「セカンドキャリアのリアル」とは…… ロックミュージシャンから、48歳で弁護士に転身。 「the JUMPS(ザ・ジャンプス)」のボーカルであり、弁護士でもある島 昭宏さん(アーティスト名:島 キクジロウ)のキャリアは異色そのものだ。 なぜ彼は、40代後半で新たな道を歩み出したのか? 島さんの半生を辿った。 【写真14点】「バンドマンから48歳で弁護士になった男のロックな半生」を写真でチェック 話を聞いたのはこの人! 島 昭宏(しま あきひろ)●1962年生まれ、名古屋市出身。早稲田大学政経学部卒。1985年よりパンクバンド「the JUMPS」ボーカル。弁護士法人アーライツ法律事務所代表。一般社団法人JELF(日本環境法律家連盟)理事、東京弁護士会公害環境委員会 副委員長・動物部会長、日本ペンクラブ理事 平和委員長/環境委員を務めるなど、環境や人権の分野で活躍。「島キクジロウ&NO NU
松尾 スズキ, 宮藤 官九郎, 中川 翔子, 西原 理恵子, みうら じゅん, 中村 うさぎ, 辛酸 なめ子, 吉田 豪, 町山 智浩, 西島 大介, 清涼院 流水, 古川 日出男, 峯田 和伸, 久米田康治, 梅 佳代 (宇多丸)改めて。なにがそこまで大変なんですか? (吉田豪)もう全てがですよ。 (宇多丸)まあ普通にね、我々も考えてやっぱり樹木希林さんってまずいろんな受け答えが一筋縄ではいかないし。あと、常に人の、こっちを観察されて鋭くボン!って来る人だから。 (吉田豪)完全にそうです。ただ、その「大変な人だ」っていうのがこのインタビューきっかけで広まった感じはあるんですよね。大変さを前面に出したはじめてのインタビューっていう(笑)。完全ドキュメントにしたんで。それまでたぶんいろんなインタビューを受けていても、結構きれいにまとめていたと思うんですよ。仕掛けてくる部分を削ったりとかして。
R. Shimada @JeN4iPasLeTemps やっとnote書きました!かなり簡単にですがここまでの経緯をまとめています。 生活保護世帯から東大で博士号を取るまで①|R. Shimada #note #自己紹介 note.com/rshimada/n/n05… 2024-04-26 15:44:39 リンク note(ノート) 生活保護世帯から東大で博士号を取るまで①|R. Shimada 最近東大で博士号を取りました。専門は数学です。 数学の道を志すと決めたのは15歳のときでした。 この時の私は生活保護受給世帯で暮らしており、他の人より多くの困難を覚悟してこの決断をしました。 そして、実際に、ここまで来るには多くの困難がありました。 ここではその困難についてと、私がそれをどう打開したのかについてを書きたいと思います。 本稿は私の経験を共有することにより、次の世代を励まし、生活保
ぼるしち @kj94444018 詐欺屋根業者も4月で新人が入ったからなのか 詐欺レベルの低い若い子が来た 業者「あの…屋根が壊れてるので…」 ぼく「どこ?」 業者「あ、あそこです…プロだと分かります…」 ぼく「だからどこがどういう風に?」 業者「と、とにかく壊れてるので…」 とにかく壊れてるそうだ🤤 2024-04-30 11:49:09 ぼるしち @kj94444018 たぶん年取った母を狙っての訪問だったんだろうけど私が休みだった不運 そして私の母はこういう時必ず「あら!そうなの!?大変!」とか話に乗っておいて 最後の最後に「息子が同業者だから息子に頼むわね」と落とすふざけかたをする人なので あまり心配してない🤣 2024-04-30 11:49:10
