タグ

内田樹に関するchess-newsのブックマーク (11)

  • 江戸時代は誰もが、60キロの米俵をヒョイと持ち運んでいた!~なぜ私たちは「身体」を見失ったのか?(光岡英稔,尹雄大) @gendai_biz

    光岡英稔(みつおか ひでとし) 1972年岡山県生まれ。日韓氏意拳学会(http://hsyq-j.blogspot.jp/)代表、および国際武学研究会(http://bugakutokyo.blogspot.jp/)代表。多くの武道・武術を学び11年間ハワイで武術指導。 2003年2月、意拳の創始者、王向斎の高弟であった韓星橋先師と、その四男である韓競辰老師に出会い、日人として初の入室弟子となる。 現在、日における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を任されている。〔撮影〕講談社写真部 武術家・光岡英稔の最強インタビューシリーズ (1)教育すると、人間は「弱く」なる! はこちら (2)なんだって? 現代人には「足腰」がない!? はこちら 私たちが持て余しているエネルギー −−古(いにしえ)の身体観と今の身体観のもっとも大きな違いはなんでしょうか? いちばんの違いは生活観でしょう。かつ

    江戸時代は誰もが、60キロの米俵をヒョイと持ち運んでいた!~なぜ私たちは「身体」を見失ったのか?(光岡英稔,尹雄大) @gendai_biz
  • 「緋色の研究」の研究 - 内田樹の研究室

    世の中には「箴言」として書きとめておきたい文句が数頁に一度出てくる小説がある。 不思議なもので、そういう小説は、読み終わって何年もして、ストーリーはほとんど忘れてしまっても、「箴言」の方だけはしっかり身体の中に残っている。 「ハードでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きているに値しない」 If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. とか。 でも、この文句が出てくるのはチャンドラーのどの小説かは、とっさには思い出せない(『プレイバック』なんですけどね)。 考えてみると、長きにわたって読まれ続ける小説は必ずそのような箴言を含んでおり、ときに箴言の方が小説より長く生きることさえある。 サー・アーサー・コナン・ドイルの『緋色の研究

  • 教育の危機と再生 - 内田樹の研究室

    先日、兵庫県庁での研修会で講演したときの講演録が出来ました。うちうちで配布するものなので、ここに再録しておきます。 中身は「いつもの話」ですけれど、まあ、いいじゃないですか。いつもの話で。 では、どぞ。 はじめに 内田でございます。 ただ今ご紹介にありましたとおり、このすぐ先の神戸市東灘区住吉というところに去年の11月に自宅兼道場を作りまして、そちらで合気道の稽古をしております。 合気道は始めて37年になります。神戸女学院大学の合気道部を21年前に立ち上げたとき、同時に社会人の団体も創設しました。そちらの会は公共施設を借りて、西宮市の中央体育館や芦屋市の青少年センター柔道場でやっておりました。このたび宿願の専用道場をつくりまして、今は毎日稽古三昧の生活をしております。 今、学塾というご紹介もありましたけれど、大学でやっておりました社会人対象の大学院のゼミの聴講生たちから、引き続き開講してく

  • 特殊な能力について - 内田樹の研究室

    京大の仏文の吉川一義先生にお招きいただいて、京大で講演をする。 吉川先生は東京都立大時代の同僚である。 同僚といっても、こちらは「お茶くみ、コピー取り」の助手であり、先生はプルースト研究者としてすでに一家をなしていたわけで、同列には論じがたいのであるが、まことにフレンドリーな先輩で、ご一緒したのは先生が東京女子大から赴任され、私が神戸女学院大学に去るまでの、二年間だけだったが、たいへん愉快な時間をともに過ごさせていただいた。 先生はフランス文学研究者としては例外的に「社会的常識のある方」である(という書き方をして仏文学者二千人をいきなり怒らせるというあたりに私の「社会的常識のなさ」は露呈しているので、そんな人間から「社会的常識のある方」と言われても「ウチダさんのその判断の蓋然性は誰が担保するのさ」と吉川先生は曇った顔をされるであろうが)。 世界的なレベルの学者でありながら、温厚で配慮の行き

    chess-news
    chess-news 2011/01/20
     その「特殊な能力」をどうやって高いレベルに維持するか、「やりたくないことは、やらない」ということである。
  • 成功について - 内田樹の研究室

