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日本史と近世史に関するhhasegawaのブックマーク (4)

  • 松方冬子准教授(東京大学史料編纂所)へのインタビュー | インタビュー | GJS: 国際総合日本学ネットワーク

    Global Japan Studies at the University of Tokyo is a research and education network that seeks to connect Japanese studies in and outside Japan. 松方先生、今日どうぞよろしくお願いいたします。まず、先生のご専門をお聞きしたいです。 私は学生時代から近世の日史を勉強して、最初は大名家のことを研究しておりました。就職してからオランダ語の史料を使い始め、オランダ風説書という文書の研究で博士号を取りました。最近は外交史をやりたいと思っています。日語とオランダ語しか使えないのですが、日人とオランダ人の接触を日とオランダの関係史としてではなく、もうすこし広く外交の世界史の中に位置付けたいと思っています。 オランダ語を読む関係で、蘭学研究をやっている方々

    hhasegawa
    hhasegawa 2018/04/09
    「平泉澄は[…]ドイツに留学して帰ってきてから皇国史観になったらしい。昔は普通の人だったのに、帰ってきておかしくなった」ので留学はするものではない、と東大日本史学科で言われていた、という話。本当なの?
  • 江戸時代 田沼時代の政策と実態

    ut_ken @ut_ken 田沼意次って個人としては、物腰柔らかでむやみに厳しく罰することもなく、立場の上下関係なく丁重に接してくれて、面白そうな企画を積極的募って自ら検討や政策実現してくれる、魅力的な人だったのでしょうけど。その結果が全部うまくいくかというとそういうわけでもないわけで 2018-01-28 00:20:01 ut_ken @ut_ken 前から書こうと思っていたこと。田沼意次の政策についての大まかな解説と「昨今一般的に言われるほど革新的でも大成功でもないし、問題や失敗も多かった」という話。主に藤田覚氏の著作を元にしています。 #田沼時代 2018-01-26 23:45:12

    江戸時代 田沼時代の政策と実態
    hhasegawa
    hhasegawa 2018/01/29
    貨幣経済を積極的に推進した先覚的重商主義者としての田沼意次(や徳川宗春)礼賛は、確実に昨今のリフレ派やらなにやら(あるいは民間人への政府の便宜供与を是認する態度)に繋がっており、「史学史」が必要かと。
  • 刃傷事件:「浅野内匠頭殿 乱心」 京都・西本願寺で文書発見 真相は……やはり謎 | 毎日新聞

    刃傷事件について記されている「江戸江遣書状留帳」。「乱心」と書かれている=京都市下京区の西願寺で、小松雄介撮影 赤穂浪士討ち入りのきっかけとなった赤穂藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)の刃傷事件に触れた新たな古文書が浄土真宗願寺派山・西願寺(京都市下京区)の願寺史料研究所で見つかり、同研究所が2日発表した。事件直後に作成されたもので、内匠頭が「乱心」したなどと記されている。刃傷事件について同時代に書かれた史料は見つかっていないといい、同研究所は「当時の状況が分かる貴重な発見」としている。 刃傷事件は元禄14年3月14日(1701年4月21日)に発生。内匠頭が江戸城松の廊下で吉良(きら)上野(こうずけの)介(すけ)に切りつけた。赤穂藩は取りつぶし、内匠頭は即日切腹となり、元禄15年12月(1703年1月)に家老の大石内蔵(くらの)助(すけ)らが吉良邸で上野介を討ち取った。

    刃傷事件:「浅野内匠頭殿 乱心」 京都・西本願寺で文書発見 真相は……やはり謎 | 毎日新聞
    hhasegawa
    hhasegawa 2016/12/04
    浅野統合失調症説は前からあった。話題の記事に「ギフハブ」の陰謀を看破した「ASKA容疑者」と「刃傷事件」が並ぶ(http://bit.ly/2gzNhnM)のが意味深。ここは浅野役で芸能界復帰を。
  • 特集ワイド:家康なぜ嫌われる? 平和主義者、軍部の不評買い | 毎日新聞

    ああ、憎らしい。NHK大河ドラマ「真田丸」で内野聖陽さん演じる徳川家康だ。天下分け目の関ケ原の戦い(1600年)で敵側にまわった主人公、真田信繁(幸村)らを罵倒して高笑いする場面(9月18日放送)では、悪役が実にハマっていた。そもそも家康公、戦乱を終わらせ、太平の江戸時代を開いた英雄なのに、なぜこんなに嫌われ役にされるのか?【吉井理記】 秋の臨時国会が始まった。戦国争乱にも例えられる永田町で、政界きっての家康好きとして知られる民進党代表代行、長昭衆院議員を議員会館に訪ねた。事務所の壁には「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず……」でおなじみ、「家康公遺訓」が恭しく額に掲げられていた。

    特集ワイド:家康なぜ嫌われる? 平和主義者、軍部の不評買い | 毎日新聞
    hhasegawa
    hhasegawa 2016/10/12
    「秀吉は『朝鮮出兵』を引き起こしましたが、対外膨張を目指していた戦前の日本にとって、秀吉は『英雄』なのです」太閤の遺訓は寿司屋で、バスで、電車で、そして道頓堀の街頭で今日も生かされている、というオチ。
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