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学問ラン1と古代史に関するmahalのブックマーク (2)

  • 前方後円墳の本当の姿

    ● ■ 大体テレビとか写真とかでもこの向き 鍵穴みたいで見覚えがあるし、一番下にまっすぐがあるほうが落ち着くからなんだろうけど、当は上下逆なんだよ ■ ● これが当の姿 名前見ればわかるんだけど、「前方」「後円」墳って区切られるのね で前方ってのは、「前」が「方」つまり四角ってこと 正方形とかの方ね 後円は後ろが円形ってこと つまり ■←前の四角 ●←後ろ円形 ということになる

    前方後円墳の本当の姿
    mahal
    mahal 2016/08/03
    本来ただの「玄室への入口」だった前方部がやたら巨大化したのって、出雲大社の本殿への引橋が100mくらいの長大なものだったという話と符合する辺りが面白いとは思う。
  • NHK NEWS WEB 「よろい人骨」 古墳人の半生は

    「よろい人骨」 古墳人の半生は 3月15日 13時30分 群馬県渋川市で3年前に見つかった、今からおよそ1500年前の成人男性の骨。 よろいを身に着けた姿で噴火の火砕流に巻き込まれたことが分かり、大きな注目を集めました。 この古墳時代の「よろい人骨」。その後さまざまな調査が進み、男性の半生を探ることが可能になってきました。 どんな生い立ちで、どのような立場にあったのか。そしてその時代背景は。 古墳時代人のライフヒストリーを巡る最新の研究状況をまとめました。 (ネット報道部 高橋俊雄) 渡来系の有力者か 人骨は平成24年の11月、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で見つかりました。 男性がよろいを身に着けたまま膝を地面につき、うつぶせの状態で倒れていたのです。 成人女性や乳幼児の人骨も見つかり、合わせて4人の骨が確認されました。 遺跡の10キロほど南西には榛名山があり、古墳時代の6世紀

    NHK NEWS WEB 「よろい人骨」 古墳人の半生は
    mahal
    mahal 2015/03/15
    大和を挟んで反対側の九州でほぼ同時期に発生した磐井の乱で、磐井の旧友とされる近江毛野臣なる豪族が居るが、「毛野」ってのが両毛を指すと思うと、まぁ当時の武官って行動半径なかなか広いのである。
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