    イギリスにいる研究者から「成功について」というテーマで質疑応答のやりとりをした。 なんと、各界の「成功者」たちにインタビューするという研究だったのである。私は「成功者」にカテゴライズされているらしい(知らなかった)。 奇妙な気分がしたけれど、そういう幻想的な評価はどのようにして定着するのかという消息には興味があったので、ご協力したのである。そのやりとりが日語でネット上でも公開されることになった。 前に一部をブログで公開したけれど、今回は全文を転載。 長いですので、お時間のあるかただけどうぞ。 問い1)何故、そしてどのように現在の教授職にたどり着いたのか いくつかの職業選択の分岐点で、そのつどの気分で道を選んでいるうちに、20 代の終わりに研究者・教育者への道を選択することになりました。やってみたら、けっこう、性に合っていたので、気が付いたら 30 年以上もこの仕事をしていました。その教授

    chess-news
    chess-news 2010/09/14
    成功 とか成幸 とか  関連 犬飼ターボ
  • 英語嫌いを作る方法 - 内田樹の研究室

    電話取材で英語社内公用語論についてコメントを求められる。 必ず失敗するだろうと予言する。 英語を社内公用語にするということは、英語運用能力と年収や地位の相関性が高まるということである。 とりあえず英語ができない人間は、どれほど仕事ができても、幹部には登用されない。なにしろ会議に出ても、みんなが何を話しているのかわからないんだから。 そのような人々は会社を移らざるを得ない。 「仕事はできるが英語はできない」という人間を排除して、「仕事はできないが英語はできる」という人間を残した企業がそれによってアクティヴィティを高めるであろうという見通しに私は与さない。 現に、英語運用能力と「報償」の相関をダイレクトなものにしたことによって、日人の英語運用能力の劣化は生じたと私は考えている。 現在の日の大学生の英語運用能力の劣化は著しい。 たぶん現在、日の大学入学生の半数近くは中学二年程度の文法知識さ

    chess-news
    chess-news 2010/07/28
    この人の、失敗の定義は、学生の教育として失敗するって意味みたいだね。
  • 暑いよお (内田樹の研究室)

    猛暑日が続くが、大学はまだ一週間授業がある。ほかの大学の中には8月中旬まで授業をするところがある。 なぜ、このような劣悪な気象状況の下で授業をしなければいけないのかというと、文科省が「半期15週必ず授業をやること」と厳命してきたからである。 従わなかった場合には助成金削減などのペナルティをちらつかせているので、どこも仕方なく国民の休日を開校日にしたり、入学式の週から授業を始めたり、夏休みを短くしたりして対応している。 なぜ、授業時間が増えたかというと、理由は簡単で、「日人の学力が低下したから」である。 それに対して政治家と財界から文科省にうるさく「いったい教育行政はどうなっているのか」と譴責がなされる。 文科省としても、何かをしないと恰好がつかないので、とりあえず「授業時間を増やせ」というきわめて頭の悪いソリューションを(「頭悪いなあ」とたぶん人たちも思いながら)大学に通達したのである

  • 論争について - 内田樹の研究室

    ある月刊誌から上野千鶴子と対談して、「おひとりさま」問題について議論してくださいというご依頼があった。 上野さんと対談してくれという依頼はこれまでも何度もあった。 どれもお断りした。 繰り返し書いているように、私は論争というものを好まないからである。 論争というのはそこに加わる人に論敵を「最低の鞍部」で超えることを戦術上要求する。 それは「脊髄反射的」な攻撃性を備えた人間にとってはそれほどむずかしいことではない。 あらゆる論件についてほれぼれするほどスマートに論敵を「超えて」しまう種類の知的能力というものを備えている人は現にいる(村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』でそのような人物の容貌を活写したことがある)。 それは速く走れるとか高く飛び上がれるとかいうのと同じように、例外的な才能である。 でも、そのような才能を評価する習慣を私はずいぶん前に捨てた。 そのような能力はその素質に恵まれた人自

    chess-news
    chess-news 2010/06/07
     議論について、愚痴や相手をつぶすだけじゃ疲れるよね。ご利用は建設的に。/血縁地縁ベースの相互扶助共同体の構築=サマーウォーズ的共同体かな。
  • 父親のかなしみ - 内田樹の研究室

