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裏話とYahoo!と歴史に関するblueribbonのブックマーク (7)

  • 艦砲射撃で吹き飛ぶ仲間、幼い姉妹託し息絶えた女性…99歳の「生存者」が語るサイパン激戦(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

    もう一度現地で犠牲者を慰霊したい――。太平洋戦争の激戦地となったサイパン島から生還した岡崎輝城さん(99)(香川県坂出市)の願いは、コロナ禍で今年も阻まれた。同じ部隊で今も生存が確認されているのは岡崎さん一人。「誰かが行かなければ、多くの命が失われたことが忘れ去られてしまう」。来年こそはと再訪を誓う。 【動画】「#しんどい 君へ」沖田X華さんからメッセージ 「一気にのみ込まれてしまう」。1944年6月15日、22歳の陸軍通信兵だった岡崎さんは、水平線が見えないほど続々と押し寄せる米軍の上陸用船艇を見つめ、絶望感にかられた。南洋の最重要拠点だったサイパン島に、米軍が上陸を開始した日だ。

    艦砲射撃で吹き飛ぶ仲間、幼い姉妹託し息絶えた女性…99歳の「生存者」が語るサイパン激戦(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
    blueribbon
    blueribbon 2021/08/15
    「「兵隊さん、娘をお願いします」。そう言い残して息絶えた。幼い姉妹が「お母ちゃん、起きて」と叫びながら…「助けてあげたくても、どうすることもできなかった。泣き叫ぶ声は、今も耳の中に響いている」」
  • 「やばい…280m超える」寸前で回避された緊急放流、緊迫の所長メモが歴史公文書に(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

    昨年7月4日の九州豪雨で緊急放流が寸前で回避された熊県営市房ダム(水上村)について、塚貴光・管理所長(50)が記していた当時のメモが残されていることが分かった。予測を超える雨量で水位が増す中、放流をぎりぎりで実施せずにすんだ緊迫した様子などを伝えている。県は今春、メモを永久保存に向けて「歴史公文書」に指定した。(丸山一樹) 【写真】ワクチンで「黒幕が人類管理」「人口削減が狙い」

    「やばい…280m超える」寸前で回避された緊急放流、緊迫の所長メモが歴史公文書に(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
    blueribbon
    blueribbon 2021/06/29
    「水位のピークは280・6メートルで緊急放流の目安まで10センチ。塚本所長は取材に「流域住民に不安を与えないため回避したい一心だった。本庁と協議し、ぎりぎりまで見極めた」と振り返った。」
  • 85人が亡くなった「集団自決」からの生存者が語る壮絶な記憶(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

    ガマの中に設けられた祭壇に手を合わせる遺族ら=3日午後1時10分ごろ、読谷村波平のチビチリガマ(代表撮影) 【読谷】「もうダメだ、自分たちで死ぬほかない」-。沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起きた村波平のチビチリガマ。島に上陸した米軍が侵入すると、追い詰められた住民らが肉親を手に掛ける悲劇が起きた。家族で避難していた上原進助さん(87)=米ハワイ州在住=が国際電話で取材に応じ、チビチリガマで見た光景を語った。 【画像】別のガマの中でいまも見つかる遺骨 1945年4月1日、母や妹ら家族とチビチリガマに避難していた上原さんは、米兵と戦うために竹やりを持って出た住民2人が銃で撃たれる音を聞いた。ガマは静まり返り、住民らに絶望感が広がった。翌2日、米兵が「出てきなさい」「殺しはしない」などと日語で書かれた紙を持ってガマに入り投降を呼び掛けた。だが「捕まれば残酷な殺され方をする」との教えが徹

    85人が亡くなった「集団自決」からの生存者が語る壮絶な記憶(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース
    blueribbon
    blueribbon 2021/04/05
    「米軍に捕まったら天皇陛下に恥をかかせることになるから、自分の始末は自分でするべきだと大人から教えられた。あの時の教育は本当に愚かだった」
  • なぜ米軍車両に火を…「戦後最大の民衆蜂起」深層を探る【#コザ騒動50年】(琉球新報) - Yahoo!ニュース

    50年前、米統治下の沖縄で人々が怒りを爆発させた。約80台の米軍関係の車両を焼き打ちした「コザ騒動」から今年で50年。当時米軍からも「おとなしい」「従順」と見られていた沖縄人がこのような行為に出た背景には、沖縄戦から続く哀しみの歴史や、米軍人・軍属による犯罪を罪に問うことができない不条理の蓄積があった。なぜあの事件が起きたのか、その後何が起きたのか、主に女性たちの証言から見つめ直す。(琉球新報・玉城江梨子) 【写真特集】5000人が米車両焼き討ち 真夜中の空が真っ赤に染まっていた。外国人車両であることを示すイエローナンバーの車が倒され火柱が上がっている。「たっくるせー(こらしめろ)」「やな(嫌な)アメリカーや」「燃やせ、燃やせ」と叫ぶ人々の声。よくやったと称賛するかのような指笛の音も聞こえる。沖縄で祭りや祝いの席で踊る「カチャーシー」を踊っている人の姿も。「コザが燃えている」という知らせを

