100年前の中東では、ペルシア湾を挟んで2つの帝国が覇権を争っていた。トルコ人のオスマン帝国と、イラン人のペルシア帝国である。イスラム教の開祖、預言者ムハンマドを生んだアラブ人は落ちぶれ、オスマン帝国とペルシア帝国とに分割支配されていたのだ。 預言者ムハンマドの一族であるアリー家が、ササン朝ペルシアの王女の血を引くという伝承により、このアリー家だけを指導者とみなすシーア派はイランで広まった。 一方のアラブ世界では、血統よりもイスラム法の継承を重視するスンナ派が多数を占め、預言者の血統でなくても能力次第で「カリフ」(教団指導者)になることができた。 しかし「能力次第で」ということは下剋上を許すということにもなった。遠くモンゴル高原に兵を起こしたトルコ人は、騎馬軍団を率いてイスラム世界を席巻し、トルコ人の君主に過ぎないオスマン家が「カリフ」を僭称するようになった。 いずれにしても、アラブ人にと