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スポーツと歴史に関するblueribbonのブックマーク (7)

  • 幻の「1940日光オリンピック」開催候補地を巡ってみた

    江戸時代から日を代表する景勝地だった日光。その威信をかけていた(地図データは© OpenStreetMap contributorsより) 戦争の激化によって幻に終わった1940年の東京と札幌のオリンピック。実はそれとは違うオリンピックが開催される可能性が大いにあった。 それが「日光オリンピック」。1940冬季の招致争いで最後まで札幌と覇を争い、札幌に開催地が決まった後も、不安定な情勢での「万が一の代替開催地」としてオリンピック開催の準備がなされていた。 当時の日光市民のオリンピック熱は、札幌市民を圧倒するほどとされ、夢の祭典への期待が大きく高まっていた。 スポーツ観戦と戦前の歴史が好きな僕としては、その残り香がほんの少しでも残っているなら嗅ぎに行きたい。 勝手に平昌オリンピック直前特別企画。「日光オリンピック」の開催候補地を巡る旅に出た。

    幻の「1940日光オリンピック」開催候補地を巡ってみた
    blueribbon
    blueribbon 2017/12/07
    「日光はスケート施設の充実ぶりと、東京から近い利便性を武器に招致では大いに健闘した。だがスキー施設面での遅れには勝てず、一騎打ちの様相を呈した結果、残念ながら多数決で負けてしまったという。」
  • 52年前のオリンピック、ある男性の勇気ある行為が彼の人生をめちゃくちゃにした。

    この時代を通過してきた人もそうでない人も、この写真が何を示しているかわかるはずです。これは1968年、4月にマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師、その2か月後の6月にロバート・ケネディが暗殺された年に撮られた写真です。ベトナム戦争に対する反戦運動が高まる中、多くの都市で学生運動や反戦運動が起こると同時に、アメリカ国内のいたるところで人種差別が引き金となった暴動や警察との衝突で多くの人が命を落としました。アメリカ、そして世界が揺れに揺れた年です。 その真っただ中に行われたのが、1968年のメキシコシティオリンピックでした。 世界が大きな変動の中にあったその年のサマーオリンピックで、1968年10月17日夕刻、メダル授与のために表彰台に上がった二人のアメリカ人が史上に残るある行為を行いました。 男子200メートル競争を世界記録で優勝したトミー・スミスと3位に輝いたジョン・カーロスが、アメリ

    52年前のオリンピック、ある男性の勇気ある行為が彼の人生をめちゃくちゃにした。
    blueribbon
    blueribbon 2016/08/21
    平等と人権のために戦うのは素晴らしいことだけど、オリンピックでメダルを獲ったら政治パフォーマンスをやっていいなんてことになったら、平和の祭典じゃなくなる。某国は「独島は我が領土」とかやるだろうし。
  • 女を否定され、競技人生を絶たれたアスリート 性を決めるのは性器かホルモンか?

    インドの陸上選手デュティ・チャンド選手(20)。昨年、この女性アスリートがリオ五輪に出場できるかが論争の中心になっていた。問題はタイムではない。五輪のある規定のせいだった。「テストステロンの数値が高すぎる女性アスリートは失格とする」。チャンド選手がそうだった。 国際陸上競技連盟(IAAF)と国際オリンピック委員会(IOC)は2011〜12年、血中テストステロン濃度が1リットルあたり10ナノモルを超える場合、女性として出場できないという規定を採用した。 理論的根拠はこうだ。高いテストステロンの女性は「普通の女性」の生物としての限界を超えるので、競技において不当に有利になる。 テストステロンは男性ホルモンの一種。成長期に、骨を発達させ、筋肉を増やす。ドーピングとして使えば、血中の赤血球の数を増やすので、より酸素を取り込め、筋肉の動きが効率的になる。 IOCの規定によって、テストステロンの値の高

    女を否定され、競技人生を絶たれたアスリート 性を決めるのは性器かホルモンか?
    blueribbon
    blueribbon 2016/08/21
    「性別は生物学的マーカーでは測りきれない複雑なものであることもわかってきた。」
  • 雷電爲右エ門 - Wikipedia

