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災害と資料に関するblueribbonのブックマーク (4)

  • 水没した川崎市市民ミュージアムの収蔵品救出状況が明らかに。今年度中に地階からの浸水作品搬出を目指す

    水没した川崎市市民ミュージアムの収蔵品救出状況が明らかに。今年度中に地階からの浸水作品搬出を目指す2019年10月、関東地方を縦断した台風19号により、9つの収蔵庫への浸水と収蔵品の被害が確認された川崎市市民ミュージアム。川崎市は収蔵品レスキューの状況を公開し、今年度中を目処に被害を受けた収蔵品を地階から搬出する方針を示した。 被害を受けたマンガ雑誌等を収蔵する第6収蔵庫の様子 提供=川崎市 2019年10月12日から13日に関東地方を縦断した台風19号により、9つの収蔵庫への浸水と収蔵品の被害が確認された川崎市市民ミュージアム。10月22日より、独立行政法人国立文化財機構が有する文化遺産防災ネットワーク推進会議の協力のもと、被災した所蔵品の応急措置や、施設での一時保管を進めてきた。 このたび、川崎市は収蔵品レスキューの状況を公開。カビの発生や搬出経路の確保などの理由から、これまで搬出等を

    水没した川崎市市民ミュージアムの収蔵品救出状況が明らかに。今年度中に地階からの浸水作品搬出を目指す
    blueribbon
    blueribbon 2020/02/04
    「作品を意味づける主要な部分が失われたと見られるもの (写真作品、油彩画、映画フィルムなど) や、素材が変質して崩壊し原形に戻すことが困難なものも、収蔵庫から搬出する段階で確認されている。」
  • 東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」への情報提供にご協力をお願いします。「ひなぎくはてな」タグでブックマークしてください - はてなブックマーク開発ブログ

    はてなブックマークでは、国立国会図書館が運営する東日大震災アーカイブ「ひなぎく」と協力して、東日大震災に関連した民間のサイト・ブログなどのURLを収集する呼びかけを実施します。 国立国会図書館では、震災に関するあらゆる記録・教訓を次の世代へ伝えることを目的とし、東日大震災アーカイブ「ひなぎく」を公開しています。個人が撮影した写真や動画、作成したウェブサイトなども、被災状況や復旧・復興の足取りを伝える貴重な資料ですが、震災から3年が経過し、散逸・消失のおそれが増しています。 これらの記録を集めるため、はてなブックマークでは日、プロジェクト専用のタグ「ひなぎくはてな」を設定しました。「ひなぎくはてな」タグを付与して、東日大震災に関連した記事をブックマークすると、記録すべきウェブサイトのURLとして「ひなぎく」プロジェクトに推薦されます。 推薦されたURLは順次、国立国会図書館とハー

    東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」への情報提供にご協力をお願いします。「ひなぎくはてな」タグでブックマークしてください - はてなブックマーク開発ブログ
    blueribbon
    blueribbon 2014/03/12
    「「ひなぎくはてな」タグを付与して、東日本大震災に関連した記事をブックマークすると、記録すべきウェブサイトのURLとして「ひなぎく」プロジェクトに推薦されます。」
  • #19950117 Great Hanshin-Awaji Earthquake (1995/01)

    阪神・淡路大震災の1995年1月17日とその翌日の記録。 翌日18日の分は,妹を両親の元へ帰す飛行機に乗せるためと私自身の友人宅への避難のために,大阪方面へ移動したので,その移動途中に収めた光景です。(2010年1月17日掲載) 当時,私は,神戸市灘区の阪神石屋川駅近くに,妹と同居していました。 あのとき家にあったフィルムが珍しいことにポジフィルム (36枚撮りが1) だったので,カラースライドのような形で,記録が残っています。 今回,そのポジフィルムをパソコンの画面に載せ,画面を照明の代わりにして撮影しました。 twitter.com/mah_jp P.S. 今ご覧になっている写真セットを高解像度でデジタイズしなおした,HD Versionはこちら: www.flickr.com/photos/mah_japan/sets/72157623617169629/

    #19950117 Great Hanshin-Awaji Earthquake (1995/01)
    blueribbon
    blueribbon 2010/01/21
    阪神・淡路大震災の1995年1月17日とその翌日の記録。
  • 関東大震災 地震の前兆現象

    この分野の第一人者亀井先生にはこのを読んだのがきっかけで20数年前お会いし、日地震予知クラブに参加させていただいた経緯があります。昭和50年代初めだったと思いますが、霞ヶ関ビルでエレベーター上昇中に地震発生。壁面にゴツンゴツンとぶつかりながら上昇する怖い目に合いました。30階に着いた後も5分くらいゆっくりと揺れていました。船酔いする感じです。以来、20年以上に渡り大地震でも生き残ることを考え続けました。まず外見は肉厚のカバーで、中身は「なまず」とほぼ同じものを作りました。というのはリュックなど置くスペースがないのと、少し恥ずかしいという気持ちもあり、背表紙に「地震工学」と記入し引き出しに入れておきました。当時は、インターネットなどなく販売することなどは考えませんでした。幸いそれを使うこともありませんでした。 近年の新潟地震、スマトラ地震等の続発で、かつインターネットの普及もあり、人

    関東大震災 地震の前兆現象
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