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BookReviewとJPhistoryに関するShalieのブックマーク (10)

  • 呉座勇一「戦争の日本中世史」新潮選書2014.1. - 旧tototo

    同じ著者の「応仁の乱」が面白かったので読んでみたところ、だいぶ若書きというか暴走気味で「学術的な歴史」としては微妙なのだけども、それゆえに興味深いところがあるなあと思ったので、主にそちらについて。 「応仁の乱」のほうは漠然とした総論で大づかみに語られる日史上の一大エポックを細かい事件経過で綴るというもので、こちらは著者のやるべきスタイルが確立した、とても良いだった。 一方、それ以前に書かれてるこちらのは、たぶん若手が張り切りすぎて空回りしてるんだろうなあ、もしくは時間も準備もないまま慌てて書いてしまって取り繕いようがない、という感じの力み具合があって、個別の記述は面白いところも多々あるんだけれども、全体をまとめようとして導入した視点というか史観が「戦後のマルクス主義階級闘争史観の批判」で、著者自身も「書は非常に偏っている」とか「一種の思考実験」とかエクスキューズを述べてるんだけど

    呉座勇一「戦争の日本中世史」新潮選書2014.1. - 旧tototo
    Shalie
    Shalie 2021/03/25
    "19世紀的な「理性の砦」の最後の牙城がマルクス経済学だったわけで...「マルクスうざいうざい」と言うだけでは話にならないというか、ではマルクスを否定したがる自分らの位置づけはどこになるのか"
  • 東大教養学部の集中講義『歴史学の思考法』

    高校日史の教科書で、鉄砲伝来の記述として正しいのはどちらか? 1543(天文12)年、ポルトガル人の乗った船が、九州南部の種子島に漂着した。 1543(天文12)年、ポルトガル人を乗せた中国人倭寇の船が、九州南部の種子島に漂着した。 答えは、どちらも正しい。Aは、1980年代の記述で、Bは近年のものになる。 だが、イメージが違ってくる。Aだと、ポルトガル人を乗せた西洋の船が漂着した、と想起されるが、Bの場合だと、橋渡し役として倭寇が登場する(※)。 なぜ、記述が変わったのか? 新たな史料が発見されたのか? 新しい史料が発見されたわけではない。南浦文之『鉄砲記』とガルヴァン『新旧発見記』とで、漂着した年に差はあるが、根拠となる史料は変わっていない。 同じ史料に基づいているにもかかわらず、昔の教科書では「中国人倭寇の船に乗って」いなかったのはなぜか? 史料を読み取る側の変化 東大教授陣の『歴

    東大教養学部の集中講義『歴史学の思考法』
  • 変わる室町観 応仁の乱は地方分権 秩序あった - 日本経済新聞

    学術書として異例の40万部を超えた呉座勇一著「応仁の乱」(中公新書)に象徴される室町ブームが広がりを見せている。新刊だけでなく既刊の室町にも注目が集まり、城郭考古学でも成果が見られる。「分かりにくい時代」「戦国につながる無秩序」といった従来の室町観が変化してきた。9月下旬、京都市の国際日文化研究センターで同センター助教の呉座氏が「内藤湖南、応仁の乱を論じる」と題し講演。会場は聴衆で満員にな

    変わる室町観 応仁の乱は地方分権 秩序あった - 日本経済新聞
    Shalie
    Shalie 2017/11/04
    『応仁の乱』も『観応の擾乱』もおもしろかった。"亀田〔俊和〕氏は「従来説は図式的すぎて逆に分かりにくい。大半の武士たちは生き残るため、優勢な側に付こうと必死だったことを前提にして考えるべきだ」と話す"
  • [BookReview] 政権初期の内紛に見る戦略論や組織論:亀田俊和『観応の擾乱』 | Think Webby

