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ブログと映画評と法学に関するhhasegawaのブックマーク (2)

  • 国家/内戦/シン・ゴジラ - 過ぎ去ろうとしない過去

    地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた ――ヨブ記41.33 近代国家を聖書に出てくる大怪獣リヴァイアサンに喩えたのはホッブズであった。ホッブズによれば、人間の自然状態は万人の万人に対する闘争であり、そこに安息は無い。従って人間たちは自らの権利を国家へと委譲する契約を結び、国家の保護を得る。保護と服従の関係が、国家と国民の関係を規定する。国家はその領域において唯一の主権的共同体である。 カール・シュミットは、『政治的なものの概念』において、国際社会を複数のリヴァイアサンが競合する多元的な空間として考えている。国際間においては、国家の国民に対する保護は、他の国家からの保護でもある。むしろ国民は他の国民に対抗するために国家をつくる。国民の結集は、「政治的なもの」によって行われる。つまり、友と敵の存在論的な区別によって行われる。国家の主権者は、政治の概念に即して、国家の敵を正

    国家/内戦/シン・ゴジラ - 過ぎ去ろうとしない過去
    hhasegawa
    hhasegawa 2016/09/13
    引用されている『スタシス』からさらに敷衍すれば、国家=リヴァイアサンに対するゴジラは内戦=ビヒモス(ベヘモット)ということになろうか。そして、両者は相互補完的、ひいては表裏一体の存在とされるのである。
  • 円環と双極性――暁美ほむらの「叛逆」についての試論 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ―女は聖母になる。そして同時に魔女にも。 ―カール・シュミット 魔法少女の運命、すなわち罪と罰のエコノミーに対して、純粋なる暴力がふるわれた。罪はまどかによって引き受けられた(annehmen)。それによってあらゆる罪は贖われた。つまり、あらゆる時間の魔法少女は、常にすでに救済されることになったのである――しかし、ほむらは自身のソウル・ジェムを自ら砕き、魔女となる。彼女は救済を拒む。「円環の理」の救済を。 なぜ?我々は今や新たな考察をくわえる必要に迫られている。ほむらの「叛逆」とは何か。そのためには、「叛逆」の対象、「円環の理」とは何かを明らかにしなければならない。過去と未来を超越する”Jetztzeit”の概念も、時間(Zeit)の概念、すなわち過去と未来の概念を、その語の内に指示している。だが、今や時間は消失した。なんとなれば、時間の両端が結ばれてしまったのである。つまり、「円環」とし

    円環と双極性――暁美ほむらの「叛逆」についての試論 - 過ぎ去ろうとしない過去
    hhasegawa
    hhasegawa 2013/12/08
    『まどマギ』というゲルマニスト的作品を、バッハオーフェン、クラーゲス、ベンヤミンの母権論の系譜から解読する(しかも最新研究に目配りを欠かさない)点で、今後も言及され続ける画期的批評となることであろう。
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