    小学館の取材で「家族」についてお話しをする。 もう何度も書いていることだが、親族制度というのは言語や経済活動と同じだけ古く、それを営むことができるという事実が人間の人間性を基礎づけている。 と書くと「ああ、そうですか」と退屈そうなリアクションをする人がいそうだが、人間とサルを分岐するのがその点であるということは、見方を逆にすれば「およそ人間であれば、誰でもできる」ということを意味している。 そこのところを当今の家族論は見落としているのではないか。 家族について論じている言説に触れて、つねに感じることは「そんなむずかしいことが『ふつうの人間』にできるわけないでしょ」ということである。 かつて「アダルト・チルドレン」という言葉がはやったことがあった(死語になってくれたようでうれしい)。 機能不全な家族で育った子どもがその後社会的能力が劣化する現象をいうのだが、そのとき列挙されていた機能不全家族

    chess-news
    chess-news 2010/05/19
    なんか違う。高いレベルを要求してるかな。立派でなくても良いことを許容すること、わからなくて良いこと許容するのはそれなりに大変だと思う。家から出るための選択肢自体を奪ってしまうから問題なんでしょ。
  • 相対的貧困は解決できるか - 内田樹の研究室

    晩ご飯のあと、ごろんと寝ころんだら書棚にあった『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)というの背表紙が眼に入った。 そのまま手を伸ばして読み始める。 書架というのはこういうときに便利である。 読み始めたらおもしろくて、最後まで読んでしまった。 橘木さんは67歳の経済学者、山森先生は40歳の社会政策学者。学問的なアプローチも、ものの考え方もずいぶん違うけれど、きちんとした対話になっている。 相手と意見が違うときも、ふたりとも遠慮なく「私はそうは思いません」と言うけれど、それはたいていの場合、相手の発語を塞ぐというより、「それ、私にもあなたにも、どちらにもわからないことでしょう」という表示である。 過去の事例だけれど、まだ成否の検証が済んでいない政策と、未来予測に属する政策については、「私はあなたと評価を異にする」ということを表明して

    chess-news
    chess-news 2010/02/18
    相対的貧困はコストがかかるが解決するためも方法がある(探せば見つかる)状態ってこと?それなら、タダの個人の価値観と選択。/相対的貧困が身体的問題だとばれた(悟っちゃった)からデフレなんだと思う。
  • 甲野先生の最後の授業 - 内田樹の研究室

    甲野善紀先生を学の特別客員教授にお招きして3年。この年度末で任期満了となる。 2月1日から3日までの集中講義が甲野先生の学における最後の授業である。 ご挨拶に伺い、お稽古に加えて頂く。 ずいぶん多くの学生たち(および「にぎやかし」の合気道部員、杖道会員、OG、甲南合気会員)がミリアム館にひしめいて、さまざまな身体技法をあちこちで試みている。 甲野先生の講習会はだいたいこういうかたちで、「全級一斉」という指導法はなされない。 ひとりひとりが自分のペースで、自分の選んだ課題を試みる。だいたい数人のグループになって教え合ったり、批評し合ったりする。そのグループも固定していない。甲野先生が何か違うことを始めると、自然に解体して、また違う人たちとのグループが出来る。 自分の身体の内側で起きていることを「モニター」するというのが、稽古の基であるから、外的な規制はできるだけ行わず、ひたすら自分の内

    chess-news
    chess-news 2010/02/14
    きちんと読んだら、またすごい文章だ。
  • 1