エベレスト山頂を目指していた、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)が5月21日朝、エベレストで亡くなった。栗城さんの挑戦は多くのドキュメンタリー番組やメディアに取り上げられ、幅広い層の共感を呼んできた。一方で、専門家からは難易度が高すぎるルートの挑戦に「技術的に無謀」という声もあった。これは無謀な挑戦だったのか?
エベレスト山頂を目指していた、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)が5月21日朝、エベレストで亡くなった。栗城さんの挑戦は多くのドキュメンタリー番組やメディアに取り上げられ、幅広い層の共感を呼んできた。一方で、専門家からは難易度が高すぎるルートの挑戦に「技術的に無謀」という声もあった。これは無謀な挑戦だったのか?
登山を始めたきっかけは、東日本大震災 登山を始めたのは、2011年4月。それまでの私はアウトドアともスポーツとも縁が薄く、お酒が好きで、週3ぐらいは飲みに出掛けていました。団体行動は苦手だったので、バーベキューやフェスやキャンプにも興味がありませんでした。 そんな私がなぜ登山を始める気になったかというと、きっかけは東日本大震災でした。 それまで非常時の備えなんて考えたこともなかったのですが、否が応にも防災意識が高まり、「非常用持ち出し袋とか、作っておいたほうがいいのかな……」と考えるようになったんです。でも、市販の防災セットはすでに家にあるものまでごっちゃり入っていてコスパが悪いような……。そこで「よし、それなら自分で作ればいいじゃない!」と、近くのアウトドアショップに向かいました。 ですが、お店を出たときにはなぜかカリマーの「リッジ 40」という登山用ザック(リュック)を抱えて歩いていま
1人で御嶽山を登山中、噴石に当たって亡くなった長野県池田町の野口泉水(いずみ)さん(59)は、死の直前まで、入道雲のように広がる灰色の噴煙を撮影していた。妻弘美さんが3日、遺体とともに戻ってきたカメラの写真を公開した。 山頂付近の噴煙の様子が写っていたのは4枚。逃げ惑う登山者の姿も写っていた。 野口さんは、近所でウオーキングを始めた弘美さんに登山を勧めた。景色のよい美ケ原高原、北アルプスの五竜岳。昨年から2人で登ってきた。この日は仕事の休みが合わなかった。 弘美さんは「噴火の写真なんか撮っていないで逃げてほしかった。でも、命がけで撮った迫力ある写真だから、みんなに見てもらいたい」。 建設会社でダムや道路建設の現場責任者をしていた野口さん。上司は「面倒見がよく、どんな人からも慕われた」。昨年は地元自治会の班長も務めた。 紅葉で色づく木々や足元に咲く白い草花……。カメラには御嶽山の自然を写した
深田久弥は『日本百名山』の中で、 一生に一度は富士山に登りたいというのが庶民の願いであるように、いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ヶ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう。 と、書いています。 どこから見ても「あれが槍ヶ岳だ」と分かる山というのも、富士山と並んで槍ヶ岳くらいかも知れません。北アルプスの縦走路が重なる交差点にあり、槍のように尖った穂先がとても特徴的で格好良い。ということで、槍ヶ岳は日本の山の中でもとても存在感のある山ですが、まだ登ったことがない。そのうち登れるだろう、と思っていたんですが、そうこうしている間にしばらく山から足が遠のき、38歳になっていました。 昨年くらいからふと、3000m級の稜線が無性に恋しくなって、あの独特の空気、景色、星空、稜線、広大な空間の中に身を置きたい、夜を越えてみたい、という気持ちが高まってきました。少し時間にも余裕ができ、1年
[注] このスライドには死体の画像が含まれています。弱い方は再生しないでください。 2006年、3度目のエベレスト山頂に単独で挑む登山家の姿を、下から偶然カメラに捉えた登山家がいた。 写真の中の登山家は、北東の尾根の俗称「ファイナルプッシュ」―標高8230mの第6キャンプから山頂に至る地点を登っていた。もう午後も遅い。こんな時間にあの長く危険なルートに挑むなんてどう考えても無謀だ―。 彼が登山隊の仲間と一緒にまた同じ男を目にしたのは、何時間も経過してからだった。 一行は日の出に山頂に到達できる推奨時刻に合わせて午前零時ちょっと前にキャンプを発ったので、その日のファイナル・プッシュに挑むおよそ40人の列の先頭だった。現場には登山家が正規ルートから外れぬようロープが1本あり、男たちは地面に恒久的に固定されているロープに数珠つなぎになって登る。 登山家たちが「グリーンブーツ・ケーブ」と呼ぶ地点か
世界7大陸最高峰の単独制覇を目指す札幌市在住の登山家、栗城史多(くりき・のぶかず)さん(27)が今夏、単独・無酸素で世界最高峰のエベレスト(標高8848メートル)登頂を目指す。これまでに7大陸のうち6大陸の最高峰を制覇。エベレストは昨年、7950メートル地点で断念しており、今年、再挑戦となる。登頂の様子は動画で配信する予定だという。日本人初となる単独・無酸素での最難関へのチャレンジを前に栗城さんに話を聞いた。(加納洋人) −−酸素ボンベを使用しない無酸素での単独登頂は大変な困難が伴う。 「凍傷はもちろんですが。一番大変なのは睡魔です。7500メートルから先は、ほとんど寝ないで登っていく。寝ちゃいけないんです。横になって寝ると、呼吸が浅くなって、ぽっくりいってしまう」 −−どのくらい寝ないのか。 「長いと、3日間は寝ない。酸素が3分の1の山で寝ていないと、ものすごい睡魔が襲ってくる。やがて、
12月18日、富士山登山を行っていた片山さんら3名が遭難しましたが、その知らせに驚きまた他人事とは思えなかった。何故ならば同じ日に富士山登山を予定していたからだ。しかし、一緒に登ろうとしていた平賀カメラマン(山岳カメラマン)が海外ロケに出かけており延期。右京さんの遭難前日、奥多摩登山を行っていましたが、この日からグッと冷え込んでいた。天気予報は「雪が降るかもしれない」と伝えていたので、ダウンジャケットなどの防寒具に身を包んでいたが、それでも寒かった。奥多摩でこれだけ寒かったのだから富士山は大変だっただろうと、延期になった事を安堵していた矢先の右京さん遭難。 右京さん遭難の一報の直後からテレビ、新聞などの報道陣から話を聞きたいと連絡が相次いだ。そして何人かの記者から「片山さんが登山仲間を残したまま下山しましたが、どう思いますか!」と、最初から右京さんの判断に問題があったのでは、といったニアン
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