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批評に関するankoroのブックマーク (5)

  • 無作法と批評性 - 内田樹の研究室

    ある地方紙に月一連載しているエッセイ。今月はこんな主題だった。 毎日新聞の社説が、ある政党の所属議員たちの相次ぐ不祥事について猛省を求める論説が掲載された。新聞が一政党を名指しして、もっと「常識的に」ふるまうように苦言を呈するというのはかなり例外的なことである。 ルッキズム的発言や経歴詐称の疑いなど、いくつか同党の議員の不祥事が列挙してあった。しかし、この苦言が功を奏して、以後この政党の所属議員が「礼儀正しく」なると思っている人は読者のうちにもたぶん一人もいないと思う。この政党の所属議員たちはこの社会で「良識的」とみなされているふるまいにあえて違背することによってこれまで高いポピュラリティを獲得し、選挙に勝ち続けてきたからである。「無作法である方が、礼儀正しくふるまうより政治的には成功するチャンスが高い」という事実を成功体験として内面化した人たちに今さらマナーを変更する理由はない。 「無作

    ankoro
    ankoro 2022/06/16
    非情な人間でなければ私は今日まで生きてこれなかっただろう。けれども、礼儀正しい人間であることができないのなら、私は生きるに値しない。If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
  • WEBマガジン一覧

    戦後の特撮・ヒーロー番組は何を描いてきたのか」ということは、今ではある程度、語られてきている。だがそれらが「どのように語られてきたか」という検証は、案外触れられてきてはいない。 たとえば放映当時、大人たちからは、その特撮技術の評価はありながらも、"ジャリ番"と揶揄された子ども番組の一つであったウルトラマンシリーズは、やがてマニアを中心に評されるようになり、さらには現在のように、単なる勧善懲悪ではなく、正義のあり方を問う内容が評価されるようになった。そのターニングポイントである90年代に書き始めた切通と、その読者であり2000年代に書き始めた神谷が、時代と作品を、その「語られ方」に焦点を置きながら検証しつつ振り返る。 そして2人が伝えることができたと感じていること、また、ことさら強調されている、あるいは曲解されてしまったかもしれないと感じていることもお互い検証。 現在、たとえば『ウルトラマン

  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

    ankoro
    ankoro 2018/10/20
    「書かれた言葉には(どんなにひどくても)、その個人の顔が刻印されている。全部読んだら、もう知り合いだ。憎む理由がなくなってしまうのである。」
  • 「俺に触るとヤケドするぜ」のルーツは……? - 何かのヒント

    「俺に触るとヤケドするぜ」のルーツはどこなのか?最初に言ったのは誰なのか?実は自分も前々から気になっていた。ヤフー知恵袋では確かな根拠もなく小林旭のマイトガイシリーズを挙げている人がいる。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp 俺にさわると危ないぜ [DVD] 出版社/メーカー: 日活 発売日: 2005/02/21 メディア: DVD クリック: 2回 この商品を含むブログ (8件) を見る ところがバタイユBotを見ていたら、こんな言葉が目に入ってきた。 「君たちは、私の体にあたって暖をとろうというのか。忠告しておく、あまり近づいてはならない。さもないと手に火傷をしてしまうぞ。なぜって、見たまえ、私は、あまりに熱く燃えているのだから。全くやっとのことで、自分の炎が体の外に噴き出ないようにしているのだ。」(ニーチェ)— ジョルジュ・バタイユ (@G_Bataille

    「俺に触るとヤケドするぜ」のルーツは……? - 何かのヒント
  • 作品を語るときに何故あなたは「外在的文脈」を使うんですか?(6154文字) - 猫箱ただひとつ

    作品と文脈の主従関係が逆転した語り アニメ、漫画映画、演劇、ノベルゲームといったあらゆる作品*1について語るとき、歴史的観点、時代背景、イデオロギー、作者といった「外在的文脈」を何故あなたは使うのか? ポニョは宮﨑駿が目指した◯◯だったとか、エヴァは当時のアダルトチルドレンについて表されたものだったとか、白い巨塔は封建的な機構と人間関係を描いたと作者解説を読んでなぜそういう物語だと見做すのか。 歌取り? 外在的文脈を用いて語らないと考察を尽くしていないから?違うでしょ。楽だからだよ。外在的文脈を用いて語るのはインスタントでお気軽でお手軽なものだからだ。 いくつかの同著作品を読めばその作者を含めた語りなんて誰だってできるし、アニメを100も見れば業界論だって平気な顔で語れるようになれる。内実に全然詳しくないのにね、業界に通じてるわけでもないただの一般人なのにね、でもアニメーター年収

    作品を語るときに何故あなたは「外在的文脈」を使うんですか?(6154文字) - 猫箱ただひとつ
    ankoro
    ankoro 2014/11/23
    「内容にほとんど触れない漫画評」をやっててよかった!
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