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人生とはてなに関するblueribbonのブックマーク (7)

  • 誰か

    誰かこのエントリーをはてブして 『人生はわりと良いよ』という一言コメントを残してくれ。

    誰か
    blueribbon
    blueribbon 2014/07/24
    「この世は生きるに値するんだ」(宮崎駿)
  • 卒業 - tapestry

    2013年12月末をもって、はてなを卒業しました。また、合わせて結婚生活からも卒業しました。 金曜日は、はてなの人たち有志が慰労会を開いてくれました。 はてなではいつもホストの役目で誰かを見送る立場だったので、自分がパーティの主賓なのが不思議な感じでした。四条御幸町のカフェは貸し切りで、ドアをあけると懐かしい顔が迎えてくれました。 幹事の労をひきうけてくれたid:chira_rhythm55の司会でパーティは始まり、id:jkondoが乾杯の挨拶と音頭をとって、id:nmyが作った342枚の写真からなる思い出のスライドショーを眺めながら、皆で呑みました。京都リサーチパークの4平米のブースで始めた2001年の創業期、東京へ移動しメンバーが増えた2004年、アメリカへ渡った2006年、京都に戻った2008年。大画面には懐かしいメンバーの姿やしなもんが映し出され、ネット上でユーザーさんを巻き込ん

    卒業 - tapestry
    blueribbon
    blueribbon 2014/02/24
    「2013年12月末をもって、はてなを卒業しました。また、合わせて結婚生活からも卒業しました。…全ての物事は不変ではありません。…私は私の物語を、次の人生のステージで創り上げていきたいです。」(id:reikon)
  • 退職のお知らせ - naoyaのはてなダイアリー

    日8月31日をもって、はてな退職しました。 入社は2004年9月1日でしたから、今日でちょうど6年です。6年間の間に、はてなブックマークをはじめとする各種サービスの企画開発やディレクション、インフラの構築、技術チームのマネジメント等々、色々な経験を積むことができました。その一方で、なかなか自分の思うようにはサービスを成長させる、会社を伸ばすことができず自分の力量不足を感じる毎日でもありました。その足りない能力と経験を埋め合わせる日々が、成長を促してくれたとは思います。 この6年は、はてなという会社が、個人あるいは家族のような繋がりから組織に変っていく過程でした。会社というものが何なのかを全然知らなかった自分が、Webサービスの開発と運営に、組織がなぜ必要かというのを体で知ることになりました。なかなかに得難い経験でした。 遠回りもありましたが、はてなは組織になりました。新サービスは日々ユ

    退職のお知らせ - naoyaのはてなダイアリー
    blueribbon
    blueribbon 2010/08/31
    お疲れ様でした。
  • はてな退職しました - 2nd life (移転しました)

    7/16 が最終出社日*1となり、はてな退職しました。はてなブックマークでのチュートリアル機能がはてなでの最後の仕事となりました。 はてなに入ってからを振り返ってみると2006年1月にはてなに15番目の社員として入社し、4年7ヶ月はてなのメンバーと一緒に働いてきました。当時はまだ誰も辞めていなかったため、過去はてなで働いた人すべて一緒に仕事をしてきたことになります。入社時はまだオフィスが東京にあり、毎日全員が朝会でディスカッション、時には数時間も熱く語るというエキサイティングな職場だったのがとても印象的でした。 当時は当に自由な環境でいろいろな事を試行錯誤していた日々でした。入社約2ヶ月で、会社のフレームワークに DI の概念を実装したころで Perl もう無理と投げ出して Perl を書かない仕事ばっかりやっていたのも今となっては良い(?)思い出です。今だったらあり得ないですねほんと

    はてな退職しました - 2nd life (移転しました)
    blueribbon
    blueribbon 2010/07/18
    ユーザーの一人として一言。お疲れ様でした。
  • 働くことが楽しくて仕方がない - tapestry

    12月から子供を託児所に預けてはてなに出社しています。当初は市の保育所の一時保育というのを利用するつもりでしたが、「毎週月、水、金」と希望を出したところ「応募がたくさんあって12月1日、15日、22日の三日だけなら可能」という回答をもらってしまったので、もうお役所仕事はあてにせず、民間の託児所を利用することにしました。幸い、会社からクルマで15分ぐらいのところにこじんまりとした感じのよい託児所を見付けまして、息子もごきげんで過ごしているようなので、思い切って来週からは毎日預けることにしました。はっきりいって収入の半分以上は託児代金で消えてしまうのですが、そうしてでも仕事をしたい、と思うほど、今は働くことが楽しくて仕方がありません。育児はとても素晴らしい体験ですが、24時間フルで子供と向き合うことは私にとっては当にきついことです。自分は子育てに向いていないんじゃないか、と悩んだ時期もありま

    blueribbon
    blueribbon 2008/12/12
    「今は働くことが楽しくて仕方がありません。」「これから子供も成長するし、会社もどんどん変わっていくと思いますが、私はそのときどきで自分にとってのベストな生き方を選択していきたい。」
  • 「長く使える技術力を自分に蓄えていく」―はてな伊藤直也氏がジュンク堂書店大阪本店トークセッションに登場 | gihyo.jp

    2008年8月23日(土)、ジュンク堂書店大阪店にて、(株)はてなの伊藤直也氏によるトークセッションが開催された。今回のイベントは、『⁠[24時間365日]サーバ/インフラを支える技術』(⁠伊藤直也/勝見祐己/田中慎司/ひろせまさあき/安井真伸/横川和哉著、技術評論社)発刊に関連して、ジュンク堂書店大阪店企画/主催で実現された。 はてな伊藤直也氏 私にとっての技術書読書 今回のテーマは「私と技術書⁠」⁠。トーク中に「プログラミングは世界を変える(※注⁠)⁠」⁠「⁠ハッカーになりたい⁠」⁠、そんな率直な思いを言葉にした伊藤氏にとっての技術書とは、読書とは、いかなるものなのだろうか。 テーマは「私と技術書」 ※注) 伊藤氏は、小学校時代のパソピア7(東芝製パソコン)でのプログラミング体験に始まり、数々のソフトウェア、インターネットで世界が変わったその時期に高校/大学時代を過ごし、ユーザ数

    「長く使える技術力を自分に蓄えていく」―はてな伊藤直也氏がジュンク堂書店大阪本店トークセッションに登場 | gihyo.jp
  • My Life Between Silicon Valley and Japan - 近藤淳也・令子夫妻、シリコンバレーへ

    昨日(2006年8月21日)、近藤夫としなもんがシリコンバレーに到着。二人は、先月いったんシリコンバレーに来て家探しなどの生活準備をすませ、ツール・ド・信州の運営等のために一時帰国し、このたび、しなもんも連れての引越しということになった。 さっき僕のオフィスに二人で来て(Hatena Inc.は、僕のオフィスの住所で登記しているので、もう彼らのオフィスでもある)、こちらに来て初めてつながったネット環境で何かしているなと思ったら、二人は何よりも先に、公開するための日記を書いていたのだった。 http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20060822/1156264325 http://d.hatena.ne.jp/reikon/20060822/1156265544 日記を書き終えた二人は、これからトラックを借りて(U Haul)、家具(IKEA)と工具(Home Depo

    My Life Between Silicon Valley and Japan - 近藤淳也・令子夫妻、シリコンバレーへ
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