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日本近代文学に関するhhasegawaのブックマーク (83)

  • 「奇妙な」子ども時代 左翼だった父が無言で託したものと繰り返し読んだ本:私の謎 柄谷行人回想録②|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 幼少期の柄谷行人さん(柄谷行人さん提供) 書籍情報はこちら ――柄谷さんは1941年8月6日、兵庫県尼崎市のお生まれですね。 柄谷 当時は、川辺郡園田村ですよ。そして、その中の森という地域です。代々の地主で農家ですね。先祖は江戸時代に菜の花油で材をなした豪商だったらしい。いまも残っている実家の建物は築150年くらい。蔵はもっと古い。代々「善右衛門」と名乗っていて、近所では「ゼオンさん」と呼ばれていましたね。祖父は善治郎、父は善之祐。それで僕は善男(よしお)。20代でペンネームとして行人を名乗ったから、もう書類上の名前だけだけどね。 森地区には、園田村全体の村長もやっていた中村という家と、柄谷の家と二つが古くからあった。その中村という人が中心になって、僕のじいさんや地元の人を集めて、女学校を作ったんですよ。「園田学園」です。僕の姉なんかは、戦後にそこに行っていました。

    「奇妙な」子ども時代 左翼だった父が無言で託したものと繰り返し読んだ本:私の謎 柄谷行人回想録②|じんぶん堂
    hhasegawa
    hhasegawa 2023/03/25
    柄谷行人の子供時代の回想。戦前の左翼だった父が火炎瓶闘争の新聞記事について尋ねた幼少期の柄谷に「お前もこういうことやるよ」と言った、という話など。しかし、この種のインタヴューを受けるようになるとは…。
  • 「自分が若い頃のオタクとは違う」今の「本好き」と話してみると、読書も作家主義からサブスク消費へと変化しているように感じられた

    倉数茂 「再魔術化するテクスト ──カルトとスピリチュアルの時代の文化批評」文学+WEB版で連載中 @kurageru これは文学系の大学教員なら同意してもらえると思うけど、今の「好き」を自認する高校生に、好きな作家や作品を尋ねると、「ちょっと覚えてません」という返事がそれなりの割合で返ってくる。読書もサブスク化しているというか。 2022-12-23 13:10:02 倉数茂 「再魔術化するテクスト ──カルトとスピリチュアルの時代の文化批評」文学+WEB版で連載中 @kurageru 小説家。第一回ピュアフル文学賞、第一回文学しゃべるの会文学賞。日SF作家クラブ、変格ミステリ作家クラブ会員。視聴覚文芸部。BFCファイター。マイクロノベリスト。『忘れられたその場所で、』。東海大学教員 note.com/bungakuplus/n/… 倉数茂 「再魔術化するテクスト ──カルトとスピリ

    「自分が若い頃のオタクとは違う」今の「本好き」と話してみると、読書も作家主義からサブスク消費へと変化しているように感じられた
    hhasegawa
    hhasegawa 2022/12/25
    大前提ながら、本邦育ちの標準的な高校生と、意思疎通としてのコミュニケーションがデフォルトで可能と思ってはならないのでは。それを強行すると「コミュニケーション能力がない」とされるなか生きてきたのだから。
  • 【建築家隈研吾さん】単独インタビュー 加藤周一への思いや学生へのアドバイス語る|立命館大学新聞社|Ritsumeikan Univ. Press

    建築家の隈研吾さんが、7月10日、衣笠キャンパスの以学館にて紙単独インタビューに応じた。隈研吾さんは同日に行われた、加藤周一記念講演会にて「加藤周一を引き継ぐために 加藤周一と建築」をテーマに講演していた。(聞き手:三井) ◯第5回加藤周一記念講演会を終えたとき、まずお持ちになった感想を教えてください。 加藤先生がいかに「構造」への関心を持っていたか知ることができ、仮説が間違っていなかったと確認できました。その点では、加藤先生と改めて出合うことが出来ました。 ◯講演会で力を入れて伝えたかったメッセージは、ご自身と加藤周一の共通点である「科学性」「個別性」への思いでしょうか。 そうですね。文学の世界で、科学をあれほどはっきり意識してやった方は、加藤先生しかいないと思っています。また、加藤先生は僕が目指している、科学と感性の統合の先駆者だと思っています。 ◯学生時代に加藤周一について学ぶ意義

