ユーラシア・中央アジアの考古学・文化史研究の先駆者である加藤九祚氏は、戦時中、学徒動員で出征。満州国の敦化(とんか)で終戦を迎えた。直後、加藤氏はソ連軍捕虜となりシベリアに抑留されるが、そこで「どうしても忘れ切ることのできない記憶」となる異様な出来事と遭遇した。 多くの日本人が辛苦を味わった「シベリア抑留」の現場で、一体何が起きていたのか。文春ムック『奇聞・太平洋戦争』より、加藤氏が1970年に執筆した「日本人は同胞の肉を喰うのか?」の一部を抜粋して掲載する。(全2回の1回目/後編に続く) ◆ ◆ ◆ わたしがここで語ることは、シベリア抑留中の1946年の出来事である。あのときからすでに24年の歳月が流れ、当時の記憶もまたうすらいで、俘虜(ふりょ)生活のすべてが夢の一こまであったように思われることがある。歳月は一切を洗い流すものかも知れない。しかしわたしには、どうしても忘れ切ることのできな