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訃報とプロレスに関するwackunnpapaのブックマーク (153)

  • キラー・カーンさん急死 眠るように意識失い動脈破裂「日米のメインイベンター」英紙も報じる - プロレス : 日刊スポーツ

    代名詞の「モンゴリアンチョップ」を武器に、昭和のプロレスで大活躍した日人プロレスラー「キラー・カーン」こと小沢正志(まさし)さんが29日に亡くなったことが30日、分かった。76歳。東京・西新宿で経営する「カンちゃんの人情酒場」の営業中に眠るように意識を失い、そのまま息を引き取った。死因は「動脈破裂」だった。葬儀は近日中に近親者のみで営まれ、お別れの会なども検討されている。 ◇   ◇   ◇ また1人、昭和のプロレスの名バイプレーヤーが天国へと旅立った。関係者によると、29日午後8時30分すぎ、カーンさんは「カンちゃんの人情酒場」の営業中、カウンター席に腕を組んで座ったまま、眠るように意識を失った。異常に気付いた数人の常連客が救急隊を呼び、店内で蘇生措置。病院へ救急搬送されたが意識は戻らず、午後10時4分に息を引き取った。 同酒場公式X(旧ツイッター)の最後の更新は、亡くなった当日29日

    キラー・カーンさん急死 眠るように意識失い動脈破裂「日米のメインイベンター」英紙も報じる - プロレス : 日刊スポーツ
  • 急死のキラー・カーンさん、初代栃東と53年ぶりに再会したばかりだった…息子の玉ノ井親方「残念です」 - スポーツ報知

    元プロレスラーのキラー・カーンこと小沢正志さん(店主・歌手名義はキラーカン)が12月29日午後10時4分に動脈破裂で死去したことが30日、分かった。76歳だった。関係者によると東京・西新宿で経営する居酒屋「カンちゃんの人情酒場」の営業中にカウンターで意識を失い、救急搬送されたという。 9月には恩人の先代・玉ノ井親方の志賀駿男さん(元関脇・初代栃東、79)と53年ぶりに再会を果たしたばかりだった。元横綱・栃錦が師匠時代の春日野部屋で兄弟弟子だった2人。9月に志賀さんが次男の現玉ノ井親方(元大関・2代目栃東)とともに「人情酒場」を初めて訪れ、涙の再会となった。 幕下・越錦として初代栃東の付け人を務めていた小沢さんが腰痛によって廃業し、プロレスに転向したのが1971年。1980年代に195センチ、140キロの“蒙古の殺し屋”として“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント(故人)や“超人”ハルク・ホー

    急死のキラー・カーンさん、初代栃東と53年ぶりに再会したばかりだった…息子の玉ノ井親方「残念です」 - スポーツ報知
  • 元悪役レスラーのキラー・カーンさんが急死…本名・小沢正志さん、76歳、動脈破裂、経営する居酒屋で勤務中 - スポーツ報知

    元悪役レスラーのキラー・カーンさんが急死…名・小沢正志さん、76歳、動脈破裂、経営する居酒屋で勤務中 元プロレスラーのキラー・カーンこと小沢正志さん(店主・歌手名義はキラーカン)が12月29日午後10時4分に動脈破裂で死去したことが30日、分かった。76歳だった。関係者によると東京・西新宿で経営する「カンちゃんの人情酒場」の営業中にカウンターで意識を失い、救急搬送されたという。 新潟県出身の小沢さんは大相撲の春日野部屋(幕下・越錦)から1971年にプロレスに転向し、1980年代に195センチ、140キロの“蒙古の殺し屋”として“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント(故人)や“超人”ハルク・ホーガンと抗争し、日米でメインイベンターとして活躍した。1987年に引退し、新宿区で「居酒屋カンちゃん」を開店。歌手としては2005年に「ふるさと真っ赤か」(日クラウン)で歌手デビューし、「新宿三百六十

    元悪役レスラーのキラー・カーンさんが急死…本名・小沢正志さん、76歳、動脈破裂、経営する居酒屋で勤務中 - スポーツ報知
  • 木戸修さん死去 娘・木戸愛悲痛「とても悲しく寂しい気持ちでいっぱい」1日に結婚を発表したばかり… - スポニチ Sponichi Annex スポーツ

