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音楽と現代音楽に関するhhasegawaのブックマーク (5)

  • マゼール、天上の境地

    2014年6月16日 (月) 連載 許光俊の言いたい放題 第232回 マゼール、天上の境地 連休も終わり、ようやく杉花粉の季節も過ぎ去った。とはいえ、大気中の汚染物質、豪雨、湿気という新たな不快要素が増しつつある。 この春はいろいろなことがあった。いまだ続いているSTAP細胞騒動、韓国船の悲惨きわまりない沈没・・・。それに先立って猪瀬前都知事もそうだったが、まさに天国から地獄へという運命の急転がいくつも報道された。人間の愚かさが端的に表れてしまうような事件が続いた。 そのせいで早くも忘れられつつあるようだが、音楽界にとって衝撃的だったのは何をおいても佐村河内事件に違いない。かくいう私もすっかりテレビにくぎ付けになったひとりである。まさかひとりの「作曲家」の記者会見が、CMまで省略して1時間も放送されるとは・・・平和といえば平和、文化的といえば文化的。ある意味ではこの人物にとって人生で最大の

    hhasegawa
    hhasegawa 2014/06/17
    偽ベートーヴェンの片棒を担がされた回顧。個人的には、『詐欺師の楽園』の著者の薫陶を受けたゲルマニスト(http://bit.ly/1qXko0U)として、その観点からの評が読みたかったところである。
  • より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~

    被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のNHKスペ

    より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~
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    hhasegawa 2014/02/07
    物語=コンテクストを完全に排してテクストに取り組むのは不可能、だからこそ正確な外部情報を知る必要が生じるという話。もちろん、「作者の死」を口実に実証的伝記研究を怠る文学・思想研究者にも向けられている。
  • 聴覚障害の作曲家 別人が作曲 NHKニュース

    耳が聞こえない障害を乗り越えて作曲しているとして、CDが異例の売り上げとなっている、佐村河内守さん(50)が、代表作の交響曲などを別の作曲家に作ってもらっていたことを、5日未明、弁護士を通じて発表しました。 佐村河内守さんは広島県で生まれ、独学で作曲を学び、耳が聞こえない障害と闘いながら作曲活動を続けているとされています。 平成20年に初めて演奏された「交響曲第1番HIROSHIMA」は、「希望のシンフォニー」として、特に東日大震災のあと注目を集め、CDが18万枚以上の売り上げを記録するなど、クラシックとしては異例の売り上げとなっています。 しかし、5日未明、佐村河内さんは弁護士を通じて、十数年前から別の作曲家に曲を作ってもらっていたことを明らかにしました。 これについて佐村河内さんは、NHKの取材に対し「平成8年ごろ、初めての映画音楽の作曲の依頼があったが、耳の状態が悪くなり、半分以上

    聴覚障害の作曲家 別人が作曲 NHKニュース
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    hhasegawa 2014/02/06
    「ベートーヴェンの霊言で書いていました、これが本当のゴーストライター」とかいう話でもなかったらしい。そして今年が種村季弘(http://amzn.to/1awbQu0)の没後十年目であることに気づく。
  • 若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談 未来の遺跡TOKYOから見えるもの

    若林幹夫(社会学者)×平正宏 対談 収録日:2013年1月18日 収録地:国際展示場駅〜臨海副都心 対談場所:ホテル日航東京ラウンジ 撮影:moco <『TOKYO nude』から2年後のTOKYO> 平 僕のファーストアルバム『TOKYO nude』を作るときに、「東京を音楽にしたい。でも、どうやって東京を捉えていけばいいだろう」と悩んでいまして、それで若林先生にご相談したのがお会いしたきっかけです。そのときに著作である『東京スタディーズ』をご紹介頂いて、映画や文学で扱われている東京の音、東京の色々な場所での音の特徴に注目するようになりました。あのとき若林先生にお会いしていなかったら『TOKYO nude』という作品ができていなかっただろうと思っています。 Tekna TOKYOという僕のレーベルを作って2年が経とうとしていまして、今回の対談は2年目の最後の対談になります。『TOKY

    若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談 未来の遺跡TOKYOから見えるもの
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    hhasegawa 2013/04/03
    資本の運動の最大化の舞台であるに過ぎないパリの街路に逆説的に出来事を見出そうと試みたPassagen-Werkに比すとき、「ショッピングモールにはハプニングがない」と単に言うことは衰弱では、と思った。
  • ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法

    ヤマザキマリ(漫画家)×平正宏 対談 収録日:2012年10月15日 収録地:赤坂 対談場所:赤坂 撮影:moco <60年代に入り込んでいたら> 平 僕はずっと『テルマエ・ロマエ』のファンで、それこそ1巻が出たときから愛読していたので、今回の対談は『テルマエ・ロマエ』の話を中心にしようと思っていたんですけど、先日マリさんの最新作『ジャコモ・フォスカリ』が発売されて読んでみたら、これが何とも僕の心をくすぐったんです。で、急遽予定を変更して、この『ジャコモ・フォスカリ』の話を聞いてみたいなと。 ヤマザキ そっちの方が私は嬉しいです。 平 『テルマエ・ロマエ』がそろそろ終わるということも聞きましたし。 で、『ジャコモ・フォスカリ』の世界観は60年代じゃないですか。僕は大学に入ったばかりの頃に60年代の文化芸術の動きに憧れて、60年代に自分がいたらとか、いまが60年代的な動きの時代だったら

    ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法
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    hhasegawa 2012/11/01
    かくも憧れが語られる60年代とは、安保もセクトも火炎瓶も欠いたそれである。政治の事象と独立にあの時代の「文化芸術の動き」はあり得たのであろうか? 一般論として、政治を故意に排除するのは高度な政治である。
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