・しょうが焼きの残ったタレを絡める ・お好み焼き あとひとつは?
忘れもしない3月11日。 あの日、俺は中学生3年生で、卒業式の予行演習などというダルいイベントのため、学年全員で体育館へ移動していた。 その時起こった。異様な「揺れ」。 はじめこそ その大きさに気付かなかったが、段々と実感する。 歩けない。 立てない。 座るしかない。 特に校庭に植えてあった背の高い植物が振り子のように揺れているサマを見て、その異常性を実感した。 パキバキパキッ 何の音だ?わからない。 「校舎の側にいる奴ー!!移動しろーーッ!」 体育教師の怒号が響く。 なるほど、窓が割れたのか。 移動中だった3年生は体育館ではなく校庭へ移動することとなった。 程なくして1年生と2年生が集まる。 俺の通う中学は携帯持ち込み禁止だったが、こうなってしまえばもう関係ない。 各々携帯を取り出しニュースを見ていた。 震度6強 目に飛び込んできたのは揺れの瞬間の映像。崩壊した家屋。割れた道路。震度と震
静岡の清水に「なすそば」という地元メシがある。ちゅうかなかむら家という店で出しており昼メシ時には行列ができるほど地元では有名かつ人気がある。 「なすそば」はナスと豚肉の甘辛い餡が乗ったラーメンなのだが、甘辛いの甘いと辛いが両方とも主張が激しい。辛さもそれなりなのだが、大量の砂糖をぶち込んだと思われる甘さがヤバい。 その甘さにより好き嫌いがはっきり分かれる。ハマる人もいれば、甘すぎて嫌いという人もいる。唯一無二と言ってしまえばそれまでなのだが、それが並んでまで食べる人が多い理由なのだろう。自分は甘すぎだろと毎回思うのだが、甘すぎるくせに辛くて汗かきながら食うのにハマってしまいついつい食べに来てしまう。 この前食いに行った時に隣で食べてた他県民と思われるカップルの女性の方が甘すぎると呟きながら食べていたが結局半分以上残していた。地元の有名店だと思って観光がてら来たんだろうがハズレたようだ。 こ
ヒロインって書いたけど、恋愛レースに負けたキャラ全般の話をしたいので別に男キャラでもいいんだけど。 ぼく勉のマルチエンド方式が荒れたりしてたけど、実際恋愛作品における恋愛レースに負けた(思い人と結ばれなかった)キャラってどうやったら救われるんだろう。 よく恋愛だけが幸せじゃない!とかも聞くけどさ、ラブコメ及び恋愛作品のゴールはやっぱり好きな人と結ばれることなわけじゃん。少年漫画とかだったら恋は実らなかったけど宿敵は倒せたし世界の平和に貢献できたから幸せ!とはできるかもだけど、恋愛メインの作品で志望校に受かったとか課題を乗り越えられたとかが失恋を帳消しにできるほどの幸せにはなかなかならないような気がする。 余り物同士でくっ付いたり新しい恋が見つかるのも、勿論いいんだけど作中で数年の時が経ってようともリアル時間では数話前に思いを語ってた相手から速攻乗り換えてるの!?みたいな感覚に読者としてはな
この事実に気づいてから仕事中ずっと気になってしょうがない 特に男の人が横に立って自分に話しかけてくる時とか、薄い布2枚を隔てて30cm先くらいにちんこがあるわけでしょ? これってかなり驚愕の事実というか、そんなやばいもんぶら下げて呑気に話しかけてんじゃねえよという気持ちがある そしてこの事実にみんな気づかず危ういところで成立している日常生活の危うさ… 昔の侍が刀を鞘に収めてたように、それなりの取り扱いをして然るべきではないでしょうか ちなみに自分も男です
例えば自分が10歳の頃は「懐かしアニメ特集」みたいな番組を一目見て「うわ〜古いな〜」って思ってたけど、歳取ってそういう感性がなくなってしまった。 10年一昔と言うが古さがわからん。 セリフやストーリーの古さは少しわかるけど、あの頃はストーリーなんて1ミリも知らなくても画面を見るだけで「古いな」って判ってたはずなんだよな。 全然関係ないけど「10」を漢数字に変換しようとしたら候補に会社名がいっぱい並んでて面白かった。 Android使ってる人、10の予測変換候補の下の方面白いよ。 【追記】 なるほど撮影か!言われてみればたし🦀たし🦀 リンク先もわかりやすい。 ありがとう納得した。 【追記2】 撮影なるほどと思ったのは、最近のアニメは色が暗いシーンでよく光る粒子飛んでるなと前々から思ってたから。 あれも撮影の効果で合ってるよね? ufotableがやりだした印象だけどどうだろう。 ダイの大
