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社会主義と大学に関するhhasegawaのブックマーク (3)

  • 東大生なら知っておきたい 50周年を機に振り返る、東大闘争の意義とは - 東大新聞オンライン

    「大学って、学生の自由が確立されているよね」。そう当たり前に感じている人も多いかもしれない。しかし、東大闘争(東大紛争)が繰り広げられていた50年前には、必ずしもそうとは言えない状況だったことを、ご存知だろうか。 1月10日に郷キャンパスで開かれたイベント「〈討論集会〉東大闘争・確認書50年──社会と大学のあり方を問う」では、東大闘争の意義が改めて問われた。それは、50年後の現在を生きる我々今の学生にとっても無縁ではなかった。 (取材・小田泰成) 多くの学生が運動に立ち上がった まずは、司会を務めた柴田章氏(教養代表団⦅教養学部の学生の代表⦆、以下特記なき限り()内の役職は東大闘争当時のもの)の言葉を交えつつ、東大闘争の主な出来事を簡単に振り返りたい。 戦後の東大は学生運動の拠点で、東大当局は学生運動を抑え込む姿勢を取ってきた。1960年代後半にはベトナム戦争への世界的反戦運動の影響もあ

    東大生なら知っておきたい 50周年を機に振り返る、東大闘争の意義とは - 東大新聞オンライン
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/12/04
    「多くの学生が利用しているこの自主ゼミ制度も、実は確認書で学生の自主活動が尊重されたことに起源を持つ」『東大新聞』によれば、全学自由ゼミの根拠は69年1月に七学部学生代表団と総長代行の締結した確認書。
  • 中核派・全学連のトップに現役東大2年生が就任 新委員長の高原恭平氏インタビュー | AERA dot. (アエラドット)

    全学連新委員長の高原恭平氏(撮影/小林哲夫) 全学連新委員長の高原恭平氏(撮影/小林哲夫) 9月1、2日、中核派・全学連大会が開かれた。 【写真】マイクを持って語る中核派全学連新委員長の高原氏 同大会で全学連委員長に高原恭平氏が就任することが発表された。高原氏は1996年生まれの21歳。東京大教養学部2年生である。 中核派、全学連……。 最近では聞き慣れない言葉が並んだので、すこし解説しよう。 中核派は正式名称、革命的共産主義者同盟全国委員会のこと。警察からは極左暴力集団、マスコミからは過激派、論壇からは新左翼と呼ばれている。革命をめざしている政治団体だ。 中核派は63年に結成、60年代から70年代前半の学生運動が盛んだったころ、大学でバリケード封鎖、街頭で火炎ビン投てきなど過激な闘争を繰り返してきた。 80年代も三里塚闘争(成田空港反対運動)では、空港に突入しようとする、自民党部を焼き

    中核派・全学連のトップに現役東大2年生が就任 新委員長の高原恭平氏インタビュー | AERA dot. (アエラドット)
    hhasegawa
    hhasegawa 2018/09/04
    「2015年に東大入学後、すぐに駒場の自治会活動をはじめます」民青が駒場の自治会を手放した(https://bit.ly/2wF9qbj)数年後にこういう事態になるとは、政治の世界の一寸先は闇である。
  • 「反白色テロル大連帯」に関する覚書

    東京大学は駒場キャンパスに前世紀末出没した謎の政治?団体「反白色テロル大連帯」。非モテという言葉がまだ広まっていなかった頃に、非モテネタを新左翼のアジビラの文体で展開するという奇想天外な活動は、当時の少なからぬ東大生のハートを掴みました。「革命的非モテ同盟」はじめゼロ年代の非モテ論壇?の誕生にも、影響を与えていたのではないかと思われるこの団体(実は個人活動でしたが)について、ツイッター上で情報が集積される機会がありましたので、ここに備忘としてまとめておきます。

    「反白色テロル大連帯」に関する覚書
    hhasegawa
    hhasegawa 2015/10/30
    いま見ると、新左翼パロとはいえ、「盲従集団」のような語法に隠せない民青臭がする気も。時代はずれるも、駒下の原理研については実体験によるこの本(http://amzn.to/20d1V3o)に詳しい。
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