石川県能登半島地方を震源とする地震に対する自衛隊派遣を巡り、野党の一部から「逐次投入」「初動が遅い」といった批判が出ている。政府は部隊の増強を重ね、6日までに5400人態勢に拡充したが、2016年の熊本地震では発生から5日後に2万2000人を派遣した実績があるだけに、派遣規模に限れば見劣りの感もある。数字上で差が生じた背景には何があるのだろうか。 「今般の自衛隊の災害派遣について一部、逐次投入であるとか、初動が遅いといった指摘がある。私から少し詳しく説明をしたい」
加藤官房長官は、高知県の足摺岬沖の海上で海上自衛隊の潜水艦と民間の商船が衝突する事故があったことを明らかにしました。民間の商船の船体にダメージはないとみられるということです。防衛省によりますと、この事故で民間の商船の乗組員に、けが人は確認されておらず、海上自衛隊の潜水艦の隊員3人が軽いけがをしましたが、病院に搬送する必要はない程度だということです。 加藤官房長官は、午後の記者会見で、8日午前10時58分ごろ、高知県の足摺岬沖の海上で海上自衛隊の潜水艦「そうりゅう」と民間の商船が衝突する事故があり、総理大臣官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置し、状況の把握にあたっていることを明らかにしました。 そして「菅総理大臣から、情報収集に万全を尽くすこと、民間商船の安全確認と必要な場合は迅速な救助活動を徹底すること、国民への情報提供を行うことの指示があった」と述べました。 そのうえで加藤官房長官は
「雫石事故」40年 現地で遺族祈り 岩手 「雫石事故」の慰霊碑に花を供える女性=30日午前、岩手県雫石町 1971年7月、岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機が衝突し、162人が犠牲となった「雫石事故」から丸40年となった30日、事故の遺族らが現場となった同町の「慰霊の森」を訪れ、犠牲者の冥福を祈った。 多数の犠牲者が出た静岡県富士市の遺族ら約60人は慰霊碑に花を供え、静かに手を合わせた。 弟を事故で失った遺族代表の小山和夫さん(68)は「私たちにとって、忘れることができない事故。事故が風化せず、航空関係者にとって、この場所が空の安全を祈願する場所になってくれれば」と話した。 事故は71年7月30日午後2時すぎ、千歳発羽田行きの全日空ボーイング727旅客機と、訓練飛行中の航空自衛隊F86F戦闘機が空中で衝突して墜落、全日空機の乗客と乗員計162人全員が死亡した。自衛隊機の乗員1人は脱
雫石町の上空で全日空機と自衛隊機が衝突し、乗員乗客162人が死亡した「雫石事故」から40年の30日、同町の墜落現場近くにある「慰霊の森」で、慰霊祭が営まれた。参列者は改めて空の安全を誓った。 式典には、深谷政光雫石町長や全日空関係者のほか、犠牲となった静岡県富士市の団体旅行客の遺族ら約100人が出席。遺族会代表の小山和夫さん(68)が「事故を風化させないためにも次の世代の子供たちに伝え、慰霊の森を空の安全を祈念する場所にできたらと思う」と述べた。 県内の高校に通う佐藤進さん(16)は初めて慰霊の森を訪れた。「震災もひどいが、飛行機同士がぶつかるなんて考えられない。忘れちゃいけない事故だ」と話した。 事故は1971年7月30日に発生し、富士市の団体客125人を含む162人が死亡。慰霊祭は2003年に33回忌の式典が行われたが、遺族の高齢化で遺族会のメンバーが減り、その後は規模を縮小して
2010年6月24日 スカイマーク株式会社は、2010年9月より「神戸‐茨城線」を運休とさせていただくことを決定いたしましたので、ここにお知らせいたします。 本件、運休に至る経緯は以下の通りとなります。 「神戸-茨城線」は当初の想定よりも好調で黒字運航を行っておりましたが、本社コストや定期整備コストを含めれば黒字にはなっておりませんでした。当社としては低価格帯の運賃で需要を掘り起こし、3便以上の運航体制を敷いた時点で完全黒字にすることを目指しておりましたが、ここに来て茨城空港は他の空港と異なり、自衛隊の指揮下で運航しなければならないことが判明いたしました。茨城空港と自衛隊との間でそのような取り決めがあるようです。 例えば、航空祭では運航ダイヤの大幅な変更を求められておりますし、観閲式では運航の中止を求められる可能性もあるようです。これでは定期便としての運航を行うことができません。当社では機
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