河一つ越しただけで罪悪となるような善とは何であろうか。山のこちら側では真理で、向う側では虚偽であるような真理とは何であろうか。
大抵の本は、読んですぐ「あらすじ」「要約」としてまとめることができる程度のものでしかないし、教訓やポイントを整理できるような本から受けた影響など多寡が知れている。 ビリヤードの球のように、あっちから本が来て、衝突して影響を受けた分だけそっちに飛んでいくというような、単純な影響のされ方を羨ましがる必要などない。あの斉藤由貴だって「卒業式でピーピーギャーギャー泣かないと、冷たい人と言われそう。でももっと悲しい瞬間に涙は取っておきたいの」と主張していたではないか。「影響を受けた」などと軽々に思えず、他人に説明もできないような読書経験を積んだ方がよい。 私にとって稲垣足穂の作品の、特に半自伝的な路線の短篇小説群は、影響どころかいつまで経っても「読んだ」という感触や手応えすら得ることができない、時々読み返してもまた同じような印象を持つばかりの、どうにも扱いに困る難物である。 一千一秒物語―稲垣足穂コ
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