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社会主義と書評に関するhhasegawaのブックマーク (4)

  • 「富」なき時代の資本主義 マルクス『資本論』を読み直す (いま読む!名著) 書評|沖 公祐( 現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    〝変わったタイトルの〟というのが第一印象だった。資主義は、富の分配には問題を抱えるものの、富を次から次へと生み出すシステムであることは、あまり疑われることがない。それが「「富」なき時代」と形容されるのはどういうことなのか。書を読み進めていくと、資主義と富の関係は、そこまで単純でないことに少しずつ気づかされていく。 書によれば、「『資論』は「富」に対する透徹した眼差しに貫かれた書物である」(二三頁)。富と言えば、経済学の古典としてはむしろ、アダム・スミスの『国富論』が思い浮かぶ。そこで書は、両書を対比し、富の概念の輪郭を切り出していく。 スミスの富は、日々消費されていく日用品に代表される。そして、余分なものが出ない社会を、スミスは理想状態として描いた。これは、貨幣をはじめとする貯えを富とみた、当時の重商主義に対するアンチテーゼとなっている。それに対してマルクスはそれを再転換し、

    「富」なき時代の資本主義 マルクス『資本論』を読み直す (いま読む!名著) 書評|沖 公祐( 現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/03/25
    江原慶氏の沖公祐『「富」なき時代の資本主義』書評。「現代資本主義の根本的な問題は、富の分配ではなく、資本が富を生み出せないところに求められる。」肩書が「マルクス経済学者」ではなく「翻訳家」の理由は謎。
  • <ポスト68年>と私たち 書評|市田 良彦(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    一九六八年を五〇年後の今日において懐古することに何の意味もない。しかし、そこで生起した思想的あるいは運動的な事件が、今なおどのように現在を規定しているかを考えることには、それ相当の意味がある。書は二〇一一年に京大人文研を共同研究拠点として始まった「ヨーロッパ現代思想と政治プロジェクトの成果である前著『現代思想と政治――資主義・精神分析・哲学』(二〇一六年)を承け、同じ編者によって、その続編として刊行された。言うまでもなく、前著あるいは書のなかでも用いられる「現代思想」とは、いわゆる「六八年の思想」とも言われるものである。 二著を貫くモティベーションを端的に象徴するのは、書のタイトル「〈ポスト68年〉と私たち」が示しているように、その共同研究がおおむねポスト68年世代に属する、アカデミックな研究者たる「私たち」によって担われているということだが、同時に、日の六八年にも多大な影響を

    <ポスト68年>と私たち 書評|市田 良彦(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
    hhasegawa
    hhasegawa 2018/06/03
    「アカデミズムや主流ジャーナリズムにおいては、六八年は、それを色濃く特徴づけていた『暴力の暗雲の向こうに別の〈68年〉を見いだそうとする』傾向」「受け継がれる市民運動の創世こそを内実とする〈68年〉」
  • 江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学(小谷野敦) その2 - KAZUO NAKAJIMA 間奏

    繰り返せば、その時「政治と文学」の二項を媒介したのが、「人民戦線=青春」だった。ここにおいては、中野重治が転向して私小説を書くことも、小林秀雄が「私小説論」において、私小説をマルクス主義のタームで捉えることも、すべて「同心円」の中で矛盾なく捉えられることになるだろう。この時、私小説は、「純粋性のシンボル」として、マルクス主義=政治からの「転向」としてではなく、それと等号で結ばれるもの(「代補」と言うべきか)となったのである。 「いまでも私には小林多喜二の『党生活者』と嘉村磯多の『途上』とは、ほぼ同質のものとして残像している。というより、党に殉じた小林多喜二の生涯と純文学に礒じた嘉村磯多の生涯とほぼ等価で結びたい気持がつよいのである。」(「私小説共産党」) 話を戻せば、書評に書いたように、書から読まれる江藤の像は、『成熟と喪失』以降、私小説から遠く離れて(小谷野は、『成熟と喪失』を江藤の

    江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学(小谷野敦) その2 - KAZUO NAKAJIMA 間奏
    hhasegawa
    hhasegawa 2015/05/01
    青春と等置される人民戦線の実態がすでに「サブカルと戯れるゆるふわな日常」(『暗い絵』や『死霊』)であったと考えることはできないだろうか。『サブカルチャー文学論』の起点は平野謙でもよかった、ともいえる。
  • 天皇制の隠語(すが秀実) - KAZUO NAKAJIMA 間奏

    天皇制の隠語 作者: スガ秀実出版社/メーカー: 航思社発売日: 2014/04/21メディア: 単行この商品を含むブログ (9件) を見る 一言でいえば、最近の著者は、『吉隆明の時代』、『反原発の思想史』と、(広義の)アナーキズムの蔓延に対して、ボルシェビズム、すなわち「党=普遍性」の復権を追究してきたといえるだろう。 例えば、『白水社』の連続インタビューにおいても、 http://www.hakusuisha.co.jp/topics/taisho/suga01.php 「アナに比べて、ボル的なものはどうも日に合わないのではないか」という問いに対して、著者は次のように答えている。 それは、3・11を過ぎても変わらない68年以降の「気分」ではないでしょうか。丸山眞男は、「日の思想」の「精神的雑居性」を原理的に否定し、「世界経験の論理的および価値的な整序を内面的に強制する思想」たり

    天皇制の隠語(すが秀実) - KAZUO NAKAJIMA 間奏
    hhasegawa
    hhasegawa 2014/06/09
    「ボルシェビズム、すなわち党=普遍性の復権を追求」三十年代の世界的文脈を考えると、もう一つ教会をイコールに加えた見取図が描けると思われる。例えば『魔の山』ナフタにおけるイエズス会と前衛党の奇怪な結合。
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