「幻の先遣隊」として、自衛隊の沖縄移駐の環境づくりに取り組んだ石嶺邦夫さん(前列左から4人目)ら隊友会のメンバー=1969年、恩納村(提供) 1972年の日本復帰に伴い、沖縄に自衛隊が駐屯を始めて今年で50年目。沖縄戦が繰り広げられた国境の島しょ県は、現代の「防人(さきもり)」とどう向き合ってきたのか。連載第1部は、復帰前後の地元のまなざしと、ほとんど語られてこなかった元自衛官たちの体験談から「対峙(たいじ)」の源流をたどり、部隊配備が進む今を捉え直す。 日本復帰からさかのぼること4年前、1968年7月7日。梅雨が明けた炎天下、那覇市の国際通りを歩く1人の制服姿の自衛隊幹部がいた。たどり着いたのは牧志のむつみ橋にあった南陽相互銀行本店。そこに勤める当時34歳の石嶺邦夫さん(87)=読谷村=に会うためだった。 「熊本からお客さんですよ」。同僚から声を掛けられた石嶺さんが窓口に行くと、見ず知ら