    ▼Week35-#01:亀田俊和『観応の擾乱:室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』(中公新書, 2017年) 感想:★★★★☆ 読了:2017/08/27 土曜の日経新聞朝刊に歴史学者の平山優氏による書評が載っていた。 書は、複雑な政治史と内乱を経て形成されていく幕府の政治機構などを、実にわかりやすく描きだした。とりわけ、まず事象に関する定説、通説を置き、その問題点を研究の現状をもとに指摘、さらに史料に基づく亀田氏の考えが対置される叙述は、スリルに満ちており、初学者でも歴史学の醍醐味を十分愉しめることだろう。(記事リンク) 興味を持ってメモ代わりにツイートをしたところ、著者の先生にリツイートいただいたので、早速購入して読んでみた。 このは面白そう。 / “観応の擾乱 亀田俊和著 室町初期 骨肉の争いを解く :日経済新聞” https://t.co/O460FQkIQ4 #

    Shalie
    Shalie 2017/08/28
    土曜の日経 書評欄で興味を持ち、あとで読もうとメモ代わりにツイートをしておいたところ、著者の先生(Tw: @kamedatoshitaka)にリツイートされたのがきっかけで早速買って読んでみました。
  • 武田氏滅亡 平山優著 - 日本経済新聞

    有力な戦国大名だった甲斐の武田氏。一般には長篠合戦で織田・徳川連合軍に勝頼が大敗したことで弱体化し滅亡に至ったと思われているが、ことはそう単純ではない。偉大な父・信玄と比較され、後に暗愚とも評された勝頼だったが、長篠合戦で有力な家臣を失いながらも軍団再編に力を注ぎ、一時は信玄時代よりも広大な領国を誇った。では、武田氏はなぜ滅んだのか。日中世史が専門で『長篠合戦と武田勝頼』『検証 長篠合戦』で

    武田氏滅亡 平山優著 - 日本経済新聞
    Shalie
    Shalie 2017/05/27
    ゆっくり読み進めているけど、とても面白い。
  • 堺屋太一「豊臣秀長」 奈良・大和郡山市 - 日本経済新聞

    戦国時代の末期、天下人と呼ばれた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に次ぐ出世をした武将は誰か。作者が挙げるのは武田信玄でも毛利元就でもない。大和を中心に百万石を超える領地を持ち、従二位権大納言となって天下の政に深く関わった豊臣秀長だ。書は戦国の世で大出世をしながら語られることが少なかった秀長に光を当て、兄秀吉の補佐役という地味な立場を生涯貫く生き様を描いた。書に登場する秀長はともかくよく働く。休

    堺屋太一「豊臣秀長」 奈良・大和郡山市 - 日本経済新聞
    Shalie
    Shalie 2017/04/22
    『豊臣秀長』はナンバー2必読の書。
  • 江戸幕府末期の財政状況がわかる図 | Kousyoublog

    う~ん… 内容豊富も目次粗放、索引なし あくまでも受験用の参考書だな 目次不備、索引なし、内容豊富だが問題点も 上は享保15年、下はその約100年後、江戸幕府末期の天保14年の幕府財政状況です。 享保15年は徳川吉宗による享保の改革の真っ只中。吉宗が将軍就任の前の時点は、幕府は五代綱吉のころの米価下落と綱吉から七代将軍家継までの間に膨らんだ財政赤字、さらにとどまるところを知らない物価上昇などによってそれまでの蓄えをい潰してしまっているという状況でした。 そこで、将軍就任後、倹約と増税(年貢を五公五民にする、定免法による年貢収入の定率化など)による財政再建を行い、成果を出し始めたのがこのころ。農民への年貢取立ては苛烈を極め、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」とは享保の改革で辣腕を振るった勘定奉行神尾春央の有名なセリフですが、当然、増税に対して一揆なども頻発していたと言いま

    江戸幕府末期の財政状況がわかる図 | Kousyoublog
    Shalie
    Shalie 2015/09/24
    興味深いのだけれど、出典の『江戸博覧強記 - 江戸文化歴史検定公式テキスト(上級編)』は何を参照してこの幕府収支のデータをまとめたのかも気になるところ。
  • 安倍首相の答弁や言い分は、戦前の軍事指導者と酷似している。昭和史研究の第一人者が問う「軍服を着た首相」の歴史観() @gendai_biz

