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社会とアニメ評に関するhhasegawaのブックマーク (4)

  • TVアニメ『アキバ冥途戦争』におけるアキバブームの刻印:メイドに関する偽史的想像力をどのように考えるべきか|髙橋優

    Twitterでの指摘を受けて、稿の文末に追記を加えました。 博徒の子分は理非を辨へずに、ひたすらに親方の指揮に服從する。 (柳田國男「親方子方」『定 柳田國男集 第十五巻』筑摩書房、1963年、390頁) 2022年12月に放送が終了したTVアニメ『アキバ冥途戦争』は、加藤智大による無差別殺傷事件(2008年6月8日)を生むような秋葉原の都市構造の変容を前提とした、マッチポンプ的な作品だった。 作は「萌えと暴力について」というキャッチコピーを引っ提げて、秋葉原でメイドとして働く女たちがヤクザ映画さながらの殺し合いを演じる様子を余すところなく描き出す。1999年の秋葉原を舞台に繰り広げられるのは、メイドカフェグループ間の血で血を洗う抗争とメイドカフェグループ内部の内紛だ。作において、秋葉原はメイドカフェグループの双璧をなすケダモノランドグループとメイドリアングループによって牛耳ら

    TVアニメ『アキバ冥途戦争』におけるアキバブームの刻印:メイドに関する偽史的想像力をどのように考えるべきか|髙橋優
    hhasegawa
    hhasegawa 2023/04/05
    全般的に疑問の多い文章。まず、「メイドをヤクザになぞらえる」のは本当に「トンチキな舞台設定」なのか? メイドに限らず特定のコスチュームを着せた美少女キャラを戦わせるのは、この業界では定番の想像力では。
  • TVアニメ『月が導く異世界道中』が描く現代日本の前向きな諦め:「ブサイク」の異界と張り出した女性嫌悪|髙橋優

    2023年7月8日追記:過去に執筆した文章を読み返し、一部の表現に反省すべき箇所があったと判断したため、文に修正を加えました。) はじめに いつのころからだろうか――この世のほかに、もっと別なところに、自分を受け入れてくれる「場所」があるのではないか、というほのかな期待が生まれたのは。 疲れ切って帰路につくとき、ふと電車の窓を眺めていて「ここは私のいるところではないかもしれない」といった奇妙な気分に陥ることがある。今の生活に不満があるわけではない。だが、「ここではないどこか」へのあこがれは、いつも私の心のすきまにひそやかに入り込んでくるのだ。青臭い感情と、人はたぶん笑うだろう。 (田中貴子『鏡花と怪異』平凡社、2006年、137頁) 「俺は夜なんて駆けない 未来に賭ける」、「そうアタシは半人前 ブサイク ただ凡人/転生さえ願った業人」――「うっせぇわ」を手がけたシンガーソングライター・

    TVアニメ『月が導く異世界道中』が描く現代日本の前向きな諦め:「ブサイク」の異界と張り出した女性嫌悪|髙橋優
    hhasegawa
    hhasegawa 2021/10/01
    「ブサイク」に焦点を当てたという異世界ものを鏡花の怪異譚の延長で論ずるのはどうか? 彼の怪異は「美」に寄せて描かれるので、最近の作品でいえば、むしろなんでも美少女化してしまうジャンルに近接するのでは。
  • TVアニメ『恋きも』と『ひげひろ』が見せる純愛志向の極致:現代日本の病理としての「恋愛」中毒|髙橋優

    はじめに ひとたび択び、その関係を継続したいと考えるなら、相手が、相手との相性が、ステキだと信じることは結婚生活の維持に有益だ。そこでひとめぼれや運命といった物語を利用することは無為とは言えない。とはいえ、それは独身脱出後に関係を円滑に継続させるために利用する「物語」であって、独身脱出前の「幻想」とならないよう注意しなくてはならない。そしてまた、独身脱出後であったとしても、この「物語」がいつしか「幻想」へと変質して、たとえばDVを受けながらも相手を運命の相手と信じて離婚に踏み切れないというような悲惨な状況に陥らぬように注意しなくてはならない。 (佐藤信『日婚活思想史序説:戦後日の「幸せになりたい」』東洋経済新報社、2019年、165-166頁) 2021年4月期には、奇遇にも同じタイミングで、20代後半(アラサー)のサラリーマンと女子高生との「年の差」の恋愛模様を描くTVアニメが二作品

    TVアニメ『恋きも』と『ひげひろ』が見せる純愛志向の極致:現代日本の病理としての「恋愛」中毒|髙橋優
    hhasegawa
    hhasegawa 2021/07/31
    某議員の騒動を起点に成人と女子高生の恋愛を扱う近作アニメ二者を論じ、その根幹にあるのは若い女性への肉慾より年齢差という障害によって際立たせられる「純愛」への志向で、恋愛の神聖視こそ真の問題としている。
  • TVアニメ『弱キャラ友崎くん』が映し出す現代資本主義の袋小路:宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と終わらない「自己啓発」を超えて|髙橋優

    TVアニメ『弱キャラ友崎くん』が映し出す現代資主義の袋小路:宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と終わらない「自己啓発」を超えて はじめに資主義の終わりを想像するより世界の終わりを想像する方が簡単だ。 ――フレドリック・ジェイムソン「アメリカのユートピア」 (フレドリック・ジェイムソンほか著、スラヴォイ・ジジェク編(田尻芳樹/小澤央訳)『アメリカのユートピア:二重権力と国民皆兵制』書肆心水、2018年、13頁) 資主義を飼いならすことはできないし、資主義の外に出ることも決して容易ではない。2021年3月に放送が終了したTVアニメ『弱キャラ友崎くん』(以下『友崎くん』)は、そんなことを教えてくれる傑作である。 作の主人公・友崎文也は、友達も彼女もいない「陰キャ」で「ぼっち」の高校生だ。しかし、その裏の顔は家庭用格闘ゲーム「アタックファミリーズ」(通称「アタファミ」)のレート一位、日最高峰

    TVアニメ『弱キャラ友崎くん』が映し出す現代資本主義の袋小路:宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と終わらない「自己啓発」を超えて|髙橋優
    hhasegawa
    hhasegawa 2021/03/31
    『弱キャラ友崎くん』は『野ブタ。をプロデュース』の本歌取りでは、という誰しも思いつく着眼に出発し、実は『ゼロ年代の想像力』的『野ブタ。』解釈の帰結としての無限の自己啓発に抵抗する作品だったと読む論考。
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