    木戸修さん死去 娘・木戸愛悲痛「とても悲しく寂しい気持ちでいっぱい」1日に結婚を発表したばかり…

    木戸修さん死去 娘・木戸愛悲痛「とても悲しく寂しい気持ちでいっぱい」1日に結婚を発表したばかり… - スポニチ Sponichi Annex スポーツ
  • 元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛 - プロレス : 日刊スポーツ

    新日プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。 関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。 娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。 68年10月に日プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日プロレスを退団し、72年3月、新日の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイ

    元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛 - プロレス : 日刊スポーツ
  • アントニオ猪木さん死去 79歳、心不全 プロレスや政界で活躍 アリと異種格闘技戦も - プロレス : 日刊スポーツ

    元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。 力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。89年には参議選で初当選した。近年は腰の手術に加えて心臓の難病「全身性アミロイドーシス」も患い、入退院を繰り返していた。 ◇   ◇   ◇ 晩年は自ら“最強の敵”と語る病魔との格闘だった。猪木さんは19年6月の政界引退直後の同8月に最愛の田鶴子夫人を亡くした。同時期に自身も腰を手術。同9月には数万人に1人の確率で発症する「全身性アミロイドーシス」と診断された。タンパク質線維が心臓に沈着して、多臓器不全などを発症する難病で、20年11月

    アントニオ猪木さん死去 79歳、心不全 プロレスや政界で活躍 アリと異種格闘技戦も - プロレス : 日刊スポーツ
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2022/10/01
    プロレス中継が地上波のゴールデンタイムで毎週放送されていた時代が遠くなりました……。
  • プロレスラー鶴見五郎さんを悼む 自宅に侵入した不審男にまで優しかった悪役レスラーの素顔 - スポーツ報知

    元プロレスラーの鶴見五郎さんが26日、低血圧と敗血症のため73歳で亡くなった。昭和のプロレス少年だった私が知る鶴見さんは、1980年代初頭、国際プロレスが解散した後、全日に参戦してマイティ井上や阿修羅・原らとしのぎを削り合ったふてぶてしい悪役レスラー。その鶴見さんをリング以外で取材する機会が突然訪れた。私が文化社会部記者だった2010年4月29日のことだった。 「プロレスラー鶴見五郎さんの神奈川県茅ケ崎市の自宅に泥酔男が侵入。住居侵入罪の疑いで42歳の会社員を現行犯逮捕」の一報。これは格好のスポーツ新聞社会面ネタだ。すぐに鶴見さん宅へ向かった。取材を申し込むと、ヒール時代に必須アイテムだった竹刀で追っ払われるかと思いきや「ああ、いいよ」。騒動明けで眠たそうな声だったが、拍子抜けするほど気さくに応じてくれた。 話を聞くと、午前2時ごろ、何者かが侵入しようとする音で目を覚まし、当時25歳だっ

    プロレスラー鶴見五郎さんを悼む 自宅に侵入した不審男にまで優しかった悪役レスラーの素顔 - スポーツ報知
  • ターザン後藤さん急死 58歳 大仁田厚とFMW伝説の電流爆破マッチで激突した「鬼神」 | 東スポWEB

    FMWやIWAジャパンなどでデスマッチファイターとして活躍したプロレスラーのターザン後藤さん(名・後藤政二)が、29日午後6時50分に死去していたことがわかった。58歳だった。 盟友だったミスター雁之助さん(53)によると、30日の夕方に関係者を通じて連絡があったという。関係者には、親族からすでに通夜と告別式の日程が伝えられている。 雁之助さんは「いまだに信じられないし、実感が湧かない。後藤さんに厳しく教えてもらったおかげで、長年できたことは財産です。感謝しかありません。ご冥福をお祈りします」と沈痛な声で語った。 後藤さんは静岡・島田市出身で、大相撲から全日プロレス入り。1981年2月の越中詩郎戦でデビューした。海外遠征を経て、89年に邪道・大仁田厚が旗揚げしたFMWに参戦。「鬼神」と呼ばれ、デスマッチファイターとして名を上げた。大仁田とは「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」で死闘を繰

    ターザン後藤さん急死 58歳 大仁田厚とFMW伝説の電流爆破マッチで激突した「鬼神」 | 東スポWEB
  • ストロング小林さん通夜、遺影は現役時代に輝いた筋骨隆々の姿…「一番気に入っていた写真でした」 - スポーツ報知