    【建築家隈研吾さん】単独インタビュー 加藤周一への思いや学生へのアドバイス語る|立命館大学新聞社|Ritsumeikan Univ. Press
    hhasegawa
    hhasegawa 2021/08/07
    国立競技場設計者による「加藤周一記念講演会」を終えての談話。しかし、よりによってこのタイミングで出されると、加藤ならパンデミック下のオリンピック開催になにを言うのかと考えさせられてしまうところがある。
  • 丸山健二 on Twitter: "少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。"

    少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。

    丸山健二 on Twitter: "少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。"
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/12/08
    小説も「非現実」ではないのか、と噴き上がっている者がいるようながら、騎士道物語のようなファンタジーに没入している人間に批評的悪意を突きつけたのが近代小説のはじまりという意味では成立する怒りではあろう。
  • TVアニメ『彼女、お借りします』が投げかけ続ける問題:疑似恋愛商売の深淵と丸谷才一「花柳小説論ノート」の射程|髙橋優

    TVアニメ『彼女、お借りします』が投げかけ続ける問題:疑似恋愛商売の深淵と丸谷才一「花柳小説論ノート」の射程 (2023年7月8日追記:過去に執筆した文章を読み返し、一部の表現に反省すべき箇所があったと判断したため、文に修正を加えました。) はじめに性産業におけるサービスの提供者とサービスの受益者の相互の軽蔑の度合いは、たいてい、ぼったくりのブティックに予想されるそれよりもはるかに強力である。 (デヴィッド・グレーバー(酒井隆史/芳賀達彦/森田和樹訳)『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店、2020年、44頁) 2020年9月、TVアニメ『彼女、お借りします』第1期の放送が終了した。作に関する評価は賛否両論の様相を呈しているが、作が雨宮天の代表作として挙げられるべき傑作となったことは否定できないだろう。作が世に問われたことによって、『モンスター娘のいる日常』(2

    TVアニメ『彼女、お借りします』が投げかけ続ける問題:疑似恋愛商売の深淵と丸谷才一「花柳小説論ノート」の射程|髙橋優
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/12/01
    「レンタル彼女」が題材の『彼女、お借りします』を、丸谷才一を補助線に、疑似恋愛商売を扱う花柳文学の後継と位置づけ、ストーカー化(近松秋江)や刃傷沙汰(『籠釣瓶花街酔醒』)と紙一重の「深淵」を見る論考。
  • 【同人誌旧稿再録】いわゆる痴呆の芸術について~「加奈」評論~ | 筆不精者の雑彙

    最近ちょっとツイッターで炎上したことがあって、その件とそれにまつわる分析は後日書くことにしますが(いろいろ用事があって忙しいので)、それに関連して畏友の長谷川晴生氏が、私が20年近くも前に(!)同人誌に書き、その後サイトに転載したものの、サイト消滅でお蔵入りになっていた旧稿の議論がそれに関係する視点を提供しているのではと指摘され、さてこそ炎上に追加燃料として、ここに復活させてみました。 もっとも当は、従前同様にサイト(何年も放置しっぱなしですが……)に再掲したかったのですが、html の書き方だの FTP のやり方だのをすっかり忘れているため、サイトに再掲するのは時間がかかると判断し、とりあえずブログに載せることにしました。書き方ややり方を思い出したらサイトへ移行させようと思いますが、まあ春学期終了後以降ですね。 はじめに(2006.10.9.) 稿の初出は、電波サークル「原辰徳新監督

    【同人誌旧稿再録】いわゆる痴呆の芸術について~「加奈」評論~ | 筆不精者の雑彙
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/07/13
    『加奈~いもうと~』をダシに、谷崎「いはゆる痴呆の芸術について」の文楽論からオタク文化への向き合い方を考える2001年の文章。過去ツイート(https://bit.ly/3ejZCq7)で触れたもの。
  • 河出書房新社 池澤夏樹個人編集 日本文学全集

