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漫画と訃報と人生に関するazumi_sのブックマーク (3)

  • 山本夜羽音先生の短すぎた人生と、長すぎた青春についてのメモ|CDBと七紙草子

    何度か書き直してまとまらず、というかまとめてしまうことが悪いことのように思えていつまでも投稿できなかったのですが、今月中に残しておきたいと思い、山夜羽音先生の思い出について書きます。 先日亡くなられた山夜羽音先生の追悼ミサに、仕事を抜け出して出席しました。「面識のない方はご遠慮ください」ともあったのですが、実を言うと面識があると言えばありました。ただ、CDBです、と名乗っての対面ではなく、いちファンとしてお話ししたことがあるだけだったので、もし教会が満員だったら御花料を渡して帰ろうと思って高円寺教会まで出かけたのですが、少しだけ席がありそうだったので末席に加えていただきました。 いつか山夜羽音先生にCDBとしてお会いして「あー、お前あの時のファンの人じゃん!」と思い出してもらうのが夢で(覚えてないかもしれませんが)、今度初めてのも出るし、それを献するきっかけに…と思っていたのです

    山本夜羽音先生の短すぎた人生と、長すぎた青春についてのメモ|CDBと七紙草子
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  • TORI MIKI'S BLOG: 小山田いく氏のこと

    僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ

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