    昨年12月31日に亡くなった元プロレスラーで俳優としても活躍したストロング小林さん(名・小林省三。享年81)の通夜が8日、東京・青梅市の青梅市民斎場でしめやかに営まれた。 通夜には元新日プロレス専務取締役の新間寿氏、ストロングスタイルプロレスの平井丈雅代表らが参列した。また、新日プロレスの坂口征二相談役、ドラディションの藤波辰爾、長州力、初代タイガーマスクの佐山サトル、元新日プロレスレフェリーのミスター高橋氏から弔花が届けられた。 祭壇には、小林さんが1971年6月にIWA世界王座を奪取し、7月に凱旋帰国した時に羽田空港で会見した際の写真が遺影として飾られた。小林さんが30歳の時の写真で、褐色の肌に筋骨隆々の肉体へとベルトを巻く姿は、希望に満ちた表情だった。 この写真を遺影にした、喪主を務めた妹のさち子さんは「兄が自室に飾るほど一番、気に入っていた写真でした。チャンピオンになって、

    ストロング小林さん通夜、遺影は現役時代に輝いた筋骨隆々の姿…「一番気に入っていた写真でした」 - スポーツ報知
  • ストロング小林さん死去 81歳 74年蔵前「昭和の巌流島」を戦ったアントニオ猪木氏「ありがとう」 - スポーツ報知

    元プロレスラーで俳優としても活躍したストロング小林さん(名・小林省三)が、昨年12月31日午前7時21分、東京・青梅市内の病院で、のう肺(肺が炎症を起こす病気)のため亡くなっていたことが6日、分かった。81歳だった。1974年3月に当時、禁断とされ「昭和の巌流島」と呼ばれた団体の枠を超えた日人対決、アントニオ猪木戦を実現させ、昭和プロレス史を彩った。かつての戦友に、78歳の猪木氏は6日、「ストロング小林選手、ありがとう」と追悼コメントを発表した。 昭和プロレス史に残る数々の名勝負を残した小林さんが旅立った。 関係者によると小林さんは、4年前から腰椎損傷で下半身が動かなくなり青梅市内の特別養護老人ホームで1週間のうち4日間、3日間を青梅市内の自宅で生活をしていた。昨夏からは老人ホームで暮らすようになり、昨年11月に肺を患い青梅市内の病院に入院。暮れの12月30日に容体が急変し、家族に見守

    ストロング小林さん死去 81歳 74年蔵前「昭和の巌流島」を戦ったアントニオ猪木氏「ありがとう」 - スポーツ報知
  • ストロング小林さん死去 74年にアントニオ猪木と「昭和の巌流島」の名勝負 | 東スポWEB

    アントニオ猪木氏と「昭和の巌流島」と呼ばれる名勝負を繰り広げたことで知られる元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さんが死去していたことが分かった。81歳だった。 近しい関係者によれば小林さんは昨年末に都内の病院で亡くなった。死因は不明だという。 小林さんは1966年に国際プロレスに入門。翌67年に日初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。68年から素顔に戻り、国際プロレスのエースとして活躍した。 74年2月には国際プロレスを退団し、一時的に東京スポーツ新聞社の所属レスラーとなった。同年3月に新日プロレス蔵前国技館で猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑戦。ジャーマンスープレックスで敗れたが、当時としては異例の日人選手同士・団体エース同士のタイトルマッチは高い注目を集め「昭和の巌流島」と呼ばれた。 その後は新日プロレス、WWWFなどで活躍し84年に引退。引退後は「ストロン

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  • 北斗晶「凄い美人だった」風間ルミさんとの髪切りマッチの思い出つづる - おくやみ : 日刊スポーツ

    元プロレスラーでタレントの北斗晶(54)が22日、ブログを更新し、かつてアイドルレスラーとして人気を集めた風間ルミさんの訃報を受け、「凄い美人だった。笑うと可愛い人だった」としのんだ。 北斗は「私しか思い出してやれない顔がある。」のタイトルでブログを更新。かつて“髪の毛”をかけて戦った髪切りマッチについて書き出し、その対戦相手だった風間さんを丸坊主にした思い出を振り返った。 「相手選手の髪にバリカンが入り 長い髪がバサバサリング下に落ちていき 大きな目がどんどん、赤く潤んで行く姿。彼女を思い出すなら、あの瞬間の負けても尚、腕を前に組み目を真っ赤にしながらも強がる姿!凄い美人だった。笑うと可愛い人だった。人の中で、色んな印象があるだろうけど…多分、あの瞬間の目だけで悔しさも切なさをも見せた彼女を思い出せるのは たった1人あの瞬間に目の前にいた戦った私だけだろう」と北斗。「だから、彼女を思い出