    ―― 池澤さんの個人編集によって二〇〇七年から刊行され、異例の好評とともに迎えられた「世界文学全集」に続いて、こんどは「日文学全集」を編まれると発表されました。十一月からほぼ毎月刊行ということですが、まず、なぜ今それを手がけようと思われたのでしょうか。 池澤 「世界文学全集」が一段落したところで、版元の河出書房新社から日文学全集もやりませんか、と声をかけていただいた。しかし、そのときにはぼくはやる気はなかったんです。自分はそんなに日文学に詳しくないし、ともかく世界文学全集が終わった直後だったし。それを言うなら世界文学全集のときも、最初は無理だと思っていましたが。 ―― それを翻意された理由はなんだったのでしょう。「世界文学全集」の完結は二〇一一年三月十日、奇しくも東日大震災の前日でしたが、その後の池澤さんの活動とも関係していますか。 池澤 そうですね。何の偶然か。ぼくはその震災後、

    河出書房新社 池澤夏樹個人編集 日本文学全集
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/06/26
    『日本文学全集』のインタヴューでは、日本人は平和主義で内乱でも一家皆殺しはしなかった、と先日の「日本史に虐殺はなかった」式の認識が展開され、これで「リベラル」なのだからネトウヨ諸君も恐れる必要はない。
  • 批評の練習帳 古井由吉における「男の子」性

    古井由吉が亡くなった。私は拙い古井論を「文學界」に書いたことがあり、また講談社文芸文庫『木犀の日』の解説も書かせていただいて、古井文学とは縁があるのだが、私が文芸雑誌と疎遠になると共に、古井氏の文学とも遠ざかっていた。 訃報の後、幾つかの追悼文や、文芸誌の追悼文を見たが、同じ人が複数のメディアに書いていることが多いのが目につき、ここに書いている人たち(あるいは依頼を断った人たちも含めて)が今の「文壇」の中心なのだろうなと思ったりした。特に蓮實重彦が三つも書いているのが最初は驚きだったが、最近の露悪的な身振りを考え合せて、らしいと言えばらしいと思った。 蓮實氏の追悼文では、古井とは東大で同級生だったという話と、「杳子」のようなロマネスクな小説ではなく「水」に始まる短篇連作を評価するという話、異様に高く評価されている「仮往生伝試文」はそれほどの作品ではないという話が印象に残った。蓮實氏の東大

    hhasegawa
    hhasegawa 2020/06/12
    自選短篇集解説者による古井由吉追悼文。「通俗の極みと言えるのは、端的に『女』をめぐる表現である。[…]それは男の目からみた『女』のステレオタイプを凝縮したもの」「古井の文学は本質的に『男の子』の文学」
  • 四方田 犬彦

    三島由紀夫と東大全共闘の「対決」の録画がTBSに残されていて、それを編集したドキュを有楽町で観た。...

    四方田 犬彦
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/04/16
    「三島由紀夫の文学作品を読んだことがないのだろう。ただ『1968』という書物の著者であるというだけの理由で、ここに呼び出されたのだろう」『革あ革』で三島に一章を割いた『1968年』の著者を呼ばずに…。
  • 古井由吉は日本文学に何を遺したのか 82年の生涯を新鋭日本現代文学研究者が説く

    2月18日、「内向の世代」の小説家・古井由吉が逝去した。享年82歳。 杳子は深い谷底に一人で座っていた。/十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時期だった。(「杳子」71年) およそ50年前、古井が第64回芥川賞を受けた代表作「杳子」の冒頭。最小限の描写のなかに作品全体をおおう不穏なムードが圧縮された印象的な書き出しである。タイトルにある「杳」という語は〈ヨウ〉と読んで、〈くらい、ぼやけた、さびしい〉といった意味をあらわすという。主人公は「彼」と呼ばれる男性である。精神を病んでいるらしい杳子と山中で出会い、次第に「恋愛小説」的な関係がむすばれていく。杳子の病いをつぶさに観察する「彼」のまなざしはときに暴力的である。だが、その「彼」が杳子に見つめ返されるとき、物語はひとつのピークを迎える。 比較的入手しやすい(たとえば、新潮文庫やKindleで読める)中編なので、古井作品を未読の