※この記事の内容は俺の半生に基づくサンプルデータ1つのめちゃくちゃ主観的な話になります。ので、皆さんの半生をもとにこの記事に賛成もしくは反論して欲しいと思っています。 はじめに俺は自分を善人だと思ってます。 学の無さや配慮の無さ、怠惰性がたたって良い結果にならない事があるのは自分でも認めるところですが、基本的に他人には善意を持って接したいと思っていますし、自分に関わった人間には良い気持ちでいてほしいと心から思っています。 そしてそういった心の在り方を美しいとも思っています。 こういった善意を良しとする考え方は社会一般で言う"正しい正義感"だと思っています。 (これが正しいかどうかは皆さん各々思うところがあると思いますがとりあえずそう定義してしまいます。なんせ全部主観の話なので) "正しい正義感"が形成された経緯この正義感がどこで培われたのかと考えました。 その結論が「漫画を読む」ことでした
旧TVアニメ版『うる星やつら』が終了した後、水曜日19時30分の放映枠では、同じく高橋留美子作品である『めぞん一刻』が放映された。 この時、雑誌『アニメージュ』では、何人かのクリエイターたちに「『めぞん一刻』のアニメ化についてどう思うか?」というインタビューを行い、それを記事として掲載した。 『アニメージュ』は、風の谷のナウシカの原作を連載していた雑誌なので、当然のように宮崎駿にも意見を聞いたのだが、宮崎の語った内容が、実に気持ち悪かった。 宮崎駿曰く「『めぞん一刻』なんて、五代くんが管理人さんを押し倒しちゃえば、それで終わる話なんですよ」という、正確な文面ではないかもしれないが、大体そういう言葉だった。語尾には「(笑)」も付記されていたように記憶している。 宮崎駿に限らず、昭和時代の男性クリエイターたちは、こういった「無理やり手籠めにしてしまいさえすれば、最終的に女性は男になびくもの」と
マンガンとかのキャラクター設定でたまに座右の銘ってあるけど、言うほどみんな座右の銘持ってるか? ブクマカの座右の銘教えて(ていうかある?)
例えば地面に米を撒く会っていうのがあって毎日地面に米をまいて米を無駄にしてるとするじゃん? でもちゃんとお金を出して米を買ってて地面にまくためのお米の需要っていうのが常にあるから人間が飢えずに済むだけのお米にプラス地面に撒くためのお米を作ったり備蓄したりするわけよ。 世間から食べ物を粗末にするなって叩かれながらも十年二十年と会は存続してくの。 そんである年に大災害が起きて食べ物が全然なくなっちゃってこのままだと餓死者が出るっていう時に地面に米を撒く会が「今年は我々の活動を中止します」って言ってお米の買い付けをやめるのね。 今まで地面に撒くために余分に作って会によって捨てられていたお米が命を救うことになるわけよ。 逆にフードロスゼロで常に必要最低限の食糧しか生産しない社会は冷たい方程式で人が死んでいくだろうね。
実際、ガキがOKで俺がアウトな理由ってわからん デシベルが同じなら、でけえ声はでけえ声だよな むしろ俺の声のほうが低いし、普段声出してないから多分大した声でねえから、子供の方がうるさい可能性大 電車とか高級ではないレストランとかで俺がギョエエエエ!!つってたら排斥されて、ガキだったらセーフな理由って、実際なんなんだ? というか、マジな話、たぶん、実際のところ排斥されないよな 俺はさ、本当は、スタバで突然「フンガー!こんクソ〜!!!オアアアアア!!!!!」つって暴れていいんだよ まあ暴れるっつってもコップ投げたりし出すと話が変わってくるけど、少なくともでけえ声上げて地団駄踏むくらいはいいはずだ というか、実際そういうヤベー奴っているもんな そんで、排斥されてるかっていうと、別にされてない そうなんだよ 世界って意外と寛容で、俺が勝手にルールを見出して、勝手に守ろうとして窮屈なだけなんだ だか
昔はビートたけし一択だったのに、最近は“ひろゆきのツイート”を思い浮かべる人も多いらしい。 なんとも嘆かわしい。 誰かアイツに、“一人称が俺っちになる呪い”(©空気階段)をかけてくれねぇかなあ。
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