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社会と哲学に関するmahalのブックマーク (4)

  • 被害者自慢 - raurublock on Hatena

    単に「俺達の方が被害者だ」と言ってるだけだと思うんですが、どうでしょう。もちろんデカルトやフーコーやデリダを援用して被害者意識を理論武装してるわけですが。日人ってほら、被害者自慢が大好きじゃないですか。 何を以って、彼らを叩くのか (id:REV) 俺たちも蘇生手伝うから、トリアージなんてやめて、みんな救おうぜ、という提言なら同意するのだが、事故が起こったらデカルトだかフーコーだかデリダの洋書を抱えてやってきて、葛藤の有無や向き合う姿勢を論評し、ホロコーストとの関連を指摘するのだろうか。 前も書いたんですけど、id:fuku33 さんの元記事って、言ってることは正しいんだけど、被害者意識ダダ漏れの文章で、てのも元記事がああだったのを間引きだけしたから被害者意識がそのまま残っちゃったんだと思いますが、 「俺達こそ被害者だ」と思ってる人がそういうのを読むと、激怒するわけですよ。「おい、被害者

    被害者自慢 - raurublock on Hatena
    mahal
    mahal 2008/06/06
    現代の日本で被害者自慢が蔓延してるとすれば、それにインセンティブがあると広く認知されているからであり、つまり被害者=弱者に優しい世の中なんだろうなと(ぇ。
  • ひっぱたかれたくない「丸山眞男」の眷属の独り言 | bewaad institute@kasumigaseki

    とあるところで「『丸山眞男』をひっぱたきたい」の紹介をみて、それ以前には「丸山眞男」は岩波文化人などの象徴であり、その手の知識人批判だと思っていたわけですが、大いなる勘違いとわかり読んでみました。中心となる主張そのものは、昭和恐慌後の日国民の多くが戦争を歓迎したことの再現ということになりますが、著者の赤木智弘さんのサイトに設けられている掲示板でのやりとりには、より掘り下げた赤木さんの心情が記されています。 タイトル : Re^19: 議論の整理 記事No : 495 投稿日 : 2007/07/20(Fri) 08:29 投稿者 : 赤木智弘 議論の振り出しに戻った感がありますが、 絶対的貧困をどう思うのかもう一度お答えください。 1「中間層と貧困層の格差」が無くなるなら絶対的貧困のままでいい。 2「中間層と貧困層の格差」が有っても絶対的貧困から救え。 3 「中間層と貧困層の格差」が無く

    mahal
    mahal 2007/09/17
    思うに、富裕層はある程度富裕であることに対する責任をペイしていて、中間層はそうではないように見える、って辺りがこの手のルサンチマンの源泉かなとも。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    mahal
    mahal 2006/11/08
    当の中華においても、韓非子はさほど近代以降の思想の主流で大事にされてる印象がないだけに。
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問うてはいけないのか?  (コメント欄)

    わたしがやっと気づくことができた「“倫理規範を疑ってはいけない”という倫理規範が存在する」という事実。それは何を意味するのか? 「現代の日社会においては、“なぜ人を殺してはいけないのか?”という問いを発する行為自体が、端的に悪と見なされうる」ということです。 倫理規範、というのは、こういったものを考えています。 人を殺してはいけない 自殺をしてはいけない 物を盗んではいけない 嘘をついてはいけない このようなものの他に、次のものがあったのだ、というわけです。 これらの倫理規範の成立根拠に疑いを抱いてはいけない なぜ、最後のこれが倫理規範たり得るのか? それは、当然ですけれど倫理というものは社会を維持・安定・発展させるために存在するものであり(「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問に対する回答の多くは「社会が維持できないから」だった)、それを犯すものは悪と見なされるからです。ゆえに、

    「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問うてはいけないのか?  (コメント欄)
    mahal
    mahal 2006/03/09
    信仰とは何かを問い詰めれば、「疑わないこと」に到る、ヤン・フスの「聖なる無知」かな。
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