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懐古と戦争に関するblueribbonのブックマーク (3)

  • 東京湾に浮かぶ人工要塞「第二海堡」上陸ツアーに参加した

    ある日のことである。編集部の安藤さんから「第二海堡(かいほう)の上陸ツアーを取材するんですが一緒に行きませんか?」という連絡があった。 えっ、嘘っ、第二海堡に上陸できるの?! 私は二つ返事で「行きます!」と答え、まるで遠足を待つ子供のように、うきうき気分で当日を迎えたのであった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:バイクのミラー越しに夜の景色を見るとエモい > 個人サイト 閑古鳥旅行Twitter 明治時代に築かれた、東京湾の入口を守る人工島 「第二海堡」と言われても馴染みのない方が多いと思うが、これは東京

    東京湾に浮かぶ人工要塞「第二海堡」上陸ツアーに参加した
    blueribbon
    blueribbon 2021/05/17
    ・伝統的な築城技術である間知石(けんちいし)で築かれている ・小菅集治監には明治10年の西南戦争で敗れた旧薩摩藩の武士が多く収監されており、極めて良質な煉瓦を産出していた
  • 100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その3)

    1901年に発行された沖縄の写真集。この写真に写っている場所は現在どのようなっているのだろうか。第三回です。 100年以上前の写真集、あります かなり昔の話になりますが、沖縄公文書館に収蔵されている100年以上前(明治34年2月28日)の写真集「旅の家土産(たびのいえつと)」に掲載されている場所は今どうなっているのか、という特集をやりました。 100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1) 100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2) 最後の記事を書いてから3年くらい経っちゃったのですが、このまえアンケートでもコメントを頂いてまして、残りの写真の紹介とその場所が現在どうなっているのか探してみたいと思います。 崇元寺 まずは崇元寺。臨済宗の寺院で歴代の国王を祀る国廟だったらしいです。崇元寺が100年経った今、どうなっているかというと…。 健在です。写

    100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その3)
    blueribbon
    blueribbon 2017/05/28
    ・崇元寺:建物は沖縄戦により焼失 ・首里の町:面影なし ・中山門:1908年に老朽化のため撤去 ・守礼門:沖縄戦で破壊→1958年に復元 ・首里城正面:沖縄戦で消失→1974年に復元 ・識名園:沖縄戦で破壊→1975~1996年に復元
  • 焼け野原にならなかった東京めぐり

    東京の町を歩いていて、ここの町並みちょっと雰囲気あるなーと感じることがある。 後で調べると戦災を逃れた町だったことが分かったりする。そう感じるほどに、逆にほとんどの場所が焼けてしまったということだろう。 たまに聞く、焼け野原にならなかった町。それらはどこにあって、今どういう雰囲気なのか?いくつかめぐってみました。

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