    古井由吉は日本文学に何を遺したのか 82年の生涯を新鋭日本現代文学研究者が説く
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/03/12
    時代4区分にはほぼ同意できる(『槿』は前期でもよさそう)。「内向の世代」命名については、小田切秀雄は特に古井と川村二郎を日本浪曼派の復活と見ていたようなので、潜在的には「右」を叩く動機があったのでは。
  • https://www.kawade.co.jp/furuiyoshikichi/pdf/bessatsu_furui.pdf

    hhasegawa
    hhasegawa 2020/03/02
    『古井由吉自撰作品』のパンフより「愛読書29」。デフォー『疫病流行記』(https://amzn.to/2Vxq9KS)が期せずしてタイムリーに。ただ、近代文学を「西洋古典」扱いにするのはちょっと…。
  • 礫岩のような千葉(2):文豪と我孫子ニスト~白樺派ゆかりの地を歩く~ - 蛮族の本懐

    前回のおさらい 連載を最初から読みたい方は以下のリンクからどうぞ。 rasiel9713.hatenablog.com はじめに(兼 新年のご挨拶) 2019年12月15日(日)、国文学好きの友人の勧めで、千葉県我孫子市へ行ってきた。私にとって我孫子とは、常磐線で水戸やいわきを往来する際の通過点でしかなく、降り立ったことはない土地であった。しかし、実際に赴いてみると、日近代文学や日近代史に関心のある人にとっては楽しめそうなスポットが集まる渋い街だったので、この場を借りて友人に感謝するとともに、半日ほどで廻れる小旅行コースを紹介したい。 千葉の魅力を伝えるシリーズ、2年ぶりの更新をもって、2020年の新年のご挨拶に代えたい。年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 前回のおさらい はじめに(兼 新年のご挨拶) 我孫子という街、そして手賀沼について 「ハケの道」沿いの文学・歴史ゆかりの地を

    礫岩のような千葉(2):文豪と我孫子ニスト~白樺派ゆかりの地を歩く~ - 蛮族の本懐
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/01/18
    「日本近代文学や日本近代史に関心のある人にとっては楽しめそうなスポットが集まる」手賀沼、利根川近辺旅行記。文人たちの結節点が嘉納治五郎なのもわかる(自治体が大河ドラマをダシにそう宣伝してもよかった)。
  • 「炎上を怖がっちゃいけない。電源を抜いたら消えてしまう世界です」――筒井康隆85歳が語る「表現の自由」 - Yahoo!ニュース

    炎上を怖がっちゃいけない。電源を抜いたら消えてしまう世界です」――筒井康隆85歳が語る「表現の自由」 「もうあらゆるものを書き尽くした」。作家・筒井康隆さん(85)は、60年近くにわたり、ジャンルを超えて小説を書き続けている。いち早くネットワーク社会とかかわり、新たなツールを創作に取り入れて、アナログとデジタルの境界を飄々(ひょうひょう)と行き来してきた。今もTwitterを更新して、時に炎上する。現在の情報化社会をどう見るのか、表現の自由とは何か。筒井さんに聞いた。(撮影:太田好治/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    「炎上を怖がっちゃいけない。電源を抜いたら消えてしまう世界です」――筒井康隆85歳が語る「表現の自由」 - Yahoo!ニュース
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    hhasegawa 2019/12/01
    「炎上を怖がるな。電源を抜いたら消える」自称「集団ストーカー被害者」がネットで個人情報を拡散されて本当にそうなるような顛末は筒井の小説的では、と言う友人がいたが、本人は時代についていけていない気配も。
  • 遠藤周作 vs 三島由紀夫──サドを巡って── - 昼の軍隊

