京都市下京区の京都駅の近くに東本願寺が建っています。 その東本願寺から東に3分ほど歩くと、当寺の飛地境内の渉成園(しょうせいえん)があります。 渉成園を拝観すると、立派なパンフレットを1部いただけます。 パンフレットには4種類あり、その中の「人物往来記 後編」では、幕末に14代将軍の徳川家茂(とくがわいえもち)と将軍後見職の一橋慶喜が、渉成園を訪れたことが記されています。 大坂から二条城に戻る途中に立ち寄る 徳川家茂は、文久2年(1862年)に孝明天皇の妹の和宮を妻として迎えます。 当時、江戸幕府は衰えていた権威を回復するため、朝廷と協力して国難にあたる公武合体を進めていました。 家茂と和宮の結婚は、この公武合体のための政略結婚です。 一方で、朝廷内では、天皇を中心とし、外国人を日本から追い出そうとする尊王攘夷(そんのうじょうい)の意見が強まっていました。 尊王攘夷派は、政治体制の改革と和