    なぜ米軍車両に火を…「戦後最大の民衆蜂起」深層を探る【#コザ騒動50年】(琉球新報) - Yahoo!ニュース
    blueribbon
    blueribbon 2020/12/21
    「加わった数は5千人ともされる。被害車両は82台。米側56人、地元住民32人の計88人が負傷した。…土地が奪われ、自治が認められず、事件事故で命が奪われても罪に問うことさえできない。この不条理の蓄積が…」
  • 「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース

    太平洋戦争では、日で唯一の地上戦が沖縄で繰り広げられた。米軍が上陸した際、沖縄島や慶良間諸島では集団自決が行われた。最も自決した人が多かった渡嘉敷島では、村長の号令のもと329人が命を落とした。ただし、手榴弾の不発などによって一命を取り留めた人もいる。あの集団自決の現場では何が起き、どのように生き抜いたのか。75年前を振り返ってもらった。(文・写真:写真家・亀山亮/Yahoo!ニュース 特集編集部) 5月1日から68日間、新型コロナウイルスの新規感染者数ゼロが続いた沖縄。だが、7月に入ると、在日米軍基地を含む県内で感染者が急激に増加。さらなる感染拡大への恐れと自粛の空気が強まりつつある。例年であれば夏休みの観光客で賑わう那覇市内の国際通りも、人通りが減っている。 今年はそんなコロナ禍の影響で、生まれ故郷の島へ帰れなかった人がいた。 「(3月28日の渡嘉敷島の)慰霊祭、毎年行ってたけど、

    「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇 - Yahoo!ニュース
    blueribbon
    blueribbon 2020/08/11
    おそらく、日本軍が住民に集団自決を強要したのは、守備隊の布陣がアメリカ軍にばれるのを恐れた口封じの為だろう。
  • 「『痛み止め』と言って青酸カリを…」沖縄戦で16歳の姉が見た惨状、語り継ぐ男性の願い(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

    75年前の激戦地に立ち「戦争の悲惨さを風化させたくない」と語る中村功さん。「シュガーローフの戦い」には当時、姉と兄が参加した=8日、那覇市 高層ビルや大型商業施設が立ち並ぶ那覇市北部の「那覇新都心」。その南東部に位置する「おもろまち」地区は、75年前の沖縄戦で最激戦地の一つだった。米軍基地返還後、著しい発展を遂げたことで「跡地利用の成功例」として語られる一方、過酷な歴史は風化しつつある。「発展の裏で多くの犠牲があったことを忘れないでほしい」。戦争を繰り返さないために、体験者やその家族らは語り部として活動を続けている。 【写真】激戦が繰り広げられた丘、シュガーローフ 市中心部の県庁前からモノレールで7分。おもろまち駅で降り、5分ほど歩いた場所に、白いタンクが立つ小高い丘がある。周囲には30階建てのツインタワーマンションや高層ホテル、大型免税店が並ぶ。丘の上からは30キロ以上離れた慶良間諸島が

    「『痛み止め』と言って青酸カリを…」沖縄戦で16歳の姉が見た惨状、語り継ぐ男性の願い(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
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    blueribbon 2020/05/20
    「『痛み止め』と言って青酸カリを配ったそうです。連れて行かないのかと尋ねたら『おまえが背負って行くか?』と…中村さんは「戦えない者は切り捨てる。捕虜になる前に口封じですよ」と語る。」
  • <林家三平さん>「肉弾特攻要員」だった…二代目取材で判明 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    昭和の爆笑王、落語家の初代林家三平さん(1925〜80年)が、陸軍に徴兵されていた第二次世界大戦末期、米軍との土決戦になった場合、火薬を背負って突撃する「肉弾特攻要員」だったことがわかった。次男の二代目三平さんが参加したBS朝日の番組取材で明らかになった。 初代三平さんは45年3月、19歳で陸軍に徴兵され、10月に復員。翌46年に父・七代目林家正蔵に入門し、落語家の道を歩み始めた。52年には海老名香葉子さんと結婚し、2男2女に恵まれた。二代目三平さんによると、軍隊時代の話は「母にも僕ら子供たちにもほとんど話したことがなく、父の一生の中で唯一、空白の歴史だった」という。 今回、初代三平さんが戦友たちと一緒に民放テレビ番組に出演した時の録音テープが、当時の上官宅で遺品を整理した際に見つかった。これを基に二代目三平さんと番組スタッフがゆかりの地を訪ね、当時を知る関係者から話を聞いた。 取

    <林家三平さん>「肉弾特攻要員」だった…二代目取材で判明 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
    blueribbon
    blueribbon 2015/09/20
    「昭和の爆笑王、落語家の初代林家三平さんが、陸軍に徴兵されていた第二次世界大戦末期、米軍との本土決戦になった場合、火薬を背負って突撃する「肉弾特攻要員」だったことがわかった。」
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