    縄張り争いというのは、あらゆる生物に共通する、最もポピュラーな戦いの一つだ。また、縄張りは、物理的な物に限らず、例えば同じ分野の研究者同士が途轍もなく仲が悪かったりする。作家にしても、関心領域が近いと、争いに発展しやすい。 ただし、作家同士の争いというのは、直接的な批判よりも、「俺の方がもっと上手く書ける」というような、同じテーマを扱った作品のぶつかり合いという、やや間接的な形で表面化するケースが多い(三島由紀夫が太宰治に酒席で直接文句を言ったという「伝説」的な争いもあるが)。 例えば、江戸川乱歩は、谷崎を尊敬していたが、「金色の死」と同じモチーフを使った作品『パノラマ島奇談』を書き、谷崎から距離を置かれた(小谷野敦『谷崎潤一郎伝』)。また、サント=ブーヴと敵対していたバルザックは、サント=ブーヴの小説『愛欲』を書き直すつもりで、『谷間の百合』を執筆した(アンヌ・ボケル、エティエンヌ・ケル

    遠藤周作 vs 三島由紀夫──サドを巡って── - 昼の軍隊
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/11/06
    佐伯彰一の回想より、サドをめぐる遠藤周作と三島澁澤コンビの暗闘を紹介した記事。学力的にも関心面でもはるかに正統だった遠藤に任せていたら、悪しき意味での「サブカル」にならずにすんだのにと思えてならない。
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    Togetter - 国内最大級のTwitterまとめメディア
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    hhasegawa 2019/06/18
    国語の試験で小説について「作者の気持ち」を聞く問題が出される、と冗談以外で言い張るような御仁には近づいてはいけないという教訓が得られる。ある意味、その言説自体がご当人の国語力を証明するものといえよう。
  • 批評の練習帳 漱石神話の現在

    漱石神話という言葉は、現在の漱石観を示すものとしては一般には使われていないかもしれない。通常江藤淳の『夏目漱石』が小宮豊隆の「則天去私」的漱石像を打破して以来漱石神話は消滅し、漱石は脱神話化されたということになっている節がある。漱石を私たちが礼賛するのは、神話ではなく真実だからだというわけである。しかし私は漱石神話は様々な形で継続し続けていると考える。少なくともそれが神話ではなく真実だと言うに値するほどの知的労働が、漱石の価値測定に払われている形跡はない。 最近読んだ岡崎乾二郞『抽象の力』における漱石の強引な使い方は、漱石神話の(少なくとも1980年代以来の)不変の機能ぶりを前提としないと私には理解できない。美術・建築に疎いので分からないが、私の読んだ限りこのが目指しているのは近代日の抽象芸術が西欧の影響下に従属していたのではなく、それなりに自立的で内在的な必然性によって展開したという

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    hhasegawa 2019/02/24
    「新刊『戦争の時代と夏目漱石』も[…]不誠実だと思うのは、『韓満所感』について触れながら『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた』という漱石の発言について、何も触れていないことである」
  • 「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」レポート ~「モヤモヤ」とともに振り返る~ - 東大新聞オンライン

    2016年、東大生・東大大学院生5人による集団強制わいせつ事件が起き、世間に衝撃が走った。あれから2年以上がたった2018年7月、事件に着想を得た小説『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋社刊)が出版され、再び大きな話題となった。 そんな中、2018年12月に東大駒場キャンパスで開催されたブックトークイベント。あっという間に過ぎた、濃密な2時間の内容を、編集部員によるイベントの書き起こしと共に振り返る。 (取材・石井達也、一柳里樹、高橋祐貴、武沙佑美、楊海沙 構成・武沙佑美 撮影・石井達也) ※レポート記事文のリンクをクリックすると、書き起こしの該当発言部分にジャンプし、ジャンプ先のリンクをクリックするとレポート記事文に戻れます。実際にどのようなニュアンスでの発言だったのか、少しでも感じ取る手がかりにしていただけますと幸いです。 <イベント詳細> 日時:2018年12月12日水曜日 19時~

    「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」レポート ~「モヤモヤ」とともに振り返る~ - 東大新聞オンライン
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    hhasegawa 2019/02/09
    昨年から揉めていた「ブックトーク」書き起こし。揚足取りのように言われた三鷹寮に関する指摘も、裕福ではない学生用の寮をダシにして東大生=富裕と誘導する作為への、基本的に正当な批判だったことなどがわかる。
  • 僕は頭がいいけれど…東大生が抱く「彼女は頭が悪いから」への違和感|好書好日

