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音楽と対談に関するhhasegawaのブックマーク (5)

  • 【明治大学文学部主催】音楽家・根本卓也氏による公演を公開いたしました | 明治大学

    文学部では、音楽家・根卓也氏(指揮・作曲・チェンバロ演奏)を招聘しての公演会(収録・無観客)を実施いたしました。公演模様を下記のとおり公開いたしますので、ぜひご覧ください。 ○【明治大学文学部主催】根卓也氏・合田正人文学部長 対談「音楽と哲学」 ○【明治大学文学部主催】根卓也氏 演奏付きレクチャー「フーガという形式」 <根卓也氏プロフィール> 私立開成中学・高等学校を卒業後、東京藝術大学大学院修士課程(指揮専攻)修了。国立リヨン高等音楽院で、通奏低音(チェンバロ・オルガンによる即興伴奏法)のディプロマを取得。現在、新国立劇場オペラ部門音楽スタッフとして年間を通して公演に寄与する傍ら、東京二期会・OMF・ニッセイオペラ等、国内の主要団体で合唱指揮・ディクションコーチ・作品レクチャー等多岐にわたり活躍。 収録日  : 2020年10月14日(水) 収録場所: 駿河台キャンパス アカデミ

    【明治大学文学部主催】音楽家・根本卓也氏による公演を公開いたしました | 明治大学
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/12/28
    日本人の四拍子選好は通俗的には農耕から説明されるが五七五が休符を挟み八八八で読まれることが大きいのでは、対する西洋は三位一体の三を特権視し中世の記譜法では三拍子を円で表していた、といった話が興味深い。
  • 駒井知会(弁護士)×平本正宏 対談 人の人生を変えていく為の難民支援

    収録日:2015年7月18日 収録地:神保町/カフェテラス古瀬戸 撮影:moco 編集:矢祥子 <社会的に弱い立場の人達の側にいたい> 平 難民支援の話は最近ニュースなどでも取り上げられるようになり、少しずつみんなが知るようになりました。日に沢山の外国の方が訪れますし、日仕事をされる方、日人と結婚される方も年々増えていると思います。僕も仕事で知り合う機会も多く、特に気にもしません。日国籍を取得した友人、ハーフやクウォーターの友人もいます。国際社会が進み、容易に国と国を行き来することができるようになると、その垣根はどんどん取れていく、反対に日人だって海外にガンガン進出していますし。 でも、国籍の問題は何かが起きたときに、大変なことも多々ありそうです。それがその人にとって精神的に大きなダメージになることも想像できます。 弁護士として外国の方や難民支援としてアプローチをするお仕事

    駒井知会(弁護士)×平本正宏 対談 人の人生を変えていく為の難民支援
    hhasegawa
    hhasegawa 2016/12/29
    難民や入管関係の法実務がご専門の駒井知会弁護士と作曲家の平本正宏氏(@HiroHiramoto)の対談が掲載されていた。特に前半で、本邦の難民認定や収容施設の現状と訴訟の概略がわかるようになっている。
  • 小高登志(神田まつや5代目)×平本正宏 対談 人と文化が行き交う交差点

    小高登志(神田まつや5代目)×平正宏 対談 収録日:2015年5月8日 収録地:喫茶ショパン 撮影:moco <昭和のはじめは機械製麺> 平 おそばをべた最初の記憶は、小さい頃に母親がゆでてくれた乾麺でした。週末のお昼が多かったのですが、家族でべるものと思っていました。大学生になったときに、父がはじめてそば屋で、お酒を飲みながらお蕎麦をべるということを教えてくれたんです。そのそば屋が「神田まつや 吉祥寺店」だったんです。そのとき、お蕎麦ってこんなに美味しいんだと感動しまして、そしてまたお酒とすごく合うということも知りました。それ以来、月に2回くらいべにいっています。 小高 ありがとうございます。吉祥寺のお店は今はまかせっぱなしなんですよ。古い連中が行ってるんですが、私は最近はほとんど行かないものですから。 平 お新香や焼き海苔をべながら日酒をゆっくり飲んで、最後にもり蕎麦

    小高登志(神田まつや5代目)×平本正宏 対談 人と文化が行き交う交差点
    hhasegawa
    hhasegawa 2015/07/22
    神田まつや御主人との興味深い対話であった。九段高校同級生でサマセット・モームを訳している東大名誉教授、というのはここで言及した(http://bit.ly/1IfjaJf)行方昭夫先生のことだろう。
  • 若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談 未来の遺跡TOKYOから見えるもの

    若林幹夫(社会学者)×平正宏 対談 収録日:2013年1月18日 収録地:国際展示場駅〜臨海副都心 対談場所:ホテル日航東京ラウンジ 撮影:moco <『TOKYO nude』から2年後のTOKYO> 平 僕のファーストアルバム『TOKYO nude』を作るときに、「東京を音楽にしたい。でも、どうやって東京を捉えていけばいいだろう」と悩んでいまして、それで若林先生にご相談したのがお会いしたきっかけです。そのときに著作である『東京スタディーズ』をご紹介頂いて、映画や文学で扱われている東京の音、東京の色々な場所での音の特徴に注目するようになりました。あのとき若林先生にお会いしていなかったら『TOKYO nude』という作品ができていなかっただろうと思っています。 Tekna TOKYOという僕のレーベルを作って2年が経とうとしていまして、今回の対談は2年目の最後の対談になります。『TOKY

    若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談 未来の遺跡TOKYOから見えるもの
    hhasegawa
    hhasegawa 2013/04/03
    資本の運動の最大化の舞台であるに過ぎないパリの街路に逆説的に出来事を見出そうと試みたPassagen-Werkに比すとき、「ショッピングモールにはハプニングがない」と単に言うことは衰弱では、と思った。
  • ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法

    ヤマザキマリ(漫画家)×平正宏 対談 収録日:2012年10月15日 収録地:赤坂 対談場所:赤坂 撮影:moco <60年代に入り込んでいたら> 平 僕はずっと『テルマエ・ロマエ』のファンで、それこそ1巻が出たときから愛読していたので、今回の対談は『テルマエ・ロマエ』の話を中心にしようと思っていたんですけど、先日マリさんの最新作『ジャコモ・フォスカリ』が発売されて読んでみたら、これが何とも僕の心をくすぐったんです。で、急遽予定を変更して、この『ジャコモ・フォスカリ』の話を聞いてみたいなと。 ヤマザキ そっちの方が私は嬉しいです。 平 『テルマエ・ロマエ』がそろそろ終わるということも聞きましたし。 で、『ジャコモ・フォスカリ』の世界観は60年代じゃないですか。僕は大学に入ったばかりの頃に60年代の文化芸術の動きに憧れて、60年代に自分がいたらとか、いまが60年代的な動きの時代だったら

    ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法
    hhasegawa
    hhasegawa 2012/11/01
    かくも憧れが語られる60年代とは、安保もセクトも火炎瓶も欠いたそれである。政治の事象と独立にあの時代の「文化芸術の動き」はあり得たのであろうか? 一般論として、政治を故意に排除するのは高度な政治である。
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