しております。 生涯の全貌を知りたい方は、是非を買ってみてください(三度目)。 永田キングの前歴 出身は京都。五女四男の兄弟がおり、男の兄弟では末っ子――というが、その下に盛由という弟がおり、澤田氏もご存知ではなかった。澤田氏にその旨

    永田キング
  • 人生の大先輩、その言葉が心に響いた暑い夏 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    人生の大先輩、その言葉が心に響いた暑い夏

    人生の大先輩、その言葉が心に響いた暑い夏 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
  • 神戸新聞NEXT|総合|兼高かおるさん「旅の資料館」2月末閉館へ 淡路

    写真左から時計回りに“若き日”の兼高かおるさん、人ゆかりの器や小物、人ゆかりの民族衣装=淡路市塩田新島、淡路ワールドパークONOKORO 神戸市出身の旅行ジャーナリストで、2019年1月に90歳で死去した兼高かおるさんのコレクションを展示してきた「旅の資料館」(兵庫県淡路市)が28日に閉館することが分かった。兼高さんはテレビ海外紀行番組の案内役として約150カ国を巡り人気を集めたが、往時の活躍を知らない人も増え、入場者が減っていた。7日から番組の特別上映などを企画している。(佐伯竜一) 資料館は1985年、淡路島で開かれた催し「くにうみの祭典」の目玉施設としてオープンした。高さ約7メートル、床面積700平方メートルの鉄筋コンクリートの建屋に、旅で集めた工芸品や民俗資料など約1600点を所蔵、当時の映像や写真パネルを並べる。 祭典会場跡地の観光施設「淡路ワールドパークONOKORO」

    神戸新聞NEXT|総合|兼高かおるさん「旅の資料館」2月末閉館へ 淡路
  • 観客の皆様へーミュージカル『ヘアスプレー』

    観客の皆様へ 『ヘアスプレー』のクリエイターである私たちが、高校やコミュニティシアターにこの作品の上演許可を出すようになったころ、黒人である登場人物をアフリカアメリカ人以外が演じるためメイクアップを行うことをめぐり、一部の人から質問を受けました。 世界中のすべてのコミュニティが『ヘアスプレー』の脚通りにキャスティングができるような、見事にバランスのとれた民族構成メイクアップにはなっていない(駄洒落で失礼します)ことは理解していますが、当然ながら出演者の顔に色を塗ることなど(たとえそれが敬意をもって、控えめに行われるものだとしても)許可できませんでした。というのも、やはりそれは結局のところブラックフェイス(黒塗りメイク)の一種であり、いうまでもなく作品が反対の立場を取っている、アメリカの人種にまつわる歴史の一ページだからです。 また、肌の色を理由として、俳優がある役を演じる機会を否定す

  • 気が付けば「忠臣蔵」の人気や知名度が無くなっていた(らしい)理由の考察など - Togetter

    【追加情報】2018年12月19日午後8時、TBSラジオで時代劇に詳しい春日太一氏がこのテーマで語る予定 今さら聞けない「忠臣蔵」入門 by 春日太一 12月 19日 (水), 午後8時 ~ 午後9時 https://www.tbsradio.jp/a6j/ https://twitter.com/tkasuga1977/status/1074598542482653184 ……国際化というのは英語なんかしゃべることではない。英国では誰だって英語を話す。イギリス人の冗談しゃれ会話のすべては、シェイクスピアをふまえている。一数学者が朗々と暗誦するのを聞いてそう思った。なまじ英文学をかじったなんてのはバカにされるだけだ。それより和漢の古典をしっかり読んでおいたほうが互いに友になれる。 (※という藤原正彦の文章を)読んで私はついこの間まで日人も皆そうだったことを思い出した。主人は店の者にお前な

    気が付けば「忠臣蔵」の人気や知名度が無くなっていた(らしい)理由の考察など - Togetter
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2018/12/17
    みなもと太郎の『冗談新選組』のオマケに載ってた播磨弁の忠臣蔵が面白かったんだけどなあw
  • 喜寿の仲本工事が明かすドリフが解散しない理由「加トちゃん天才型、志村は努力家」/デイリースポーツ online

    喜寿の仲工事が明かすドリフが解散しない理由「加トちゃん天才型、志村は努力家」 3枚 テレビの黄金時代をけん引したザ・ドリフターズの仲工事が77歳の誕生日を迎えた5日、喜寿を祝うパーティーを都内で開催した。仲はデイリースポーツの取材に対し、半世紀以上を過ごしたドリフターズを語った。 今も語り継がれる土曜夜のTBS系「8時だョ!全員集合」(69~85年)。仲は「忙しかった頃は睡眠時間4時間くらい。今もそのくせが抜けなくて、すぐ目が覚めちゃう。全国を回るので、メンバーと一緒にいる時間が全体の3分の2、家で過ごすのが3分の1だった」と振り返る。 リーダー・いかりや長介さんの影響力も指摘した。仲は「亡くなって14年だけど、まだ生きているみたいでね。今もライブで、いかりやさんの話題になるとウケるんですよ。ということは、いまだにみんなの意識の中で生きているんだよね。『それ誰?』という人がいない