    文:伊藤あかり 横浜市郊外のごくふつうの家庭で育ち、女子大に進学した神立美咲。渋谷区広尾の申し分のない環境で育ち、東京大学に進学した竹内つばさ。ふたりは出会い、恋に落ちた。はずだったのに。嫉妬や劣等感、階級意識から、東大生5人による強制わいせつ事件がおきてしまう。事件後、被害者のはずの美咲は「東大生の未来をつぶした“勘違い女”」として世間から攻撃を受ける。 合格が決まって校舎に垂れ幕 「東大だから起きた事件」「学歴至上主義がそうさせた」といった論があるみたいですけど、そうした言われ方をされるのは納得がいきません。「学歴」で女性が釣れるなんてことは、僕のまわりでは想定しにくいからです。 まず、僕の自己紹介をさせてください。東大への進学率が低い県から受験しました。つまり、東大生がレアな県なんです。3000人に1人とも言われています。 県内の進学校にかよっていましたが、学校で1番の子で頑張って筑

    僕は頭がいいけれど…東大生が抱く「彼女は頭が悪いから」への違和感|好書好日
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    hhasegawa 2019/01/12
    さすがに反論も取材する気になったかと思いきや、結局は同種の偏見を煽る内容で嘆息。母校に「東大合格」の垂れ幕がかかった、東大に入学すればモテると思っていた、という人は実在したとしても相当レアケースでは。
  • (文芸時評)作家の生き様 具体性・身体性の積み上げ 磯崎憲一郎:朝日新聞デジタル

    創作特集が組まれている構成は従来とさほど変わらないが、今月の文芸誌新年号は、「文学にできることを」(群像)、「読むことは、想像力」(新潮)といったタイトルが付されたことによって、小説をめぐる状況に対する、ある種の危機感が表明されているようにも感じる。 * 笙野頼子「返信を、待っていた」(…

    (文芸時評)作家の生き様 具体性・身体性の積み上げ 磯崎憲一郎:朝日新聞デジタル
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    hhasegawa 2019/01/05
    問題になりうるとすれば終末期医療をめぐる事実認識なのに、「想像力」だの「身体性」だの、書いている本人も意味がわかっているのか不明な用語を振りまわしてしまうところが、大企業広報官僚の面目躍如といえよう。
  • 三島由紀夫の「最後の晩餐」。新橋「末げん」の鳥鍋に舌鼓を打つ

    鳥のソップ炊きがメインの、わのコース13,000円(税・サ別)。作家・三島由紀夫が、最後の晩餐に選んだ料理だ 昭和45年(1970)11月25日。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした三島。彼はその前夜、楯の会隊員4名と新橋の「末(すえ)げん」で鳥鍋をべていたのだ。 「三島先生のお父さんがよく利用されていまして、先生は詰襟姿の小学生の頃からいらしてました。結婚されてからは奥さんと。あの晩の4日前にも、奥さんと来ていたんです」 と語るのは、3代目店主の丸(まる)哲夫さん。 哲夫さんは同年5月に結婚したばかりだった。嫁いで半年の武子さんはその夜、初代店主・源一郎氏に促され、初めて三島の宴席に挨拶に行った。武子さんが回想する。 「襖を開けたら、楯の会の方が背筋をピンと伸ばして正座してらして、先生は目を瞑(つぶ)って考え事でもしていらっしゃるご様子。部屋全体がものすごく張りつめた空気で、とてもご

    三島由紀夫の「最後の晩餐」。新橋「末げん」の鳥鍋に舌鼓を打つ
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    hhasegawa 2018/12/29
    「3代目店主の丸(まる)哲夫さん」「(初代店主の)実家は千葉県茂原で呉服屋」ここにも安房丸氏が(https://bit.ly/2AmhmjP)。馬琴の愛読者たる三島は『八犬伝』を連想したかもしれない。