左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。 「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」[1]とマーク・フィッシャーは書いた。 いまや資本主義だけが唯一可能な政治・経済的制度だとみなされ、それに代わるオルタナティブは想像することすらできない。そのために深刻な無力感と文化・政治的な不毛さが広がり、わたしたちは「再帰的無能感」[2]に襲われている。うつ病をはじ