    喜寿の仲本工事が明かすドリフが解散しない理由「加トちゃん天才型、志村は努力家」/デイリースポーツ online
  • 圓生師終焉の地へゆく(その2): 【落語はろー】情報交換の部屋

    【落語はろー・データ編】公開中(ここをクリック) 古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 昨日の続きです。 私は総武線沿線に住む人間なので、津田沼の駅は電車で千回とか二千回とか通過しているはずです。なのですが圓生師は最も敬慕する噺家でありながら石碑の建つこの「終焉の地」を訪れるのは今回が2回目です。 圓生師最後の口演の場である元結婚式場、現中華料理店をチラッと覗いた後は南東に1キロメートルほどの所にある「習志野第一病院」へ15分程かけて徒歩で向かいます。 先日も記した通り圓生師は津田沼駅前のサンペデックという商業施設内の結婚式場での後援会発足式で小噺「桜鯛」を演じた直後心臓発作で苦しみだし、その場に居合わせた習志野医師会長の応急手当てを受けます。救急車で圓生師が収容されたのが「三橋整形外科耳鼻科医院」で、現在は「習

  • 圓生師終焉の地へゆく(その1): 【落語はろー】情報交換の部屋

    東京駅から総武快速線で津田沼駅までは30分程。JR駅の北口から新京成線新津田沼駅までの300メートル程の通りが駅付近でもっとも繁華な地帯で、パルコやイトーヨーカドーなどの大型店が立地します。繁華な北口に比して南口は開発が遅れ、十数年前までは西側に広大な畑地が広がるという有様でした。wikipediaによるとこの南口が整備され大型複合施設「サンペデック」が開業したのは1978年10月。3階までがスーパーなどの商業施設で、その直上の西側と東側に11階建ての棟がそれぞれ建ち、その中央に「習志野文化ホール」があります。 東側の棟の11階にあった結婚式場(宴会場とも)「菊の間」で行われた後援会の発足記念の式で圓生師は小噺「桜鯛」を演じた後に心臓発作で倒れ、その後近くの病院で亡くなりました。書籍やネットで最後の口演は「習志野文化ホール」でなされたとの記述があちこちでありますが、これは別の施設であり誤り

  • 日中戦争に派遣の漫才師、横山エンタツの日記写しを発見:朝日新聞デジタル

    80年前の1938年1月、日中戦争のさなかに、芸人による慰問演芸班「わらわし隊」が中国に派遣された。その一員だった漫才師横山エンタツ(1896~1971)が戦地でつづった日記の写しが見つかった。南京事件が起きた現地の生々しい目撃談や、戦争を題材とする笑いのアイデアが書き留められていた。 わらわし隊は朝日新聞が吉興業の協力で始めた。エンタツは最初の派遣に参加。上海や南京などでの体験を手帳につづっていた。手帳の現物は、保管していた遺族が亡くなって行方はわからない。今回、関係者が保存していた写しが見つかった。 日記は一行が上海に着いた1月17日から、帰国した2月13日までほぼ毎日書かれていた。南京入りして2日目の1月24日付には、揚子江沿岸部の下関(シャーカン)を訪れたと記す。日軍による南京陥落から6週間後だ。 「その当時は敵の死体で一ぱいだったそうだが凡(すべ)て我軍の制理であとかたもなし

    日中戦争に派遣の漫才師、横山エンタツの日記写しを発見:朝日新聞デジタル
  • エンタツ慰問記、困惑と郷愁「死体、何の気も起らない」:朝日新聞デジタル

    日中戦争のさなかだった80年前、慰問演芸班「わらわし隊」を派遣した朝日新聞は、その活動ぶりを伝える記事を掲載した。派遣に先立つ社告には「出征皇軍慰問」のため、国民から寄託された資金の一部を使い、軍当局の援助を受けて派遣を決定した、とある。横山エンタツの日記には、当時の記事にはない現地での出来事の詳細や胸の内がつづられている。 横山エンタツ兵庫県生まれ。1930年にコンビを組んだ花菱アチャコと、洋服姿で会話を中心に笑わせる近代漫才のスタイルを確立した。漫才「早慶戦」で一世を風靡し映画界にも進出。アチャコの後は杉浦エノスケと組んだ。チャプリンやロイドの影響を受け、ちょびヒゲと眼鏡で親しまれた。NHK連続テレビ小説「わろてんか」に登場する芸人キースの人物づくりで参考とされた一人。 「又敵機現る 各自その場所につく 爆撃キ、セントウキが二十餘器 敵御座んなれと爆音勇ましく浮び上る 百雷の様だ」(原

    エンタツ慰問記、困惑と郷愁「死体、何の気も起らない」:朝日新聞デジタル
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2018/01/20
    これは全文を活字に起こして出版されるべきものではないかしら。