NEUROMANTIC 高橋幸宏 ポップス 無 FLAC 96kHz/24bit レーベル:Sony Music Direct (Japan) Inc. 配信サイト:e-onkyo music ■高橋 敦レビュー 1981年、YMO『BGM』の直後に制作された高橋幸宏さんの3rdアルバム。今回は幸宏さんの1980年代前半ソロ作品リイシューシリーズ「ユキヒロ×幸宏 EARLY 80s」の第1弾として、近年関係の深い砂原良徳さんによるリマスタリングでの再登場だ。「NEURON(脳神経)」と「NECROMANCER(死霊使い)」を合成し、響きに「NEW ROMANCE(新しいロマンス)」の意味もかけたというタイトル、邦題『ロマン神経症』も印象的なこちら。サイバーパンクの源流となった小説、ウィリアム・ギブスン氏『Neuromancer(ニューロマンサー)』のタイトルもこれに触発されたものだというか
N4BOOKS @yorunodokusyo 「レクチャー&インタビューズ」全目次|N4書房 目次だけでも1,600字ほどになるので、公開してみました。 PDFもあります。 note.com/bcqn4/n/n567c0… 2024-04-24 20:13:26 N4BOOKS @yorunodokusyo 前奏1: はじめに (吉田 仁) 前奏2: 前書き (中村 四郎) 第一章 インタビューⅠ 音楽遍歴~サロン・ミュージック初期まで 1. 楽器を習い始める 2. ビートルズの来日とGSブーム、映画とTV 3. ラジオから聴いた曲 4. プログレの時代 5.ベースを始めた頃 2024-04-24 22:24:23 N4BOOKS @yorunodokusyo 6.ロック喫茶 7. アメリカでのホームステイ体験 8.大学の現代音楽研究会 9.サロン・ミュージック結成の頃 1
ザ・ビートルズの作品で知られる伝説のプロデューサー、故ジョージ・マーティンが設立した英国ロンドンにあるAIR Studiosが売りに出された。 ◆AIR Studios画像 現スタジオは、ロンドン北部ハムステッドにあったヴィクトリア時代の教会を改造し、1992年に開業(それ以前はロンドン中心部にあった)。ロンドン自然史博物館などを手掛けた著名な建築家アルフレッド・ウォーターハウスが設計し、1880年に建てられた歴史的建造物は、ほかのスタジオにはない、モダンでありながら厳かな雰囲気を持つ。また、ロンドンでフル・オーケストラを収容できるのはこことアビー・ロード・スタジオしかなく、ポップやロックのみならず、クラシックや映画音楽のレコーディングにも数多く使用されている。 『Financial Times』紙によると、スタジオには35人の従業員がおり、この数年、収益は上昇しているという。 2006年
今から33年前、1983年の事でした。 TVから流れてきたCMは、メチャクチャ衝撃的でした。 クルマのCMなんだけど、肝心の走ってるシーンがない。 なんか映像はオシャレ。 音楽は英語の曲。 それがこのCMです。 音楽を担当してたのは、SALON MUJICという、 聞いた事がないバンドでした。 それもその筈、当時イギリスでデビューした謎の新人だったのです。 今見てもかなり「攻めた」CMですね。 よくGOサインが出たものだと思います。 さて、衝撃を受けたので、レンタルレコード(時代ですね)で、 ファースト・アルバムのLPを借りてきたのでした。 LPは、CM以上に衝撃的でした。 全曲英語の歌詞。 しかも日本人の男女2人組だったのです。 音はちょうど今聞いてるんですが、 33年も前の曲だとは思えません。 まるで考古学のオーパーツです。 数少ない情報で、 英サウンズ誌のジャパニーズ・テクノ・ポップ
あ、どうも。11回目のリレー対談です。今回はサロン・ミュージックの指名でピンクとの対談。ピンク側からは岡野ハジメ氏と福岡ユタカ氏の二人が出席予定でしたが、福岡氏が少し遅れるとの連絡が入り、とりあえずは、ということで岡野氏との対談で始まりました。では・・・・・。 ---知り合ったきっかけというのは? 岡野 吉田君と大学が同じだったんです。一緒のバンドにいたこともあって(笑)。 吉田 (笑)、そうですね、いろいろとありまして。 岡野 知らざる過去がいっぱいあるんです。吉田君もまだ長髪だったし、僕も長髪だったし。お互いの遍歴をね、全部知ってるんですよ。 吉田 音楽指向、ファッションその他。 岡野 相当変わったから。 吉田 僕と彼女が知り合ってやり始めた時には一緒にやってたし。 岡野 だから仁見ちゃんとも長いよね。 竹中 4年位かな。 グラム人は常にいたんだよね。 ---で、今日はグラム・ロックの