    雷電 爲右エ門(為右衛門、らいでん ためえもん、1767年(明和4年)1月 - 1825年(文政8年)4月9日(旧暦2月21日))は、信濃国小県郡大石村(現・長野県東御市大石)出身の元大相撲力士。名は関 太郎吉(せき たろうきち)。いわゆる「信州雷電」[1]。 現役生活21年、江戸場所在籍35場所(大関在位27場所)で、通算黒星が10個、勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士とされている[2]。なお、文中の日付は全て旧暦である。 来歴[編集] 生い立ち[編集] 1767年(明和4年)1月、信濃国小県郡大石村字金子(現・長野県東御市)にて関家の長男として誕生、幼名は太郎吉(または樽吉)とされた。幼い頃から体格に恵まれ、14~15歳の頃には既に6尺(約181センチ)に達しており、家事を手伝いながら上野国まで往復していた。 13歳の時、小諸の城下町へ出稼ぎに行き、精米所の柳田藤助の下で奉

    雷電爲右エ門 - Wikipedia
    blueribbon
    blueribbon 2016/04/28
    ・現役生活21年、江戸本場所在籍36場所中(大関在位27場所)で、通算黒星が僅か10・勝率.962で、大相撲史上未曾有の最強力士 ・雷電のあまりの強さに「鉄砲(突っ張り)」「張り手」「閂」「鯖折り」を禁じ手とされた
  • 経産省も知らなかった、古くて新しいもうひとつのクールジャパンがアメリカでブレイク?!(「テンカラ」が人気!) - ICHIROYAのブログ

    またひとつ、日の伝統文化がCOOL JAPANとして、海外でブレイクしつつある。 知る人ぞ知る文化である。 経産省のクールジャパン戦略とは無縁だが、明らかに人気化しつつあるのだ。 それは、「テンカラ」という日伝統の毛鉤釣りである。 さて、釣りをしないひとに、簡単に説明すると、「テンカラ」は、江戸時代もしくはもっと古くから続く渓流での釣法である。 たぶん、釣りをしないひとも、映画「リバー・ランズ・スルー・イット」などで紹介された「フライフィッシング」はご存知かと思う。 「フライフィッシング」も毛鉤を使う。 「テンカラ」は、日版「フライフィッシング」だ。 実は、僕も若いころ、一時、「フライフィッシング」に凝っていた時期がある。仕事のあと深夜まで毛鉤を巻いて、休みとなると深夜に起きだして、何時間も車を走らせて渓に向かった。 そのころ、もちろん、「テンカラ」という釣り方があることは知っていた

    経産省も知らなかった、古くて新しいもうひとつのクールジャパンがアメリカでブレイク?!(「テンカラ」が人気!) - ICHIROYAのブログ
    blueribbon
    blueribbon 2013/09/07
    ・「テンカラ」は、江戸時代もしくはもっと古くから続く渓流での釣法 ・山間部でのタンパク質を得るために川魚を獲っていた職業漁師が使っていた釣法だから、最小の材料で、最高に釣れるシステムが考え抜かれている
  • 視点・論点 「黒人選手は本当に"速く""強い"のか」 | 視点・論点 | 解説委員室ブログ:NHK

    武蔵大学教授 川島浩平 「黒人の身体能力は生まれつき優れている」私達の多くは、そう考えています。 実際、オリンピックの陸上競技などでは、「黒人」選手が圧倒していようにみえます。 1984年のロサンゼルスオリンピックから、2008年の北京オリンピックまでの、過去7大会の男子100M決勝で、スタートラインに立った56人は、すべて「黒人」です。 現在30歳未満の人は、オリンピックの100M決勝に、「黒人」以外の選手が出場するのを、まったく見たことがないことになります。 では、「黒人の身体能力は生まれつき優れている」、そう考えて、当にいいのでしょうか。 ただし、黒人という人間集団が、厳密には定義不可能であると、断っておかなければなりません。 しかしここでは、広く一般に流通しているものとして、この定義を借用しておきます。 現在、長距離では、ケニアをはじめとする東アフリカ勢の強さが、

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    blueribbon 2012/07/07
    幾世代にわたって繰り返されたナンディによる牛の強盗 + 日常的な経験の積み重ね(通学手段と距離) → 優秀な長距離選手を輩出
  • 1979日本シリーズ第7戦 9回裏

    Japan Professional Baseball Championship Nov. 4, 1979 7th game; 2nd half of the 9th inning 21 pitchings by Enatsu. Why did Sasaki ignore the 13th ball...?

    blueribbon
    blueribbon 2011/06/16
    球史に残る「江夏の21球」 スクイズを察知した江夏が外した奇跡の19球目で勝負が決まった。
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