    北斗晶「凄い美人だった」風間ルミさんとの髪切りマッチの思い出つづる - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 女子プロレスラー風間ルミさん死去、55歳 8月末に子宮内膜症の痛み告白 - プロレス : 日刊スポーツ

    女子プロレスラーの風間ルミ(名・斉藤ルミエ)さんが21日、死去した。55歳だった。死因は不明。8月30日には自身の公式ツイッターで子宮内膜症の痛みについて告白し、公式ブログでも「ずっと来ていなかった子宮内膜症の痛みが出始めて。薬を上手に飲まないと、何も出来ない状態」とも説明。9月3日のブログでは「今日にはお仕事復帰できるかな?と思っていたんだけど、やっぱり甘かったです。やはり、べれていないのが1番厄介」などと欲が出ていない現状も明かしていた。 風間さんは高校生だった85年にシュートボクシングでキックボクサーとしてデビュー。86年にジャパン女子プロレスに入団し、神取忍らと同期だった。ジャパン女子解散後の92年7月には神取らとLLPWを設立し、社長兼レスラーとして活動。全日女子プロレスとの対抗戦では北斗晶との髪切りマッチで敗退し、丸刈り頭になった。 02年に社長を退任し、神取に団体を託

    女子プロレスラー風間ルミさん死去、55歳 8月末に子宮内膜症の痛み告白 - プロレス : 日刊スポーツ
  • 元女子レスラー・風間ルミさん急死 55歳 8月末に“持病”ツイート | 東スポWEB

    ジャパン女子プロレス、LLPWなどで活躍した元女子プロレスラーの風間ルミさん(名斉藤ルミエ)が死去したことが22日までに分かった。55歳だった。死因は不明。 風間さんは1982年にキックボクサーとしてデビュー。シュートボクシングを経て、86年にジャパン女子プロレスに入団した。活躍はリングだけにとどまらず、歌手としてもデビューした。 92年にはLLPWを旗揚げし、社長兼レスラーとして団体をけん引。2002年に引退を表明し、03年8月に格闘生活21年、レスラー生活17年のピリオドを打った。 引退後は芸能活動を再開すると同時に、飲店の経営や、講演活動、コーチ業などを行っていたという。昨年11月には自身のユーチューブチャンネルを開設し、工藤めぐみらとの対談模様や近況報告をアップしていた。 だが風間さんのツイッターには8月30日に「久々にジワジワきている子宮内膜症の痛み。この痛みのため、全く何も

    元女子レスラー・風間ルミさん急死 55歳 8月末に“持病”ツイート | 東スポWEB
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2021/09/22
    同年代の方が亡くなるのはこたえる。合掌。
  • 武藤敬司「整理がつきません」恩人ナガサキさん悼む - プロレス : 日刊スポーツ

    プロレスラーのケンドー・ナガサキこと桜田一男さんが71歳で死去したことが13日までに分かった。 訃報を受け、武藤敬司(57)が日刊スポーツにコメントを寄せた。武藤にとって、桜田さんは80年代米マットで活躍した時の恩人だった。 「突然の訃報に驚いております。サクラダさんとは若手時代に海外で大変お世話になり当に良くして頂きました。実は自分がプロデュースする大会にも来て頂こうと構想があったのですが…残念です。サクラダさんは膝を人工関節にしていたので、私が人工関節施術手術を終えた時に電話を頂きいろいろアドバイスや心配をして頂いたのが最後の会話になってしまいました。サクラダさん、思い出が多すぎて整理がつきませんが当にありがとう御座いました。心よりご冥福をお祈り致します」。

    武藤敬司「整理がつきません」恩人ナガサキさん悼む - プロレス : 日刊スポーツ
  • ケンドー・ナガサキさん死去、デスマッチ戦線をけん引 - プロレス : 日刊スポーツ