8年に及ぶサウンド研究が実を結んだ『ヒート・ミー』。 圧倒的クオリティーはシーンに一石を投ずるか、それとも評論家の推薦盤で終わるか? (インタヴュー=増井修/撮影=宅間國博) PINKの岡野ハジメとサロン・ミュージックの吉田仁の2人によるユニット”QUADRAPHONICS”のデビュー・アルバムがついにリリースされた。このユニット、実は8年前にすでに存在していたものであり「やりたい事をやりたい時にやる」というノリで、気の向くままにレコーディングが続けられていたのだ。 そもそもこの2人、明治学院大学の同級生で「現代音楽研究会」というサークルにて出会ったのが始まり。以来、それぞれの自宅に設営したスタジオで「音の交換日記」が始まった。メイン・コンセプトは「ポップと実験音楽の融合」といういかにも学生っぽいものだった。 ところが、そういう閉鎖的な世界に自足できるほどこの2人、ウブであろうはずがない。
日常生活で感じた怒りを日記帳に書き殴ったり、SNSの投稿にぶつけたりした経験がある人は多いはず。怒りを感じた状況を紙に書き記し、その紙をシュレッダーにかけると怒りがほぼ完全に消え去ることを、名古屋大学の研究者が突き止めました。 Anger is eliminated with the disposal of a paper written because of provocation | Scientific Reports https://www.nature.com/articles/s41598-024-57916-z 紙とともに去りぬ ~怒りを「書いて捨てる」と気持ちが鎮まることを実証~ - 名古屋大学研究成果情報 https://www.nagoya-u.ac.jp/researchinfo/result/2024/04/post-649.html 過去の研究では、憎んでいる元恋
昨年末マンスール・ブラウンのレヴューを書いたときに改めて気づかされたのだけれど、近年はテクノやアヴァンギャルドの分野のみならず、ジャズやソウル、ヒップホップからグライムまで、じつにさまざまなジャンルにアンビエント的な発想や手法が浸透しまくっている(だから、このタイミングでエイフェックスの『SAW2』がリリース25周年を迎えたことも何かの符牒のような気がしてならない)。Quiet Waveと呼ばれるそのクロスオーヴァーな動向は、もはや2010年代の音楽を俯瞰するうえでけっして語り落とすことのできない一翼になっていると言っても過言ではないが、ではなぜそのような潮流が勃興するに至ったのか──いま流行の音像=Quiet Waveの背景について、元『bmr』編集長であり『HIP HOP definitive 1974 - 2017』や『シティ・ソウル ディスクガイド』の著作で知られる小渕晃に話を伺っ
70年代後半、パンクロックの嵐が過ぎ去った後にパンクのDIY精神でもって多くのポストパンク/ニューウェーヴ・バンドが生まれ、その音源は様々なインディペンデント・レーベルからリリースされることになる。それらはそれぞれにレーベル・カラーを持ち、好みによって「レーベル買い」することができた。アート志向のファクトリー、ゴス路線の4AD、今で言う「エモ」なチェリー・レッド、スカ専門の2トーン、ユーロ圏の音源を紹介したクレプスキュール、などなど。 その中で最もメジャーに近くごった煮で何でもアリなレーベルがラフ・トレードだった。在籍していたアーチストをざっと挙げるならザ・スミス、ポップ・グループ、アズテック・カメラ、モノクローム・セット、キャバレー・ヴォルテールなどなど、「ポストパンク/ニューウェーヴ」の中心にいたアーチストが目白押しだった。そして当時ポストパンク/ニューウェーヴの洗礼を受けその音にどっ
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