    安倍首相の答弁や言い分は、戦前の軍事指導者と酷似している。昭和史研究の第一人者が問う「軍服を着た首相」の歴史観 インタビュー「書いたのは私です」保阪正康 当時の軍事指導者にそっくり ――戦後70年の節目に上梓した書は、戦争の内実を整理しながら、安倍晋三という現代人の歴史観を読み解き、問題視しています。その安倍首相は8月14日に戦後70年談話を発表。どう評価されましたか。 いろんな言葉を引用して、いろんなことを言おうとするが文章の繋がりが悪く、主語もわからなかったりする。結果的に何を言わんとしているのか、わかりづらくさせていましたね。 そもそも安倍首相の歴史観とはどんなものかというと、まず戦後レジームの脱却。戦後の体制を清算、つまり否定して変えていくということですが、どう変えていきたいのか。憲法9条の改変を試み、「わが軍は」と発言してみたりもする。もう一度、大日帝国型に戻すという意味があ

    安倍首相の答弁や言い分は、戦前の軍事指導者と酷似している。昭和史研究の第一人者が問う「軍服を着た首相」の歴史観() @gendai_biz
    Shalie
    Shalie 2015/09/06
    "いつも同じような枠組みで答弁していて、具体的に問われていることに答えてない"
  • 「江戸日本の転換点」書評 列島改造!! 成長の限界に直面|好書好日

    江戸日の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス) 著者:武井 弘一 出版社:NHK出版 ジャンル:新書・選書・ブックレット 江戸日の転換点―水田の激増は何をもたらしたか [著] 武井弘一 明治以後、江戸時代の社会は、概して否定的に見られてきた。それが参照すべきものとして見られるようになったのは、むしろ近年である。それは、戦後日で、「日列島改造」と呼ばれた経済の高度成長があったあと、成長の停滞とともに、環境問題など、さまざまな矛盾が露呈してきたことと関連している。そのため、江戸時代に、低成長で持続可能な経済のモデルが見いだされるようになった。 書が覆すのは、江戸時代にそのように静的な社会があったという見方である。実は、17世紀に日中で、新田開発が進められた。見渡すかぎり広がるような水田の風景が生まれたのはこの時期である。それまで水田は主として山地にあった。これこそ

    「江戸日本の転換点」書評 列島改造!! 成長の限界に直面|好書好日
  • 「はたして平安時代の人はキスをしたのか?」NHK大河ドラマ時代考証に目からウロコ - エキサイトニュース

    「はたして平安時代の人はキスをしたのか?」 NHKの大河ドラマ「義経」(2005年)の打ち合わせ中に、そんな話題が出たという。時代考証担当のスタッフが調べたところ、平安中期の天台宗の学僧・源信による『往生要集』に「ウ」(「烏」に「欠」を組み合わせた漢字)という言葉が出てくることがわかった。 これは「鳥が互いにクチバシを突き合う」意味で、まさしくキスを指す。 《「いはんやウ抱(うほう。ウは前出の「烏」に「欠」を組み合わせた字)(接吻して抱き合うこと)して婬楽せんをや」(岩波書店『日思想大系 源信』三八頁)。とすると平安時代すでにキスはあったということになる。しかし、九歳で比叡山に入った日史上屈指の学僧源信はいかにしてこの言葉を知り、わざわざ自著に使ったのだろうか》(大森洋平『考証要集 秘伝! NHK時代考証資料』) 私は「アッー!」的な行為が比叡山であったからじゃないかと邪推してしまうの

    「はたして平安時代の人はキスをしたのか?」NHK大河ドラマ時代考証に目からウロコ - エキサイトニュース
    Shalie
    Shalie 2014/01/10
    この本、おもしろそう!
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