    「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラー桜田一男さんが亡くなったことが13日、分かった。71歳だった。死因は不明。元所属先の大日プロレスによれば、12日に千葉の自宅で亡くなっているところを知人に発見されたという。 桜田さんは64年に大相撲立浪部屋で初土俵を踏み、71年に日プロレスでデビュー。70年代後半から80年代にかけて米国で落武者姿のヒールレスラーとして活躍した。95年には大日旗揚げに参加。同団体デスマッチ戦線をけん引するだけでなく、総合格闘技にも挑戦。プロレス界「ケンカ最強」と言われてきた。 この日の大日後楽園大会では、10カウントゴングでの追悼が行われ、試合中は遺影がリングサイドに飾られた。グレート小鹿会長(77)は「彼の協力がなかったら、今の大日はない」と感謝。米国に子どもはいるが、日では独り身だったと明かし、「もし親戚、知り合いの方ががいれば大日

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  • プロレスラーのケンドー・ナガサキさん死去 “日本人ヒール”として全米で活躍/デイリースポーツ online

    プロレスラーのケンドー・ナガサキさん死去 “日人ヒール”として全米で活躍 拡大 「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラーの桜田一男氏が死去したことが13日未明分かった。米国のプロレスラー親睦団体「カリフラワー・アレイ・クラブ」が公表した。享年71。死因は不明だが、心臓のペースメーカーの故障によるという情報がある。 1948年、北海道網走市出身の桜田氏は64年に大相撲の立浪部屋から初土俵。71年に日プロレスに入門し、プロレスに転身した。日プロレス崩壊後には全日に移籍し、米国に進出して日人ヒールレスラーとして存在感を発揮。新日プロレスにも参戦し、その後は大日などインディー団体などでも活動した。またプロレス界ではけんか最強との呼び声もあり、総合格闘技に参戦した経験もある。 16年には心臓の手術を受けていた。今月11日には千葉県船橋市で開催されたパーティーに出席して

    プロレスラーのケンドー・ナガサキさん死去 “日本人ヒール”として全米で活躍/デイリースポーツ online
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2020/01/13
    懐かしい……合掌。
  • 元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲の第60代横綱で、現役横綱双羽黒のまま廃業し、プロレスラーに転身した北尾光司さんが、2月10日に慢性腎不全で亡くなっていたことが29日、分かった。55歳だった。87年12月にトラブルで立浪部屋を飛び出し、その後は冒険家、タレント、格闘家へと転身。98年に格闘家も引退した。波乱に満ちた人生が幕を閉じた。 ◇    ◇    ◇ 北尾さんは立浪部屋から1979年(昭54)3月の春場所で初土俵を踏み、86年(昭61)1月の初場所から大関、同年9月の秋場所から横綱に昇進。横綱として8場所務めた後、87年12月にトラブルで部屋を飛び出し、その後、師匠から当時の「廃業届」が提出された。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。 相撲

    元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍 - 大相撲 : 日刊スポーツ
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2019/03/29
    何があったんだろう……。
  • 日本嫌いのデストロイヤーさんが親日に変わった理由 - プロレス : 日刊スポーツ

    7日(日時間8日)に亡くなった伝説の覆面レスラー、ザ・デストロイヤーさんは、故力道山の好敵手として有名だった。63年5月に力道山の招きによって日プロレスに初来日した。米国のプロモーターへ日行きを打診されたとき、デストロイヤーさんは激しく拒絶したという。 当時の話をデストロイヤーさんから聞いた力道山夫人の田中敬子さんは「デストロイヤーさんは、『オレは日人は嫌いだから日には行きたくない。真珠湾を攻撃した日人は許せない』と断ったと言っていました」と話す。力道山と1試合だけして帰ってくればいいから、と説得され、渋々来日したという。 しかし、力道山とデストロイヤーさんの試合は、日で絶大な人気を博した。63年5月24日、東京体育館で行われたWWA世界ヘビー級選手権での2人の戦いは、平均視聴率で64・0%という驚異的な数字をマーク。足4の字固めという当時の日では見慣れないワザを駆使する、

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  • デストロイヤーさん死去、88歳 子ども妻に囲まれ - プロレス : 日刊スポーツ

    力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日時間8日)、亡くなった。享年88歳。同日に複数の米メディアが報じた。元プロレスラーの息子カート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで報告したもので「父のデストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤーが今日正午すぎに亡くなりました。自宅で子どもたち、に囲まれながら平穏に去っていきました」などとつづった。デストロイヤーさんはここ数週間、病院のケアを受けていたという。 米バファロー出身のデストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日プロレスに初来日し、力道山と対戦した。特に同年5月2

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